ロシア外務省から激烈な抗議|石井英俊 「日本は報復措置を覚悟しろ!」――ロシア外務省はなぜ「ロシア後の自由な民族フォーラム」に対して異常ともいえる激烈な反応を示したのか。

ロシア外務省の強圧的な威嚇

先にHanadaプラスに書いた記事(日本は世界で最も重要な国のひとつ|オレグ・マガレツキー×石井英俊 2023年7月24日公開)において紹介した「ロシア後の自由な民族フォーラム」が、8月1日から2日にかけての2日間、都内において開催された。そして、同フォーラムが開催されたことに対して、8月7日、ロシア外務省が在ロシア日本大使館に対して「断固とした抗議」を申し入れてきた。おそらく日本政府としてはかなり面食らったであろうその抗議内容とは、ロシア政府系の通信社スプートニクの日本語版によると以下のようなものだ。

「ロシア後の自由な民族フォーラム(ロシアでは「望ましくない団体」に指定)の会合のために日本政府が公式的にフィールドを提供した」「同フォーラムは岸田文雄政権の同意なしに日本で受け入れられるはずはない。岸田政権はテロリスト的レトリックとロシアに対する憎悪イデオロギーをあからさまに支援している」

日本政府の関与を一方的に決めつけ、「内政干渉」であると批判してきている。さらには次のように強圧的な威嚇まで行った。

「警告にもかかわらず、煽動が繰り返された場合、ロシアとの関係で日本の国益にとって最もデリケートな部分への報復措置があるものと、日本は覚悟すべきである」

ロシア外務省から日本政府へのこの「抗議」は、事実として全く間違っている。そもそも「ロシア後の自由な民族フォーラム」は完全に民間主催で行われたイベントである。2日間の内、8月1日は国会(衆議院第1議員会館)を会場として行われたが、議員会館の会議室使用には、仕組み上、日本政府は全くの無関係である。

議員会館の会議室は、国会議員(議員事務所)が空いている部屋を予約すれば使用できる仕組みだ。しかも今回のフォーラム開催にあたって部屋を押さえたのは立憲民主党の国会議員であり、与党議員ですらない。日本政府が会合のために場所を用意したなどというのは全く事実と異なっている。それに、ロシアや中国のように政府による言論統制が国家の隅々にまで行き渡っている国と違い、日本には言論表現の自由、政治活動の自由があり、同フォーラムの開催も政府の許可を得て開催されるような性質のものでもなんでもない。フォーラムの開催に、日本政府の関与は一切ない。あえて言うなれば、同フォーラムの関係者が日本に入国するにあたってのビザを発給したのは日本政府であり、そもそも日本に入国を認めたことが間違いであるとの批判であれば論理としては成立する余地もあるだろうが、それとても参加者それぞれの国籍はバラバラであり、各人の状況に応じて個別に判断されたものでしかない。それは、日本政府がフォーラムを支援しているといった話にはつながらず、誤った批判でしかない。

後述するが、実は日本政府がビザを出さなかったために、フォーラムに参加できなかった関係者もいた。当然のことだが、在ロシア日本大使館は「日本政府が関与して行われたものではなく、そのような抗議をされること自体受け入れられない」とロシア外務省に伝えた。真っ当な対応だ。

ロシア連邦内の諸民族が「ロシアに占領された北方領土」と表現

さて、ロシア外務省が「報復措置」にまで言及するという激烈な反応を巻き起こしたこのフォーラムとは一体どのようなものであったのかを順を追って解説する。フォーラム開催前に、フォーラム創設者であるオレグ・マガレツキー氏にインタビューした月刊『Hanadaプラス』の記事を未読の方は、まずそちらをぜひご一読いただきたい。

また、フォーラムの開催そのものについては、NHK、TBS、日テレや、朝日新聞、産経新聞、東京新聞など、かなり幅広く報道されている。私からは、主催者側の一人として中から見てきた他にない情報と、フォーラムのスピーカーなどと個別に話したことについて報告したい。

「ロシア後の自由な民族フォーラム」は、昨年(2022年)5月にポーランドで第1回を開催して以降、チェコ、スウェーデン、ベルギー(EU議会が会場)、アメリカと欧米各国を回り、今回の日本開催が第7回目である。創設者であり事務局長的な役割を果たしているマガレツキーが言うには、「日本はアジアで最も強力な自由民主主義国家」であり、「世界で最も重要な国のひとつ」と考えていることと、ロシアが「日本の領土である樺太や北方領土を占領」していることから、「どのようにウィンウィンになるか」を考えたいということが、日本での開催理由であった。

