[食の履歴書]辻口博啓さん(パティシエ・ショコラティエ) 命のバトン受け継ぎ 菓子作りを極めたい

僕の出身地である石川県には、「ルビーロマン」という素晴らしいブドウがあり、初せりでそのブドウを50万円で落札したことがあります。2011年のことです。知事と対談した時に、知事が「石川県から世界に誇れるブドウを作るんだ」と語ったんですね。熱い思いを感じ取り、ならば初せりで出たブドウでお菓子を作ってみようと思ったんです。

いい値段で落札したためか、関係者の中には「ルビーロマンをよろしくお願いします」と、涙を流しながら頼んでくる人もいました。

「ルビーロマン」と認定されるには、1粒当たりの重さ、糖度など厳しい基準を満たさないといけないのです。大きい実をつけるため、たくさんのブドウを切り落として栄養を集めなければなりません。また、房の中で一つでも実が取れたりすると、名乗れないそうです。大変厳しい規制の中で作る農家の方々の情熱は、ものすごいものがあります。

その情熱を受け継いだ僕は、ブドウをどう活用すべきか考え、せりから数カ月ほど前に起きた東日本大震災で被災した子どもたちに食べてもらおうと決めました。地震のすぐ後に被災地に入った僕は、そこで出会った子どもたちのため少しでも役立ちたいと思っていたからです。

僕は能登半島地震(07年)を体験しています。その時は僕もボランティアとして多くの幼稚園を回り、子どもたちにケーキを振る舞ったんですが、全国各地から来たボランティアの皆さんが被災者のために働く様子を見て、感銘を受けたんです。

そこで東日本大震災の後、今度はこちらが恩返しをする番だと思いました。地震の10日後、トラックにお菓子を積めるだけ積んで、被災地に向かったのです。太平洋側は交通が遮断されていましたので、まず山形県に向かい、そこから山を越えて宮城県に入りました。

南三陸町に着きましたら、まさに地獄絵図のようでした。

体育館には、たくさんのひつぎが運ばれていました。お坊さんが5、6人、ずっとお経を上げ続けている中、子どもたちがひつぎを回りながら自分の親を探す。そんな情景を目の当たりにしたんです。

お菓子を関係者の方にお渡ししたところ、「せっかく来てくれたんだからスピーチをしてください」と頼まれ、壇上に上がりました。とても「頑張れ」という言葉をかけることはできず、「自分ができることはお菓子を作ることだけ。少しでも皆さんに安らかな時間をもっていただければと、お菓子を届ける努力をしたいと思います」と話しました。

僕は初せりで落札した「ルビーロマン」を使って、プチガトー(小さな菓子)を作りました。ブドウの実をそのまま丸ごとジュレの中に入れたんです。房についていた実と同じ数のお菓子を作り、それと同じ人数の被災地の子どもたちを石川県に招きました。老舗の宿に泊まってもらい、温泉に入って料理を食べてもらった後に、お菓子を振る舞ったんです。皆、すごく喜んでくれました。

「ルビーロマン」生産者の熱い思いと被災した子どもたちを結び付ける。それを実現できたことは、僕の人生にとっても意味のある出来事だったと感じています。

昔から僕は、お菓子作りには素材を生かすことが大切だと思っています。生産地によく行き、素晴らしい素材と出合ってきました。「湘南ポモロン」(トマト)、「紅まどんな」(愛媛県のかんきつ)などなど。これからもっともっと貪欲に生産地に行き、農家の方々といろいろな話をしながら、お菓子作りをしたいと思っているんです。農家の方が熱い思いで作った素材を使うことは、命のバトンを受け継いだということです。そういう意識を持ってお菓子作りを極めていきたいと思っています。 (聞き手・菊地武顕)

つじぐち・ひろのぶ 1967年、石川県生まれ。クープ・デュ・モンドなど洋菓子の世界大会に日本代表として出場し、数々の優勝経験を持つ。2015年にはNHK朝の連続テレビ小説「まれ」の製菓指導を務めた。オーナーパティシエ・ショコラティエとして、「モンサンクレール」(東京・自由が丘)などコンセプトの異なるブランドを多数展開。一般社団法人日本スイーツ協会の代表理事も務める。

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