かつて日本代表として活躍した中田浩二さん。
ワールドカップにも2大会に出場した同氏が、那須大亮さんのYoutubeチャンネルで帝京高校時代を振り返った。
高校時代は地獄のような日々だったというものの、キャプテンになると古沼貞雄監督から絶大な信頼を寄せられ、メンバーも中田さんがほぼ決めていたとか。
帝京高校はサッカー部だけでなく野球部なども名門。グラウンドが狭かったため、サッカー部と野球部は移動式のネットを隔てた状態で一緒に練習していたそう。
「野球部も強いじゃん、ガンガン打ちこんでくる。結構強かったから、ホームランみたいに打ってくる」状態だったとか。
飛んできた硬球が顔面に当たって骨折したサッカー部員もいたそうだが、古沼監督は「(野球のボールに)当たる人は下手だから。うまいやつは当たらない」と言い放っていたとか。
中田さんは「(うまいサッカー部員でも)絶対当たってる(笑)俺は当たってないけど」としつつ、「よくあんな環境でやったな」「(試合形式の練習ができたのは)朝6時半に学校に行って朝練で」とも振り返っていた。
そんな帝京時代の中田さんはイケメンとしても知られていたが、学内でサッカー部はモテたかという質問に対してはこんな話も。
「サッカー部はモテたよ。でも、男女比率でいうと7対3とか。
男7くらいで男のほうが多かったから、校内ではチアとかが有名だけど、そんなに女子は多くなかったかな。それよりも外部(のファン)が多かったね。
(サッカー部は)人気あったんじゃない。でも、意外とバスケ部がモテたりするじゃん。
結局、サッカー部や野球部は休みがないし、1日中やってるし。
バスケ部とか楽しく女子とワイワイやってるから。
モテたか、モテてないかでいうと、サッカー部と野球部でひがんでいたような気がするけどね(笑)
男くさーい感じで、サッカー部と野球部は。だから、校内ではそんな感じ。
学校外では壁ギャルっていたのよ。練習を見に来る女の子たち。壁によじ登って練習を見に来る女の子たちが結構いたから」
サッカー部と野球部はずっと練習漬けだったので、校内ではバスケ部のほうが意外にモテたとか。
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ちなみに、中田さんと同じ1979年生まれの帝京高校野球部出身のプロ野球選手には中日ドラゴンズでプレーした金剛弘樹さんがいる(森本稀哲さんは1981年生まれ)。