8月1日と2日の2日間にわたって開催されたフォーラムであるが、実は両日のプログラムは全く別々のものだった。筆者は運営の一人、またスピーカーとして両日とも参加したが、それぞれ事情は全く違っている。

8月1日は、この日のモデレーターを務めた岡部芳彦氏(神戸学院大学教授)を中心に企画され、日本側からはロシア・ウクライナ戦争でも度々メディアに登場している廣瀬陽子氏(慶應大学 教授)、岡田一男氏(映像作家)、そして参加した5人の国会議員がメインスピーカーであった。

海外からは、イナル・シェリプ氏(チェチェン・イチケリア共和国亡命政府 外相)、イリヤ・ポノマリョフ氏(自由ロシア軍団 政治部門幹部)、オレグ・マガレツキー氏の他、ロシアからの独立を訴える民族・地域の代表4人、それに欧米の専門家2人が参加した。

筆者は、メインのスピーチのあとの「コメント&ディスカッション」において一人目として総評を述べるようにモデレーターの岡部氏より依頼され、「ロシアの分裂や弱体化が、中国の強大化を招く」ことは決してあってはならず、そのための戦略をよくよく考える必要があるという点について意見を述べた。この点に誰も触れなかったため私から強く発言を行ったが、フォーラム終了後に、他のスピーカーたちから賛同する旨の声を多くもらった。

全体で3時間半ほどのイベントであり、最後に宣言文がまとめられて発表された。この日のプログラムは、この1日で完結した形だ。宣言文について、「ロシアに占領された北方領土」という表現をロシア連邦内の諸民族が使うのは歴史上初めて。その意味では「歴史的文書」と、取りまとめに尽力した岡部氏が述べている。この点もロシア外務省を刺激したのだろう。

フォーラム1日目の様子

そして8月2日は、事務局のマガレツキーが直接企画したものだ。朝9時から午後7時半までの約10時間にわたって、約50人にものぼるスピーカーが次から次へとスピーチをする形式だった。それも、そのうちの大半の35人程はオンラインスピーチであり、通訳もなく、YouTubeライブで放映するという方式であって、現場で参加するというよりもアーカイブが残ることにより意味があるといった位置付けではないかと思われた。2日間のプログラムはそれぞれに行われ、海外から来たリアルでのスピーカーは両日とも同じであるものの、組み立てには大きな違いが見られた。

「ロシア後の自由な民族フォーラム」はロシア後の世界として、ロシア連邦が41に分裂した地図を掲げている。衆議院議員会館でのフォーラムでも、会場に掲げられていた。このロシアからの分離独立という動きにいったいどれほどの実現性があるのか、また、そもそもどれほどの運動の実態があるのかが問題である。

筆者は中国の問題の専門家であり、チベット、ウイグル、南モンゴル、香港、または中国の民主化運動についてはかなり深く関わり、その歴史と現在について把握している方だ。ミャンマーの少数民族問題、内戦にも間接的に関わったこともあり、その存在は認識している。ところが、正直なところ、ロシアの民族問題というと、チェチェン紛争をのぞいて全くと言っていいほど聞いたことがない。チェチェン紛争は大変な戦争でもあり、また一部の過激派によるテロなどもあって、世界中で知られている。ところがそれ以外の民族問題など知らないのだ。今回様々な独立運動家と出会ってまず最初に聞いたのは、失礼ながらそもそもあなたの地域(国)はこの41のロシアの地図のどれですか、という質問からだった。指差ししてもらって、アルファベットの読み方から教えてもらわないといけないレベルからだった。

驚きのイングリア独立運動

筆者とウグリモフ氏

それぞれの話を聞けば聞くほど、歴史や現在の状況は全く違っている。全てをここで述べることは出来ないが、1人の人物、1つの独立運動をまず紹介したい。

イングリアの独立運動家デニス・ウグリモフ氏(自由イングリア社会政治運動代表)。イングリアと聞いて、それがどこにあるのかすぐにピンとくる日本人はまずいないだろう。私ももちろん知らなかった。しかし、どこにあるかを聞いて、大変驚かされた。何と、サンクトペテルブルグとその周辺地域のことだというのだ。私はあまりにも驚いてウグリモフにすぐに聞き直した。「あなたはイングリアの独立を訴えている、つまりサンクトペテルブルグをロシアから独立させようとしているのか」と。するとその通りだと言うのだ。これがどれほどインパクトのある話か、お分かりいただけるだろうか。

