中世で医薬術の先進国はイスラム世界だった!?アルコールをはじめて治療に用いたのは誰?【図解 化学の話】

中世の科学技術は西欧よりアラブ・イスラムが進展していた

西欧での中世は、西ローマ帝国が滅亡した476年ごろから、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がオスマン帝国(トルコ)に滅ぼされた1453年ぐらいまでといわれています。この時代1000年、西欧の科学は停滞しました。「神」が中心であり、異論は圧殺され、民衆は抑圧されたからです。そのため、中世の科学技術は西欧よりアラブ・イスラムのほうが進展していったのです。8世紀に成立したイスラム・アッバース朝(750~1258年)の時代、首都のバグダードには、古代オリエントとギリシャの文化が融合した「ヘレニズム」(ギリシャ風文化)が、連綿と伝わっていました。シリアに受け継がれ、アラブ・イスラムへ伝播したプラトン、アリストテレス、ユークリッド、ヒポクラテス、ガレノスの知識や医薬術、インドのチャラカ、スシュルタの医薬術などです。

アラブ・イスラムですぐれた人物の名を挙げれば、まずペルシャ人のアル・ラーズィー(865~925年)が浮かびます。彼は古代ギリシャや古代インドの医薬に精通していたため、その進歩に貢献したほか、哲学・錬金術(化学)の基礎をつくりました。著作は記録されているだけで184冊以上といわれます。ですが、何といっても天才的なのは現ウズベキスタン・プハラ生まれのイブン・スィーナー(980~1037年)です。彼はイスラム世界が世に与えた当時の最高の知識人でした。 医薬術にとどまらない著作活動によって大学者と評され、「第2のアリストテレス」と呼ばれたほどです。イプン・スィーナーは、16歳で医術を志し、18歳ですでに名声を得ていたといいます。しかも、21歳で全20巻の百科事典『公正な判断の書』を著し、40歳で『医学典範』(図1)を完成させたのです。ユークリッド幾何学や2世紀エジプトのアレクサンドリアで活躍したプトレマイオスの天文学を学ぶなどその守備範囲は、数学・物理学・化学・博物学・音楽、クルアーン(コーラン)の注釈やイスラム教の神秘主義(スーフィズム)にまで及んでいます医薬術においてはガレノスの理論を継承して発展させ、ギリシャからアラブへとつながるすべてを網羅してアラビア医薬術を体系づけました。そうした偉功により、中世からルネサンス期までの西欧がもっとも影響を与えられた人物なのです。

アル・ラーズィー

ラーズィーはイラン生まれ。実用医学の初期の担い手で、はじめてアルコールを治療に用いる。脳神経外科学や眼科学の開拓者とも評価され、「小児医学の父」とも呼ばれる。

イブン・スィーナー

スィーナーはウズベキスタンのブカラ生まれ。英語圏ではアヴィセンナと呼ばれ、「アリストテレスと新プラトン主義を結び付けた」ことで西欧に多大な影響を与えた。

イブン・スィーナーが著した『医学典範』

『医学典範』の筆写。14-15世紀、中央アジアからイランにかけて支配したイスラム・ティムール朝時代のもの。

出典:『眠れなくなるほど面白い 図解プレミアム 化学の話』野村 義宏・澄田 夢久

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解プレミアム 化学の話』
野村 義宏 監修・著/澄田 夢久 著

宇宙や地球に存在するあらゆる物質について知る学問が「化学」。人はその歴史の始めから、化学と出合うことで多くのことを学び、生活や技術を進歩・進化させてきました。ゆえに、身近な日常生活はもとより最新技術にかかわる不思議なことや疑問はすべて化学で解明できるのです。化学的な発見・発明の歴史から、生活日用品、衣食住、医学の進化までやさしく解明する1冊!

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