WBCで大活躍、吉田正尚の一振りを支えた 阪神V戦士や球児から引く手あまたなトレーナーが西宮に

治療院を営む手嶋秀和さん。院内には選手の直筆サイン入りユニホームなどが飾られている=西宮市浜甲子園1

 3月に行われた野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、14年ぶり3度目の頂点に輝いた日本。大会史上最多13打点を挙げ、優勝に貢献したのが、昨季までプロ野球オリックス・バファローズの主軸を担い、現在は米大リーグ・レッドソックスでプレーする吉田正尚外野手(30)だ。力強いスイングでファンを魅了する吉田外野手。その体をケアし、活躍を支えてきたトレーナーが兵庫県西宮市にいると聞き、取材を申し込んだ。 (小野坂海斗)

 甲子園球場から南に約1キロ。住宅街の中に「甲子園スポーツトリートメント治療院」(同市浜甲子園1)はあった。院内には吉田外野手のほか、18年ぶりにセ・リーグ制覇を果たした阪神タイガースの選手らの直筆サインやユニホームなどが多数飾られている。

 

野球選手からけがを機に転身

 経営する手嶋秀和さん(41)は、高校までは選手として野球に熱中し、けがを機にトレーナーの道へ。2008年から12年間にわたり阪神タイガースの球団トレーナーを務め、20年1月に独立したという。

 09、17年のWBCは球団から派遣され、阪神OBの藤川球児さんや岩田稔さん、今季から大リーグに挑戦している藤浪晋太郎投手(オリオールズ)のケアを担当した。

 手嶋さんは21年1月、交流がある楽天イーグルスの西川遥輝外野手から沖縄での合同自主トレーニングに招かれた際、吉田外野手と知り合った。

 2人はプレーに関する話題などで意気投合。治療を任されるようになり、オリックスが日本一を達成した22年も、施術を通じて信頼関係を築いてきた。

 その年のシーズン終了後、吉田外野手は米大リーグ挑戦とWBC参加を表明。海外移籍1年目は調整に専念する選手が多く、異例の決断ともいえた。「本当に出るのか?」。けがなどの不安がよぎったが、本人の意思を尊重して年明けの自主トレに付き添い、万全の状態で大会を迎えた。

 だが、東京ドームであった準々決勝までの5試合で、吉田選手は右肩付近などに計四つの死球を浴びてしまう。相手から警戒されていたことの裏返しだが、手嶋さんは気が気でなかった。「頼むから当てないでくれ。大リーグ開幕前のけがだけは避けてほしい」。祈る思いで見守った。

 幸いにも大きな負傷はなかったが、日本代表の重圧からか筋肉は普段よりも張っていた。「大舞台ではこれくらい当たり前。ケアは俺に任せてくれ」と伝え、マッサージなどを施した。その間、吉田外野手はほとんど眠っていたという。「気を許していないと寝られないはず。トレーナーとしてうれしい限り」

 

「僕の中では正尚がMVP」

 米国に会場が移った準決勝以降、吉田外野手のケアはレッドソックスのスタッフに託し、手嶋さんは西宮市に戻って観戦。終盤までリードを許した準決勝のメキシコ戦での一打は、今でも脳裏に焼き付いている。

 七回裏、3点を追う場面で起死回生の3ラン-。チームを救う吉田外野手の一打に「打った瞬間、鳥肌が立ち、画面を見たまま動けなかった」と語る。

 吉田選手は大会ベストナインに選ばれたが「僕の中では正尚がMVP」と手嶋さん。現在もLINE(ライン)で連絡を取り、毎朝、レッドソックスの試合が気になって目が覚める。

 そんな手嶋さんの治療院では、プロだけでなく高校球児などの治療も引き受けている。

 「正尚を目指し、越えていく次世代がいる。野球をけがで諦めないよう支えるのが僕の役割」。言葉の端々から情熱が伝わってきた。

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