アフリカ出身の白人選手!印象的な活躍を見せた3選手

現代サッカーにおいてアフリカ出身の選手がワールドクラスの活躍を見せて世界のサッカーフリークを感嘆させている。

ナイジェリア代表FWヴィクター・オシムヘンのように圧倒的な身体能力を見せる選手もいれば、エジプト代表FWモハメド・サラーのようにスピードと技術を生かしてゴールを奪う選手もいる。

その中で少数派といわれる白人選手もサッカー史で印象的な結果を残した選手がいる。

今回はアフリカ出身の印象的な活躍を見せた白人選手3人をピックアップした。

南アフリカ出身で最も成功した守護神

ハンス・フォンク

国籍:南アフリカ

ポジション:ゴールキーパー

南アフリカ出身の白人選手で最も成功した男はハンス・フォンクで間違いないだろう。南アフリカのアルベルトンで生を受けたフォンクは、1988年にRKCヴァールヴァイクでプロキャリアを開始した。

オランダ1部リーグ通算428試合出場は外国籍選手最多出場記録であり、ヘーレンフェーンやオランダ屈指の名門アヤックスのゴールマウスを守るなどオランダでは屈指の好GKとして活躍し続けた。

育成年代代表ではオランダU-20代表を選択して1試合出場も、A代表は南アフリカを選択して43試合に出場した。2011年にアヤックス・ケープタウンで引退した。

リヴァプールやジンバブエ代表で活躍した男

ブルース・グロベラー

国籍:ジンバブエ(出生は南アフリカ)

ポジション:ゴールキーパー

南アフリカのダーバンで生を受けたグロベラーは、1973年にジンバブエのハイランダーズでキャリアを開始。南アフリカのダーバンシティに移籍してからは南アフリカ屈指のゴールキーパーとして活躍して、1977年にローデシア(現ジンバブエ)代表に選出された。

その後はカナダのバンクーバー・ホワイトキャップスやイングランドのクルー・アレクサンドラでプレーし、1981年にイングランド屈指の名門リヴァプールへ移籍。通算公式戦613試合に出場し、クリーンシート263試合を記録するなど現在も伝説的なGKとして語り継がれている。

10代のころはクリケットでも輝かしい才能を見せており、アメリカの大学から奨学金付きの野球留学のオファーを受けていたという。もしこのオファーを受けていたらメジャーリーグで活躍したキャリアもあったかもしれない。

チャンピオンズカップを2度制したストライカー

ジョゼ・アグアス

出身地:ポルトガル領西アフリカ(現、アンゴラ)

ポジション:フォワード

アンゴラ出身の選手で最も成功を収めた選手はアグアスで間違いない。アグアスは1930年11月9日にポルトガル領西アフリカ(現、アンゴラ)のルアンダで生を受けた。1948年にアンゴラのルシタノ・ロビトでキャリアを始めると、才能が認められる形で1950年にポルトガルの強豪ベンフィカへ加入した。

ベンフィカではエウゼビオ、マリオ・コルナとともに強力な攻撃ユニットを形成し、リーグ戦通算281試合291得点の記録的な活躍をした。1960-61、1961-62シーズンでチャンピオンズカップ(現、チャンピオンズリーグ)を2連覇の原動力となった。

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代表チームはアンゴラではなく、ポルトガルを選択して通算25試合11得点を記録。2000年12月10日にリスボンで没した。娘のレーナ・ダグアは歌手として活躍し、息子のルイは父と同じ道を歩んでベンフィカ、ポルト、ポルトガル代表でプレーした。

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