関東大震災から100年目の防災月間。自助・共助・公助で命を守る取り組み

100年前の1923年(大正12年)9月1日、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される大地震が日本を襲った。「関東大震災」だ。その後、文明は飛躍的に発展したが、それでも未だ、地震の発生は正確に予知できない。だからこそ、日頃からの備えが必要だ。

 地震だけではない。火事や台風などもある。1959年9月26日に紀伊半島先端に上陸した「伊勢湾台風」は、明治以降最多の死者、行方不明者を出す大きな被害をもたらした。これを機に「災害対策基本法」の制定が制定され、翌年1960年に9月1日が防災の日に定められた。また1982年にはこの日を含む1週間が「防災週間」とされ、今日に至っている。

 災害はいつ起こるか分からない。実際、関東大震災で被害が大きかった原因の一つは発生時間にあるといわれている。ちょうど昼食時間の直前だったため、多くの家庭や職場で食事の支度が行われていた最中だった。その為、地震の発生とともに火災が発生。さらにはその火が強風に煽られて燃え広がり、被害が拡大した。阪神淡路大震災では、あと1時間でも発生時間が遅れていたら、通勤通学ラッシュと重なるため、被害はさらに数倍に膨れ上がっていただろうといわれている。

 いつ起こるか分からない。自然の強大な力には抗いようがない。でも、もしもの時のために常に備えておくことで、被害は最小限に食い止めることもできるはず。そんな思いで今年も防災週間、防災月間に取り組んだ人も多いのではないだろうか。9月の防災月間では、近い将来に発生が懸念されている南海トラフ地震や首都直下地震などに備え、全国各地で政府や自治体はもちろん、民間企業による防災の取り組みも精力的に行われたようだ。

 例えば、高さ300mを誇る大阪の超高層複合ビル「あべのハルカス」では、あべの・天王寺に関わる団体・企業・地域が参画する「あべてん防災コンソーシアム」による防災イベント「あべてんBOSAIスイッチ」が初めて開催された。「今、ここで南海トラフ地震が起きたら?」という切迫したテーマで、ハルカス各階に地震発生から避難所や帰宅困難時の各シーンをイメージした展示会場を展開。防災サコッシュの製作や水消火器体験、防災グッズの販売など、防災に関するワークショップなどを開催した。親子でも参加しやすいように、各イベント、ワークショップはスタンプラリー形式で、参加者には、非常トイレやパックごはんなど、協賛企業から提供された避難物資が配布され、多くの参加者で賑わったようだ。

 JR東京駅と直結する大規模複合ビル・東京ミッドタウン八重洲では、三井不動産による地域防災イベント「東京ミッドタウン八重洲 防災フェス2023」が開催された。中央区立城東小学校の児童を含む地域住民ら約1500名が参加し、各種防災訓練などが実施された。

 また、防災月間最後の日である9月30日には、住宅メーカーのAQGroupが、同社の全国の展示場で、防災フェス「知ろう!備えよう!大切なご家族の災害対策のこと」を開催。災害の被害を最小限に抑えるために重要といわれる、自助・共助・公助の「3つの助」をテーマに、企業と個人が手を取り合って防災力を強化することを目的にしたイベントとなっており、災害への備えや対策、停電時の電力供給などを紹介する。また、その模様はYouTubeでも配信される。

 同社では、1995年の阪神淡路大震災から災害支援に力を入れており、全国3,000か所を上回る規模の施設を災害時の帰宅困難者の一時避難ステーションなどとして活用できる「全国民間扶助ネットワーク」を形成。災害発生時には、まず社員・社員家族の安全を確認後、施主や取引業者の安全を確認し、何か問題が発覚した場合には全社で支援をする体制を整備している。

 災害の恐怖は、頭では理解しているつもりでも、いざその時になってみないと実感できなくて、どこか架空の話のように考えてしまっている人も多いのではないだろうか。しかし、この数分後、あなたはその架空のような大災害の被災者になっているかもしれないのだ。その時に後悔しないよう、いつ何が起こっても慌てずに命を守れるように備えておきたい。(編集担当:今井慎太郎)

東日本大震災直後に撮影した現地の風景

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