タイラーデザイン事務所 ~ クライアントの想いをトータルにサポートする、「多能工」としてのデザイナーとは

木工職人、革・布製品、帽子メーカーに日本画家…。

岡山県笠岡市大島中(おおしまなか)地区にある「シェアアトリエ 海の校舎(以下、海の校舎)」には、さまざまなジャンルの個性豊かな作り手たちが集まっています。

タイラーデザイン事務所(以下、タイラーデザイン)」を主宰する杉本和歳(すぎもと かずとし)さんも、雄大な瀬戸内海を望む創作の場に引き寄せられたクリエイターのひとりです。

身近なようで、その実なかなかイメージのわきにくいデザイン業界。

タイラーデザインの哲学に触れ、奥深いデザインの世界に一歩足を踏み入れてみたいと思います。

東京と笠岡、人との「出会い」が創造力を紡ぐ

タイラーデザインが入居する海の校舎。

2018年に閉校となった大島東(おおしまひがし)小学校をそのまま利用しています。

ノスタルジックな木造校舎と当時の面影がのこる教室、そしてどこか温かみのある杉本さんの作品群。

それらが相まってなんともいえない懐かしさを思い起こさせるような、そんなほっこりとした印象を受ける空間です。

海の校舎の立ち上げメンバーであり、その運営母体・NPO法人「海の校舎大島東小」の理事でもある杉本さん。

デザイナーを生業とし、個人事業主としてタイラーデザインの代表を務めています。

グラフィックデザインを中心にWebデザインや内装設計、プロダクトの企画・立案までも幅広く手がける、言わばデザイン界隈(かいわい)の何でも屋さんです。

海の校舎のマスコット、「海野つくる」くん

タイラーデザインの創業当初、仕事の中心は東京でした。

笠岡とのいわゆる二拠点生活をはじめることとなったきっかけは、いろいろな人とのつながりだと杉本さんは言います。

月に数回、生まれ故郷の笠岡に帰ってきていた杉本さん。

「ふるさととの連帯を将来的に持続させていくものは、一にも二にも強制力のある仕事での関係性だ」

そのように考え、定期的に笠岡にいることを意識して発信していたそうです。

そうした意識と行動からでしょうか、学生時代の先輩や笠岡市役所の職員など多くの人と「出会い」、地元笠岡での活動が増えていきました。

東京と笠岡とを往き来するスタイルが定着しつつあったころ、ふたりの人物との「出会い」が杉本さんにとって大きな転機となります。

サザンツリー」を運営する木工職人の南智之(みなみ ともゆき)さんと、革・布製品を製造・販売する「SIRUHA(以下、シルハ)」の藤本進司(ふじもと しんじ)さんです。

人口減少にあえぐ笠岡の地に創造力の光が降り注ぐ、そんな物語がスタートした瞬間。

海の校舎の生みの親たちの、運命的な「出会い」でした。

やがて杉本さんは仕事を含めた暮らしの軸足を、海の校舎のある大島中地区へと移していきます。

もちろん東京とのつながりも忘れません。

さまざまな人との「出会い」が織り成すタイラーデザインのクリエイティビティの軌跡(きせき)。

東京と笠岡の地に、しっかりと「デザイナー・杉本和歳」が根付いています。

タイラーデザイン事務所の哲学

都心と地方。

環境も文化も、流れる時間さえもが異なる二拠点で、日々独創的なデザインを生み出し続けるタイラーデザイン。

杉本さんにとって、そもそも「デザイン」とは何なのでしょうか。

キーワードは「多能工」でした。

「デザイン」への想い

「多能工」…。

聞き慣れない言葉です。

辞書的には、「施工において、特定の職種に限らずさまざまな仕事をこなすことのできる技能者」を意味するそう。

杉本さんは自身のデザインに対する姿勢やコンセプトを説明する際、この「多能工」という用語をしばしば引き合いに出します。

デザイン業界では、高度に分業化・専門化されたデザイナーが重宝がられる傾向にあるそうです。

たとえばグラフィックならグラフィックに、WebならWebにと、何かひとつ熟練の技術に特化したある種の職人ですね。

一方でタイラーデザインは、「ひとつながりのデザイン」にこだわっています。

ロゴ、フライヤー、パッケージなどの紙系デザイン、ホームページなどのWeb系デザイン、店舗設計等の空間系デザインなどを企画・立案段階からトータルにブランディング。

統一感を心がけています。

まさに「多能工」よろしく、多様な守備範囲をもったデザイナーこそが杉本さんのアイデンティティです。

「多能工」であるからこそ、クライアントに寄り添い対話を重ねながら、低コストかつスピード感をもって仕事を進められるとのこと。

とくに「地域」を相手にすることが多いため、最新で自分がもっともカッコイイと思うデザインに突っ走ってしまうよりも、お客さんの歩調に合わせることのほうが大事だと杉本さんは言います。

