レアル・マドリー、リーガ4位と低迷した19年前の「クセつよ選手」5名

20世紀に入ってからも世界屈指のクラブであり続けているレアル・マドリー。最も低迷したシーズンは2003-04の「4位」で、それ以降はすべて3位以内である。

今回はその2003-04シーズンにレアル・マドリーでプレーした「こんな選手いたな…」というスターを特集しよう。

ラウール・ブラボ

レアル・マドリー所属:2001~2007

レアル・マドリーの下部組織で育ったディフェンダー。主に左サイドバックを務めたが、時々センターバックでも起用されることがあった。2004年にはスペイン代表でもプレーしている。

ロベルト・カルロスがまだ健在だったためバックアップであったが、このシーズンはリーガで32試合に出場。レアル・マドリーでほぼレギュラーとしてプレーした唯一の年であった。

2007年に退団後はオリンピアコスへ移籍したが怪我のために多くの時間を棒に振り、実質活躍した期間は短かった。2019年には八百長とマネーロンダリング、薬物売買の犯罪組織に所属した容疑で逮捕され、執行猶予付きの懲役刑が言い渡されている。

サンティアゴ・ソラーリ

レアル・マドリー所属:2000~2005

レアル・マドリーの「銀河系軍団」時代は多くの選手が話題になったが、サンティアゴ・ソラーリほど無視されがちな者はいない。アトレティコから2000年に加入し、スーパーサブとして存在感を示した。

レアル・マドリーは苦戦したものの、この2003-04シーズンはソラーリにとってベストなものだった。34試合に出場して15試合がスタメン、5ゴールを決めた。

2011年にペニャロールで引退してからは指導者となり、2013年からはレアル・マドリーのユースやBチームのコーチを務めた。2018-19シーズンにはフレン・ロペテギの解任によりトップチームの監督を急遽務めていた。

ハビエル・ポルティージョ

レアル・マドリー所属:2002~2006

ラウール・ゴンサレスを超える天才と評価され、レアル・マドリーの下部組織から2002年にトップチームへと引き上げられたポルティージョ。12歳から7年で370ゴールを決めたという記録破りの選手だった。

2002-03シーズンは公式戦24試合で14ゴールと活躍したものの、この年は大失速。公式戦30試合で2ゴールと期待を裏切ってしまい、途中出場からインパクトを残せなかった。そしてこのあとフィオレンティーナとクルブ・ブルッヘに貸し出され、そのまま退団している。

エルクレスでプレーしたのを最後にスパイクを脱ぎ、2015年からスポーツディレクターに転身した。現在はラージョ・バジェカーノのチーフスカウト。

ボルハ・フェルナンデス

レアル・マドリー所属:2003~2006

レアル・マドリーの下部組織で育った生え抜きの守備的MF。マケレレが退団したこともあってこのシーズンは公式戦24試合に出場するなど飛躍を遂げたものの、ベッカムがボランチ起用されたこともあって主力になりきれず。

次年度はあまり出番がなくなり、後にマジョルカへのローンを経て退団。それからバジャドリー、ヘタフェ、デポルティーボ・ラ・コルーニャなどでレギュラーとしてプレーした。

晩年はインドのアトレティコ・コルカタでプレーするなど異色の経験をし、2019年に古巣バジャドリーで現役引退。そのまま指導者としてユースのコーチになった。

オスカル・ミニャンブレス

レアル・マドリー所属:2002~2007

個性的な名前の影響もあって非常に知名度があったミニャンブレス。レアル・マドリーの下部組織で育成された右サイドの選手で、2002年にトップチームへと引き上げられた。

いわゆる「ジダネス&パボネス(外部から獲得するスターと生え抜きの融合)」におけるパボネスで、2002-03シーズンは16試合に出場するなど大きな期待を受けた。

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ただ、このシーズンは1試合のみしかプレーできず、怪我のために離脱を繰り返すことに。それから長くリハビリとの戦いを重ねたものの回復できず2007年に26歳で現役引退した。その後はタバコ店の経営や解説者を務めている。

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