まず、そもそもサンクトペテルブルグとは、あのロシア帝国の首都だったのだ。ロシア革命の前まで、つまりモスクワが首都になる前まで200年にわたって首都だった街だ。サンクトペテルブルグはロシアそのものではないのか、とまず驚いた。そしてすぐに気づいたのだが、サンクトペテルブルグはプーチンの生まれ故郷だ。プーチンの生まれ故郷がロシアから分離して独立したら、もはや何が何だかわからなくなってしまう。その瞬間は思わず吹き出して笑ってしまったが、本人はいたって本気なのだ。

「プーチンはサンクトペテルブルグが生んだ最悪の男だ。俺がこの手で決着をつけないといけない」と真剣そのものの目でウグリモフは言った。

ウクライナ軍義勇兵に加わる準備

ウグリモフ氏

サンクトペテルブルグと聞くとロシア帝国の首都としか思い浮かばないのだが、歴史を聞くと、18世紀にロシア領になる前はスウェーデン領だったとのことだ。ロシア革命のときに一時独立したこともあるという。だから、そもそもはロシアではないのだと言う。しかも更に話が複雑であるのは、イングリアというのは一つの民族による地域ではなく、様々な民族が入り混じっている地域とのことだ。イングリア・フィン人などもいるが、イングリアの独立運動とは、民族運動ではないと言う。イングリアとは政治的な地域概念であり、ここはロシアではないという思想なのだ。

例えば、チベットやウイグルの独立運動であれば私たちにも意味がわかりやすい。チベット人もウイグル人も明らかに中国人ではない。民族自決を求め、民族独自の独立国家を求めるのはごく自然なことだ。ロシアからの分離独立を求める運動も、チェチェン人やブリヤート・モンゴル人などのように民族運動であることが多いのだが、このイングリアの場合は事情が全く異なっている。繰り返しになるが民族運動ではないのだ。

では実態のない概念的な架空のものかと言うとそうではない。実はフォーラムでもウグリモフは発言の中で少し触れたのだが、イングリアの独立を求めて運動を行っている人々で義勇軍を結成して、ウクライナ軍の外国人部隊に加わる準備を進めているという。まずは小隊(30人規模)を結成するという。今月(8月)中にもウクライナに入り、具体的な話を進めようとしているとのことだ。しかもウグリモフ自身がその義勇軍に入るという。

ウグリモフは実は日本の弓道も体得しており、いかにも武芸者といったいでたちなのだが、「自分が行かなければ、他人を誘うことなど出来ないだろう」と当たり前のことであるかのように言う。さらっと言うが、これから戦場に行くということだ。そして、仲間と共に実戦経験を積み、さらに仲間を募り、引いては将来の戦いに備えようと考えているのだ。

プーチン体制を揺るがす好機

ウクライナ・ロシア戦争の戦場を、将来のロシアからの分離独立闘争の戦力準備に使うという考えはかなり共通して意識されているように感じた。ある意味では、この戦争を絶好の好機と捉えているのだ。ウクライナの戦争に加わり、ウクライナがロシアに勝利することに少しでも寄与することが、自分たちの独立のチャンスを引き寄せると考えている。戦争の帰趨がどうなるかはまだ全くわからない。だがこの戦争こそ、プーチン体制を揺るがす好機以外の何物でもないという考えは、多くの人から聞かれた。

チェチェン・イチケリア共和国亡命政府の軍も、自由ロシア軍団も、ウクライナに拠点を構え、実戦に加わり、戦力を増強していっている。ロシアからの分離独立を訴える他の民族地域からも大小の規模は様々であろうが、同じように「軍」を組織するチャンスとして加わる人々が集まっていっているのだ。

「ロシアの崩壊が早ければ早いほど、平和が近づく」とウグリモフはフォーラムでも述べた。話をしていて、ウグリモフはかなり正直な男だと私には思えた。彼ははっきりと言った。ロシアが崩壊し分裂した時には、かなりタフな状況になると。しかし、私たち今の世代がその苦難を味わうことになったとしても、次の世代においては、ロシアが分裂した方が世界はより良くなるというのがウグリモフの信念だ。ロシア分裂において想定される諸問題は認めている。それでも自分のことではなく、次の世代、次の次の世代の真の平和を実現したいと考えている。賛否はあるだろうが、そういう考えは十分に認められ得るものだと私は思う。