地方創生や地域おこしの理念とも相通ずるところがありますね。

そうしてともに歩んできた依頼主との間には、やがてほのかな仲間意識が芽生え、ずっと続いていく信頼関係ができあがっていくそうです。

ひとつのことを極めるよりもスキルを幅広く底上げし、お客さんにとって気軽に相談できるハードルの低いデザイン事務所を杉本さんは目指しています。

「デザイン」とは何か

プロジェクト全体におけるデザインの位置づけは基本的に下流である、と杉本さんは考えます。

主役はあくまでもコンテンツの中身だ、と。

デザインの表面的な役割は、「カタチを整え、オシャレにする」。

これは最低限デザイナーがおこなうべき職能とのことです。

しかし杉本さんはこうも言います。

そのもの自体に何が足りないのか、どんな問題が潜んでいるのか、どのような方向付けをなすべきなのか…、デザインにはそれらを発見・検証する機能が備わっている。

生産者の主張が強すぎたり、逆に見えにくかったりといった課題を発見し、正しい解決に導くためのツールだというのです。

そうした確固たる思想から、杉本さんは「デザイン」に全方位で向き合いたいと思うようになりました。

「多能工」としてプロダクトにイチからかかわることで、試行錯誤し、新たな気づきを得られる。

「デザイン」の可能性は無限大ですね。

自然と笑顔がこぼれる、そんなデザインを目指して

杉本さんがデザインに求めるもの、それは「親しみ」です。

見ているだけで優しい気持ちになるような、そんな温かなデザインをいくつか紹介します。

本郷百貨店

東京都文京区にある本郷商店会

「個性あふれる店主というブランドがそろう百貨店」を旗印に、「本郷百貨店」と題して3か月間の商店街振興キャンペーンイベントが催されました。

2015年のことです。

杉本さんはプロジェクトの中心メンバーとして企画全体の立ち上げからディレクションまでを担当。

他のデザイナーやカメラマン、ライターたちと協働し、フリーペーパー、ポスター、買い物袋、包装紙、店主さんたちの似顔絵が描かれた街灯フラッグなどを作製しました。

商品・サービスの紹介はせず、インタビューを通じて店主自身の「人の魅力」を引き出している点が特徴です。

2015年のグッドデザイン賞受賞、ならびに2016年の日本タイポグラフィ年鑑入選を果たしています。

地域のデパートをかたどったインパクトのあるロゴマークが目を惹きますね。

シェアアトリエ 海の校舎

大島東小学校の閉校から約3年後の2021年、笠岡のはずれの小さな学び舎にふたたび命の光が灯されました。

海の校舎の誕生です。

運営5事業者のうちのひとりである杉本さんは、海と山に抱かれたシェアアトリエのトータルデザインを一手に引き受けました。

眼下に広がる雄大な瀬戸内海と、郷愁を誘う築60年以上の木造校舎。

両者を水平の線で緩やかにつなげてデザインしたロゴは、「クリエイティブの息吹」をシンプルながらも雄弁に語っています。

こちらも本郷百貨店同等、2022年には日本タイポグラフィ年鑑に入選しました。

また、海の校舎が主催するクラフトマルシェ「うみの市」関連のデザインも手がけています。

小野酒店

2016年の日本タイポグラフィ年鑑入選

杉本さんの知り合いの建築事務所が建物をリニューアルするきっかけで、キャッチコピーやロゴデザインなどのブランディングに参画することとなった、茨城県つくば市の小野酒店

ただ、ただ、惜しまず」をテーマに掲げ、手に入りにくい有名日本酒を数多くそろえる酒屋さんです。

ロゴマークは酒瓶の注ぎ口を強調することで、モダンな和の印象と歴史ある老舗らしさとの二面性を表現しています。

何事にも労を惜しまず取り組む小野酒店の姿勢を感じ取れるようデザインしたとのこと。

八百熊川

2021年の日本タイポグラフィ年鑑入選

重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)ならびに日本遺産の指定を受ける福井県若狭地方鯖街道の宿場町、熊川宿(くまがわじゅく)。

