「唯一の心残りは」故・市川猿翁さん 55年前に明かしていた“恩讐息子”香川照之への後悔

11年、中車襲名時の香川と猿翁さん(写真:共同通信)

「会場の前の駐車場にマイクロバスが数台並べられ、中の様子はまったく見えませんでした」(スポーツ紙記者)

9月19日、市川猿翁(本名・喜熨斗政彦)さん(享年83)の葬儀・告別式が東京・上野の寛永寺で営まれた。

「葬儀は家族葬でひっそりと執り行われました。参列したのは親族や一門の弟子、舞台関係者などごく身近な関係者だけです。長男の香川照之さん(57)は悲しみに暮れながらも気丈に振る舞っていて、“澤瀉屋の当主として一門を率いていく”という覚悟を感じたそうです。猿翁さんがとてもかわいがっていた孫の團子さん(19)も香川さんの横で沈痛な面持ちだったとか」(歌舞伎関係者)

故・猿翁さんは’39年、東京に生まれ、7歳で初舞台を踏んだ。その後、’63年に祖父から「三代目猿之助」を受け継いだ。

「襲名後ほどなくして、祖父と父を亡くし、梨園での後ろ盾を失って苦境に立たされました。それでも逆境に負けず、『宙乗り』や『早替り』など『ケレン』といわれる演出手法を取り入れ、人気を集めたのです。次々と革命を起こし、『スーパー歌舞伎』を確立した猿翁さんはファンだけでなく、同業者からも尊敬されていました」(前出・歌舞伎関係者)

香川も父の功績をたたえる追悼コメントを発表している。

《長く険しく、それでも『夢』に邁進した歌舞伎俳優人生でした。一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います》

そんな猿翁さんの別れの場面に立ち会えた人はわずかだった。冒頭のように報道陣は完全にシャットアウトされた。

「葬儀を取り仕切った香川さんが“超厳戒態勢”を敷いたのです。猿翁さんから四代目を継ぎ、“一家心中事件”の渦中にある市川猿之助被告(47)の参列を想定してのことかと思いましたが、彼は結局姿を現しませんでした。猿翁さんは歌舞伎界のスーパースターでしたから、本来ならば盛大に送り出されるべきです。そうできなかったのは現在の澤瀉屋が抱える複雑な事情のためでしょう」(前出・歌舞伎関係者)

香川と猿翁さんとの間にも確執があった。その原因は55年前、香川の両親である猿翁さんと女優・浜木綿子(87)が’68年に離婚したときまで遡る。

「離婚の原因は猿翁さんの不倫です。16歳年上の藤間紫さん(享年85)と道ならぬ恋に落ち、浜さんと子供を置いて家を出ていってしまったのです。2人の関係は“世紀の恋”と世間を騒がせました」(芸能関係者)

猿翁さんは離婚調停が成立した直後、本誌に手記を寄せている。

《ここにすべて解決したといっても、唯一の心残りは照之のことである。この父の態度をわび、どうか、誠のある嘘のつかない正直な人に成人してくれと祈るばかり。やがてぼくの気持ちを理解できる年齢にきたら、すべてを語ろうと思う》(本誌’68年2月19日号)

2人が再会したのは’91年。俳優デビューから2年後に香川が猿翁さんの公演先を訪ねた。だが、そこで父が息子にかけた言葉は無情なものだったという。

《あなたのお母さんと別れたときから、自分の分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち、私は蘇生したのです。だから、今のぼくとあなたは何の関わりもない。あなたは息子ではありません》(『婦人公論』’91年8月号)

その後、香川は父を見返そうと、俳優として着実に力をつけていく。そして’11年、45歳にしてついに九代目市川中車を襲名し、歌舞伎界入りを果たす。襲名発表会見には猿翁さんも出席し、感謝の言葉を口にした。

「浜さんという人の間に照之という息子がおります。浜さん、ありがとう。『恩讐の彼方に』です。ありがとう……」

2人は同居を始め、父子関係は修復したように思えたが……。

「療養生活を送る猿翁さんを介護するための同居でしたが、短期間で解消しました。香川さんの言動を煩わしく感じるようになった猿翁さんのほうから出ていったとも報じられています」(前出・歌舞伎関係者)

一時は拒絶されたことを恨み、それでも偉大な歌舞伎俳優として背中を追い続けた父。香川と猿翁さんの父子関係は終幕まで緊張をはらんでいた――。

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