日本政府がビザを出さなかった事例

シェリプ外相(右)

ところで、本稿の冒頭で少し触れたが、実はフォーラム参加予定者に対して日本政府がビザを出さなかった事例があった。

チェチェン・イチケリア共和国亡命政府の「首相」であるアフメド・ザカエフ氏に対してもそうだ。ザカエフはロシア政府から国際指名手配されており、現在はイギリスに政治亡命している状況だ。また、2022年10月18日、ウクライナ最高議会(国会)はチェチェン・イチケリア共和国を「ロシアの一時占領下にある」として独立を承認した。そのザカエフは産経新聞に掲載されたインタビュー(ネット版7月11日、紙面7月15日)において、日本で行われるフォーラムへの参加を明言している。しかし、実際には来日出来なかった。日本政府からのビザが発給されなかったからだ。

この点について、来日してフォーラムに参加した同亡命政府の「外相」であるイナル・シェリプ氏にどう思うかを率直に聞いた。シェリプの答えはシンプルだった。

「ウクライナでの戦争によって世界は変わった。それまでの世界とは違う世界になったのだ。そのことがわからずに、前の世界に住んだままの人もいるということなのだ」

日本政府、外務省への直接的批判は全く口にしなかった。この件について日本政府への批判、非難は、他のフォーラム関係者からも全く聞かれなかった。このことも証言しておきたい。

プーチンの少数民族弾圧とウクライナ侵略

正直言って、ロシアが41にまでバラバラになるとまでは私には思えない。また、そうなることが日本の安全保障のためになるとも言えないと思う。しかし、ウクライナ・ロシア戦争の帰結次第ではプーチン体制に綻びが出るかもしれず、そのときにいくつかの地域がパラパラと崩れていくことも可能性としては無いとは言えない。そのとき日本はどうするのか。何の思考実験もせず、何のつながりももたず、ある日突然そのような状況が出た時にあわてふためくといったようなことがあってはならない。そうなってしまっては、中国に全てを持っていかれてしまうことになる。それこそが最も避けなければならないことだ。あらゆる方面に備えはしておく必要がある。

ソ連は崩壊し15に分裂した。スターリンの時代にそのような未来を予想したら、妄想と一笑されただろう。アジア・アフリカはイギリス・フランスなどの植民地から独立した。第2次世界大戦の前に予想できただろうか。同じように、ロシア連邦が永遠にいまの形であると断言できる理由などどこにもない。ロシアは100を超える民族を抱え、内戦も起き、現に独立を求める声があがっている。ロシア連邦からの独立を求める運動が妄想なのではなく、ロシア連邦という体制こそが力によって強権的に維持されたフィクションにしかすぎない、と言えなくもないだろう。「ひとつのロシア」という考えの方こそがプロパガンダだ、との言葉も多く聞かれた。ウクライナでの戦争次第では、何が起きても不思議はない。

チェチェンは二度の独立戦争でこの20年の間に30万人が殺されたという。何百年もロシア人に支配されてきた、と訴える民族の声も数多くある。ウクライナでの戦争におけるロシア軍の戦死者は少数民族出身者に割合として極端に偏っており、プーチンは少数民族弾圧とウクライナ侵略とを二重に仕掛けていると考えられてもいる。このウクライナでの戦争を、数百年を経て訪れた独立のチャンスとしなければならないと考える人々がいるという事実が現に存在しているのだ。

メンバーで国会見学

明石元二郎大佐によるロシア帝国内部の撹乱工作活動

最後に歴史を一つ振り返っておきたい。日本はかつて日露戦争に勝利した。もちろん、東郷平八郎大将の日本海海戦、大山巌元帥の奉天会戦、乃木希典大将の旅順陥落など陸海軍の大勝利があっての戦勝だが、それだけで勝ったわけではない。

忘れてはならないことは、明石元二郎大佐によるロシア帝国内部の撹乱工作活動が大きな成果をあげたことだ。明石大佐の活躍は陸軍10個師団にも相当する成果とまで当時言われている。実は、私はフォーラム初日の発言でこの明石大佐の話もした。日露戦争における明石大佐の工作活動による対ロ勝利を思い出す時、今回「ロシア後の自由な民族フォーラム」に対してロシア外務省が激烈な反応を示したことも、然もありなんと思えてくるのである。

感謝状

石井英俊

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