この山深い里にたたずむ古民家をリノベーションした宿泊施設八百熊川(やおくまがわ)です。

杉本さんの学生時代の先輩が地元・福井県にUターンし、熊川宿の一軒家をオフィス兼旅館として改築。

その折にタイラーデザインがロゴマークとWebサイトの作製を依頼されました。

八百熊川の想い、それは「神社仏閣や自然、食文化など、八百万(やおよろず)の神がつくる地域の恵みを感じてほしい」。

「八百」は「多い」を意味し、「八百熊川」は「熊川宿にある多くの魅力が詰まった場」をコンセプトにしています。

その土地にひそむ神々がひょっこりと顔を出し、こちらを見て招き入れているようなデザインが、神秘的でありどこかかわいらしくもありますね。

数々の魅力的なデザインを生み出し続ける杉本さん。

お話をうかがいました。

杉本和歳さんへのインタビュー

タイラーデザインを創業した経緯とは。

「仕事」として「デザイン」に向き合う意味とは。

杉本さんにその想いを語ってもらいました。

──もともとデザインに興味があったのですか?

杉本(敬称略)──

いわゆる「デザイン」という明確な意識はありませんでしたが、幼少期から何かをつくることが好きでした。

小学生のころは図工が得意科目でしたね。

服飾デザインの道を目指していたんですが、進学した大学は建築系

学部卒業後は大学院修士課程に進みました。

──大学院修了後は?

杉本──

大学・大学院が東京にあったので、そのまま都内の内装設計事務所に就職しました。

デパ地下にある洋菓子店などのインテリアデザインをやらせてもらいましたね。

そこを退職後はいろいろと食いつなぐ日々

デザインに関係しているしていないにかかわらず、派遣やアルバイトなどなんでもやりましたよ。

我ながらユニークだなと思うのは、工事現場での荷揚げ作業

毎日腕がパンパンで、身体もゴツくなりました。

この経験があるからこそ、「ビジネスで失敗したらどうしよう」みたいな不安は感じなくなりましたね。

肉体的にも精神的にもタフになった。

ほんと、大変だったけど懐かしく、人生の大事な時間だったと思います。

──苛酷だ…。グラフィックデザインの世界にはどのようにして入ったのでしょうか?

杉本──

知人の紹介で東京都文京区本郷のまちづくり活動をおこなう認定NPO法人「街ing本郷(まっちんぐほんごう)」とつながったことがきっかけです。

地域のゴミ拾いイベントを開催するので、チラシをデザインしてくれないかと頼まれました。

グラフィックデザインの知識も経験も皆無でしたが、直感的にチャンスだと思い二つ返事で快諾したのを覚えています。

報酬ゼロのまったくのボランティアでしたが、それがスタートでしたね。

2012年5月のことです。

その後も街ing本郷とは関係が続いていき、地域ブランディングの企画や文人・文豪の冊子づくり、ロゴづくりなどをやらせてもらいました。

「本郷百貨店」のプロジェクトも同じ団体と協働したものです。

ただ、やはり「仕事」として受ける以上は成果物のクオリティに対して責任が伴います。

グラフィックデザインは初めてだから…、などという言い訳は通用しません。

なので、独学ですが日々の勉強は欠かさなかったですね。

そのときの努力が後の笠岡での仕事にもいきているのかな。

──まさに「出会い」が活路を拓いたんですね!そして創業へ至ったと。

杉本──

はい。

ゴミ拾いイベントのチラシをデザインしたとき、いま見返すとなんとも稚拙で荒削りなんですが、すごく喜んでもらえたんです。

それがとてもうれしかった。

充実感ですね。

楽しい!と。

つねづね考えていることですが、仕事は「義務」でやるものでしょうか。

いや、そうではないんじゃないか。

そうではなくて、僕は「楽しむもの」だと思うんですよ。

楽しんでなんぼ。

では「楽しい」とは何か。

その答えが僕にとっては「多能工」、「ひとりでいろいろとつくれたほうが楽しいし、喜ばれる」ということだったんです。

そうした想いから、2013年に個人事業主としてタイラーデザイン事務所をスタートさせました。

おわりに

職人気質」という言葉があります。

頑固一徹、熟練の技術に絶対的な自信をもち、自らのスタイルを変えない。

そんなイメージです。

杉本さんの追い求めるマルチタスカーとしての「多能工」とは正反対に位置する概念だと、ずっとそう理解していました。

しかし、ふと思うのです。

多能工は「人」に特化した職人だ、と。

人と出会い、人に寄り添い、人の心を動かす。

そんな人間味が、温もりが、多能工の生み出すデザインからはにじみ出ています。

杉本さんは言いました。

クライアントに喜んでもらいたい

いくら洗練されていようとも、「人」の介在しないデザインに「人」を喜ばせる力はありません。

徹頭徹尾「人」を想ってこそ、デザインは魂を得るのです。

やっぱり、デザインって、オクブカイ。

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