田畑が広がるにつれ人は山へと移り住んだ 遺跡から分かる暮らしの変遷 京都・亀岡

確認された集落跡。柱穴のほか土石流で運ばれた石を埋めた穴などが見つかった(京都府亀岡市本梅町・井手遺跡)

 京都府埋蔵文化財調査研究センターは、同府亀岡市本梅町の井手遺跡で、11世紀末~13世紀末の集落群が見つかったと発表した。集落は時代が下るとともに平地部から山の方へと移り、土石流で流れ込んだ石を片付け建物を建てたことなどが発掘から明らかになったという。

 農地整備に伴い、2021年度から3年間かけ、東西約200メートル、南北約100メートルのエリアを順次調査。11の掘立柱建物跡や井戸跡が確認され、土器などが出土した。

 土器の形状や種類から、遺跡南東付近の平地部が11世紀後半~12世紀半ばの集落で、北西に向かってなだらかに標高が高くなるにしたがい年代が新しくなり、遺跡北西の最も高い位置では13世紀末ごろの建物跡2棟や土器が見つかった。田畑を広げるため、集落が次第に山側へ移っていったとみられるという。

 発掘した場所の多くは土石流で運ばれたとみられる石で覆われ、集落跡では石をまとめて埋めた土坑(どこう)も確認した。同センター調査課の松谷友香調査員は「住みやすくするため石を廃棄して整地するなどしていた様子が分かる」と説明する。

 また江戸時代後期以降に造られた用途不明の遺構も見つかった。直径1.3メートル、深さ0.5メートルほどの穴の中に同サイズの木製のおけがすっぽりと埋められており、計3基あった。水をためる施設などと想定されるが、今後調査していくという。
 

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