羽生結弦 お値段1億円!8歳年上妻の誕生日直後に仙台マンションを購入していた

(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

9月20日、ANAの運営するYouTubeチャンネルに出演し、一問一答インタビューに応じた羽生結弦(28)。数々の質問にテンポよく答えるなか、最後の「ファンのみなさんに伝えたいこと」では言葉を詰まらせた。そして15秒以上の熟考の末、羽生は答えた。

「これからも全身全霊で羽生結弦を貫き通します」

この騒ぎを見越して、そう宣言したのだろうか。先日、8月4日の入籍発表以来、完璧に隠されていた相手の正体が一部週刊誌や地元メディアでついに報じられた。8歳年上の元バイオリニスト・A子さん(36)だ。

「4歳からバイオリンを始めて数々の賞を受賞してきた、世界的な演奏家です。過去には『X JAPAN』のYOSHIKIさんとも共演しており、矢沢永吉さんのバックバンドを務めたことも。また、ラジオのパーソナリティやウエディングドレスのモデルなどの芸能活動もされていました」(音楽関係者)

彼女には、裕福な家庭で育ったお嬢さまという一面もある。

「A子さんの父は、山口県にある大正時代から続く歴史の長い建設会社の社長でした。さらには『地元の名士』として知られ、安倍晋三元首相(享年67)の実家とつながりがあったともいわれています」(前出・音楽関係者)

高校・大学時代をA子さんと一緒に過ごしたバイオリニストが、その人柄を明かしてくれた。

「学生時代から、おっとりしていて本当にいいコでした。性格にきつい部分もなくて、とってもバイオリンが上手でした。すごく優秀で、どちらかというと天然っぽかったです(笑)」

2人が初めて共演したのは’19年5月から始まったアイスショー『ファンタジー・オン・アイス』。その最終日、特別プログラムとして、羽生はA子さんの生演奏に合わせて『Origin』を滑った。

この時点で彼女と通じ合うものがあったのか、羽生の様子にとある変化が――。

「『Origin』の手を広げる振付が、A子さんと共演した’19年から、バイオリンを弾く振付に変わりました。もしかしたら、A子さんに教わって練習していたのかもしれません」(羽生ファン)

さらに、この2人には仲を深めるのに十分な共通点がある。それは羽生が“使命”としてきた復興支援だ。A子さんも積極的に支援に参加してきた。

「’12年にはロンドンで行われた東日本大震災復興支援イベントに日本代表として出演。

別のチャリティコンサートでは、『奇跡の一本松』の木片を用いたバイオリンで、羽生さんも滑ったことのある復興支援ソング『花は咲く』を演奏していました」(前出・音楽関係者)

■叔父はテレ朝『ワイド!スクランブル』に出演中

そんなA子さんは、意外なバックグラウンドを持っている。

「彼女の叔父は、元テレビ朝日の政治部長です。現会長と結びつきが強く、独立後も同局の『大下容子ワイド!スクランブル』でコメンテーターを務めており、影響力を持っています。彼には子どもがいなかったこともあり、姪であるA子さんをかわいがっていたそうです。A子さん自身、古館伊知郎さんの事務所に所属し、同局の『報道ステーション』でバイオリンを披露したこともあります」(テレビ朝日スタッフ)

妻の“テレ朝人脈”は、羽生にとって心強いものだったようだ。

「テレビ朝日は、GPシリーズをはじめとして、他局よりもフィギュアスケートに力を入れています。中継だけでなく、イベントやパーティまで行ってきました」(前出・テレビ朝日スタッフ)

プロスケーターは、自分の力だけで生計を立てる必要がある。スポーツ紙記者はこう語る。

「プロになり、ひとりで新たな挑戦を続ける羽生さんを、A子さんと縁のあるテレビ朝日が積極的に支えてくれているのでしょう。実際、初の単独アイスショー『プロローグ』もテレビ朝日が主催です」

結婚後は、9年間出演を続けていた『24時間テレビ』(日本テレビ系)にも出なかった羽生。

「11月から始まる初のツアー『RE_PRAY』の主催にも、テレビ朝日が名を連ねています。

今後も、テレビ朝日と組んで活動の幅を広げていくのだと思います」(前出・スポーツ紙記者)

A子さんは、’22年の秋ごろには表舞台から姿を消し、SNSやホームページも削除している。

「多才な彼女ですが、仕事をやめてでも“チームゆづ”の一員として、羽生さんの夢を叶えるべく、生涯をかけて応援することを選択したのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

公私ともに羽生を支えてきたA子さん。夢を叶えてくれた彼女への感謝を込めて、羽生は壮大な“プレゼント”を贈っていた――。

「羽生さんが1室約1億円もする仙台市内の高級マンションを購入したのは’22年3月。なんと、A子さんが35歳のバースデーを迎えた直後のことだったのです」(前出・スポーツ紙記者)

40代が近づく節目の年。羽生もようやく結婚を決めたのだろう。

「昨年2月の北京五輪で競技人生に区切りをつけ、翌月にはマンションを用意。そして7月にプロ転向を発表と、1年以上前から結婚に向けて着々と準備を進めていたのかもしれません」(前出・スポーツ紙記者)

「これからの世代の子たちが滑りたいなというときに滑れる環境であったり、フィギュアスケートが気持ちよくできるスケートリンクを、いつかは、作るお手伝いをしたいなと思います」

今年5月、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で今後の夢を熱く語っていた羽生。

次世代の子どもたちのために、これからも妻と力を合わせて、スケート界に新たな息吹をもたらしてくれるはずだ。

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