「死体をツルハシで引っ張ってきた」伊勢湾台風から64年 今も脳裏から離れない元消防団員の見た光景

死者行方不明者は5000人以上、戦後最悪の台風災害でもある「伊勢湾台風」から26日で64年です。当時、消防団員として多くの遺体を回収していた名古屋市南区に住む98歳の男性を訪ねました。今も脳裏から離れないその光景とは。

64年前の26日に直撃した「伊勢湾台風」。愛知県と三重県を中心に5000人以上の犠牲者を出しました。

名古屋市南区に住む長澤春男さん98歳。戦争でシベリア抑留も経験した長澤さんは、伊勢湾台風の時34歳。当時「消防団員」として最前線で、救助活動や行方不明者の捜索にあたりました。

(長澤春男さん・98歳)
「(Q.今も脳裏に焼き付いているのはどんな光景?)死体をツルハシで引っ張ってきて、舟に乗せて学校まで運んだ。(Q.グラウンドに遺体が運ばれた?)そうそうそう」

南区の犠牲者は1417人。全体の約3分の1にも上ります。本城中学校は、当時避難所として1ヶ月間約4万2000人の住民が身を寄せた場所。長澤さんは毎日遺体をグラウンドに運び続けたといいます。

(長澤春男さん・98歳)
「(Q.何人ぐらいの遺体があった?)その時は4、50人はおっただろうな。マスクを二重三重にして、(臭い消しを)べったり塗って。(我慢できず)涙がボロボロでてくる」

「波打って襲ってくる」直径60センチの丸太

ほとんどが身元もわからないまま。火葬場まで運ぶのも長澤さんの役目でした。

(長澤春男さん・98歳)
「(遺体を)トラックに乗せて八事まで運ばないと行けない。(Q.ここから八事霊園まで?)そうそう。本当に大変だった」

明治以降最大の気象災害と言われる「伊勢湾台風」。被害を拡大させたのは名古屋港周辺の貯木場にあった大量の“ラワン材の原木”です。これらが高潮で押し流され、凶器となって町を襲いました。

国道247号沿いにある南消防署大同出張所。長澤さんは、この場所で驚きの光景を目にしたといいます。

(長澤春男さん・98歳)
「(直径5、60センチの丸太が)波打ってくるんだよ。それが塀にぶつかって、波にやられて(丸太が)立つんだもん。びっくりした、なんやこれはと」

材木は縦に回転しながら人や家に襲いかかりました。

台風が去り、10日ほどでようやく水が引いた南区の浜田学区。残されたのは犠牲者の沢山の長靴です。靴は一カ所に集められ、多くの人が手を合わせるようになったこの場所は、いつしか「くつ塚」と呼ばれるように。

64年の歳月が流れても、あの痛ましい記憶はここへ来るとよみがえってきます。

(長澤春男さん・98歳)
「思い出しちゃうから。死体を運ぶ時に、ごめんな乱暴なことをして。ごめんな…ごめんなさい」

© CBCテレビ