「肘折朝市」の歴史

夜明けとともにはじまる肘折の朝市は、温泉街がもっとも賑わう時間。そして、朝靄のなか各旅館から出てくる湯治客の「カラン、コロン」という下駄の音が響きます。

お客さんとの掛け合い

どんと腰を下ろした村のお母さんたちと「どっから来たんだ?」「ほれ、これ食べでんげ!」というかけあいが楽しく、温泉街に立ち並ぶ15軒の露店が旅人を誘惑します。

朝市の歴史は、自炊が基本のおかずの仕入れ

肘折の朝市は、江戸時代に近隣の村人が、湯治客相手の行商をおこなったのがはじまりと言われます。かつて、湯治客は米を持参して素泊まりし、料理は自炊が基本でした。そのため、朝市はいわば逗留の際のおかずの仕入れだったのですね。それ故、今でも多くの旅館には長期湯治客のために調理ができる台所があります。

朝市山菜

春は山菜、秋はキノコなどの山の幸がずらりと並び、村のお母さんたちが生産した最上地方の伝統野菜や漬け物、笹巻き(もち米を笹で包み黄な粉をつけて食べる山形名物)、しそ巻き(胡桃ミソを紫蘇で包んだもの)、南蛮味噌などの加工品も売られます。

その他にも、川魚やモクズガニ、野草、漢方薬の一種として使われるサルノコシカケやキハダ、マムシの丸焼きなどの珍品も売られ、この地域独自の食文化を見ることができます。

肘折朝市は雪解けから降雪期まで毎日開かれ、朝市のお母さんたちとの会話を楽しみに訪れる方々も多く、肘折温泉の名物となっています。

では、肘折の朝市は、江戸時代に近隣の村人が、湯治客相手の行商をおこなったのがはじまりと書きましたが、朝市として形作られた時期はいつなのでしょう。

朝市の歴史をひも解いてみよう!

「肘折歴史研究会」が立ち上がり、朝市について肘歴通信第2号に掲載されていますので、肘折朝市の歴史を物語るいくつかの資料を、時代を遡りつつ紹介します。

・ 昭和 22 年、肘折を訪れた歌聖 斉藤茂吉は、朝市を句に詠んでいます。~朝市に山のぶだうの酸ゆきを食みたりけりその真黒きを~

・ 大正 6 年 7 月、朝市を定義する「肘折市場規定」が制定されました。

・ 大正 6 年 6 月、肘折小学校 2 代校長 大場重次郎が著した「肘折温泉誌」に、朝市の様子が記されています。 ~野菜類も日々近村より持込み、早きは午前六時、遅きも午前九時には来りて、各旅館の前に群集す~

・ 明治 43 年、温泉土産として肘折の名勝・由縁を記した「温泉誌」には、当時の肘折温泉の見どころが紹介されているものの、朝市に関する記載はありません。

百年続く、肘折の素晴らしい景観

・ 明治 31 年、肘折を訪れた歌人 河東みどり悟切り刃、逗留・散策した 11 日間の事を詳細に記録し ておりますが、朝市の様子は一切述べていません。

・ 明治 28 年、「肘折温泉村則」が制定。一泊行商等の一部例外を除き、 肘折温泉街で他村の人間が店を開くことを取り締まりました。

お客さんとの掛け合い

これらの事実から推測すると、行商人は古くからやってきていたようですが、 現在のよう道路端での朝市が形作られたのは大正5年前後ではないかと推測されます。そして、「朝市」という呼称で、 毎朝の恒例行事として始まったのは大正6年(1917 年)7月からで間違いありません。

今年は現在の肘折朝市が形成されて106年目となります。現在は「肘折朝市組合」が組織され、承認された組合人のみが出店しています。

~肘折市場規定~

第一条、朝市と称し、毎日午前五時より十時まで、野菜類其他の日用品を一定の場所に陳列し販売するものとす

第二条、 開市期間は毎年四月より十一月まで八ヶ月間とす

第三条、 販売人は毎日一銭を地代として市場取締に納入するものとす

第四条、 本市場に取締一名、掃除夫一名を置き、諸務を整理す

第五条、 取締は名誉職とす、掃除夫は地代納入額の七分を給与とす

第六条、 地代の剰余金は取締に於いて保管す

第七条、 本則は大正六年七月十日より施行するものとす 右、大正六年七月三日決議ス

大正 6 年 7 月、朝市を定義する「肘折市場規定」より

(これまでの寄稿は、こちらから)

寄稿者 小林孝一(こばやし・こういち) 大蔵村 観光プロデューサー

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