津山恵子のニューヨーク・リポート Vol.17 日本女性=「ナデシコ」は差別につながる オペラ「蝶々夫人」の見直し続々

日本女性は美しく清楚な「ナデシコ」、アジア系は我慢強く従順という固定観念を変えようと、オペラ「蝶々夫人」(プッチーニ作、1904年初演)の新解釈公演が全米で相次いでいる。きっかけとなったのは、新型コロナ禍以来のアジア系市民に対するヘイトクライムの急増だ。  

9月14日、ボストン・リリック・オペラ(BLO)が新解釈のMadama Butterflyを初演したのを観に行った。蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンが結婚する1幕は、1941年のサンフランシスコ。2人は、チャイナタウンのナイトクラブで出会い、恋に落ちる。しかし、中国人歌手のふりをした日系人の蝶々さんには、第2次世界大戦の影が迫っていた。  

2,3幕は1944年、敵国市民として日系人が強制的に集められた収容所。蝶々さんとスズキは、病気の子供を看ながらピンカートンが迎えに来るのを待っている。原作の結末は、蝶々さんが自死を選ぶ。しかし、新解釈ではアジア系女性の自死ではなく、子供の病死、つまり日系人が収容所に入れられたという差別の悲惨な末路で幕が降りた。

ディレクターのフィル・チャン氏らオールアジア系アメリカ人の制作チームは、こう自問して準備を3年間進めてきたという。 「アジア系アメリカ人コミュニティに対するヘイトクライムが激増している今の時代に、アジア系女性が犠牲になって起きたこの悲劇の物語をどうやって表現したらよいだろうか」(チャン氏のプログラムノートより)

約120年前の日本人あるいはアジア人のステレオタイプを描き続けてもいいのか、それが差別のシステムにつながっていないか、という問題意識である。実際に、アジア系アメリカ人に対するヘイトクライムの被害者の68%が女性だ(2020、21年調べ)。

中国人スターのふりをして結婚する日系人の蝶々さん(中央)(BLO提供、Photo Ken Yotsukura)

一方、シンシナティ・オペラが7月に初演したMadame Butterflyは、オール日本人・日系人チームが制作。時代は現代で、日本好きなピンカートンがVRセットをつけて、ゲームの中で理想の女性、蝶々さんに出会う。  

舞台監督のマシュー・オザワは、プログラムノートにこう書いている。 「蝶々さんが日本人・日系人のアイデンティティだというふりをさせるよりも、彼女の物語がピンカートンという白人男性のレンズを通したものだったと、強調しようとした」  

この作品は、デトロイト、ピッツバーグ、ユタのオペラハウスと共同制作で各地での上演が予定されている。  

私はBLOの作品しか見ていないが、日系人の歴史を知っていても、新しい舞台装置と時代設定には少し混乱した。伝統的な蝶々夫人が、アジア人を差別する心理に影響していると知らせていくには少し時間がかかるだろう。  

一方、ドル箱のオペラを作り直したBLOとチームの努力と問題提起は、人権を重視し、前進していこうとするアメリカならではの挑戦だ。日本人は、蝶々夫人の舞台が日本であることをむしろ歓迎してきた節がある。しかし、グローバルな視点からは人権の問題を秘めた作品であることを思い知らされた公演だった。 (BLOのウェブサイトはこちら

津山恵子 プロフィール

ジャーナリスト。ザッカーバーグ・フェイスブックCEOやマララさんに単独インタビューし、アエラなどに執筆。共編著に「現代アメリカ政治とメディア」。長崎市平和特派員。元共同通信社記者。

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