2006年のワールドカップを最後に現役を引退し、旅人を経て日本文化や日本酒のアンバサダーとして活躍している中田英寿。
日本サッカーのパイオニアだった彼がともにプレーした選手たちの中で「最強のボランチ5名」を選んでみた。
5位:エメルソン
中田英寿とともにプレーしたクラブ:ローマ
他に所属したクラブ:ユヴェントス、レアル・マドリー、ミランなど
国籍:ブラジル
中田英寿が所属したローマで最も素晴らしかったボランチと言えば、それは誰もがエメルソンだと答えるだろう。
2000年にレヴァークーゼンから加入したブラジル人選手で、当初は外国人枠の問題で数ヶ月出場できないにもかかわらず獲得された。2001年にデビューするといきなり優勝に貢献し、その圧倒的な守備センスと切り替えの速さでファビオ・カペッロ監督の信頼を勝ち取った。
ローマを離れてからはユヴェントスに移籍し、恩師カペッロに誘われてレアル・マドリーにも所属した。2007年にミランでプレーしたときには全盛期を過ぎていたため存在感を見せなかったが、2000年代を代表する守備的MFだったといえる。
4位:ダミアーノ・トンマージ
中田英寿とともにプレーしたクラブ:ローマ
他に所属したクラブ:レバンテ、QPRなど
国籍:イタリア
クリスティアーノ・ザネッティやマルコス・アスンソンとも迷ったものの、イタリア代表での実績と印象の強さはダミアーノ・トンマージが上回る。
1996年にヴェローナからローマに加入した守備的MFで、モサモサの特徴的な髪型をした知的かつ勤勉で多彩なダイナモ。その存在はまさにイエス・キリストのような神々しさであった。
ローマでは長く守備的MFとして活躍し、2002年の日韓ワールドカップでもアッズーリの一員としてプレーした。引退後はイタリアサッカー選手協会の会長を務めた後、政治家に転身。現在はヴェローナの市長を務めている。
3位:マティアス・アルメイダ
中田英寿とともにプレーしたクラブ:パルマ
他に所属したクラブ:リーベル・プレート、ラツィオ、インテルなど
国籍:アルゼンチン
アルゼンチン代表で35試合に出場し、2回のワールドカップでもプレーした「7つの肺を持つ男」。無尽蔵のスタミナを武器に中盤を走り回った掃除屋ボランチで、決して大柄でもなく器用でもない選手でありながらも多くの監督やファンに愛された。
リーベル・プレートからセビージャを経て加入したラツィオで活躍を見せた後、2000年にパルマへと移籍。2002年夏にインテルへ移ったため、中田英寿とは1年のみのプレーだった。
引退後はすぐにリーベル・プレートで監督に就任。それ以降指導者として活動を続け、現在はギリシャのAEKアテネを指揮している。
2位:サブリ・ラムーシ
中田英寿とともにプレーしたクラブ:パルマ
他に所属したクラブ:モナコ、インテル、マルセイユなど
国籍:フランス
ローマ時代の選手たちやエンツォ・マレスカと迷ったものの、パルマ時代でもう一人選びたいと考えてサブリ・ラムーシをチョイスした。フランス出身でスキンヘッドの名ボランチである。
アーセン・ヴェンゲル監督が率いたモナコで活躍したあと、2000年にパルマへ移籍。中心的な役割を任され巧みなゲームメイクを見せた。2003年にはそれが評価されてインテルへと引き抜かれている。
2009年に引退後は指導者に。2012年にコートジボワール代表監督に就任し、2014年のワールドカップでは日本代表と対戦して勝利している。今年はカーディフ・シティの監督を務めて降格を回避したものの、半年で契約満了となっている。
1位:ガリー・スピード
中田英寿とともにプレーしたクラブ:ボルトン・ワンダラーズ
他に所属したクラブ:リーズ、ニューカッスルなど
国籍:ウェールズ
中田英寿が最後にプレーしたボルトン・ワンダラーズ。イバン・カンポやケヴィン・ノーランも捨てがたいところだが、やはりそこは故ガリー・スピードをピックアップ。
ヤング・リーズの一員として活躍した後、エヴァートンを経て加入したニューカッスルで長くプレー。そしてボルトン・ワンダラーズでプレミアリーグ500試合出場という当時の最多記録を更新した。様々なポジションをこなすリーダーシップに溢れたお手本のようなプロフェッショナルだったという。
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39歳まで現役を続けたあとは指導者となったが、ウェールズ代表監督を務めていた2011年11月26日に自宅のガレージで自殺。突如この世を去っている。