家族経営の成功と失敗を経験

運送会社を立ち上げた当初は、軽油代は60円前後でした。それから14年後に2倍以上の価格になった時期がありました(現在は3倍になってしまいました)。
 地場輸送がメインでしたが、軽油代の高騰は私達の経営を圧迫させました。そこで私は、燃料サーチャージの導入を荷主にお願いすることにしました。2つの会社に受け入れていただくことができました。
 しかし、翌月にはその2つの会社には他の運送会社に変えられてしまいました。私の説明不足が原因だったのかと反省しました。
 地元の荷主が減ってしまい、落ち込んでいるときに一本の電話が鳴りました。1年前に会社のパンフレットを送らせていただいた、百キロメートル以上離れた会社からの電話でした。とても嬉しかったです。
 最初は民宿に泊まりながら荷物を運びました。その後、仕事の量がどんどん増えていきました。やがて新しい荷主も増え、今度はアパートを借り、新たな営業所も出すことができました。さらに、地元のドライバーも採用できるようになりました。
 それまでの私は、実家の玄関先に机を置いて仕事をしていましたが、18年後には本社営業所を建てることができました。
 2歳だった息子が二十歳になっていました。
 社員寮と本社営業所を借金せずに建てることができたことと、息子が大学を卒業したことを契機に、私の実家での役割はここまでと思いました。たくさんの困難を乗り越えた分、達成感も大きかったです。
 息子が大学を卒業した2カ月後に実家の運送会社を退職し、私自身のこれまでの経験を生かし、外の世界で一からやってみたくなったのです。

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