なぜロバート・デ・ニーロは“コメディ映画にも出る”のか? オスカー2度受賞の名優が「マフィアなセルフパロディもOK」なワケ

『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』©2020 MARRO WWG LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

孫を失った傷心のデ・ニーロに寄り添ったNYの旧友

今年、2023年はアメリカの名優ロバート・デ・ニーロにまつわるニュースがいくつも報じられた。5月には、齢79にして7人目の子供が生まれたというニュースがマスコミをにぎわせ、同じく6月に第4子が誕生した83歳のアル・パチーノとともに超高齢の父親同士に注目が集まった。8月には、80歳の誕生日を迎え、9月29日からの三日間、地元ニューヨークでデ・ニーロの人生とキャリアを祝福したフェスティバルが開催されたようだ。

そして、それに先立つ7月には、最初の妻の連れ子で養子縁組した娘ドレナの息子、つまりデ・ニーロにとっては孫にあたる俳優レアンドロ・デ・ニーロ=ロドリゲスが19歳の若さで薬物中毒死したという悲しいニュースがあった。そして、マンハッタンのアッパー・イーストサイドにある礼拝堂で行われた葬儀の際には、同じニューヨークに住む古くからの俳優仲間であるハーヴェイ・カイテル、そしてクリストファー・ウォーケンが参列し、失意のデ・ニーロに寄り添ったという。

『ディア・ハンター』以来40年ぶりにクリストファー・ウォーケンと競演

デ・ニーロとウォーケンはともに1943年生まれで、どちらも現在80歳。生まれは二人ともニューヨークで、デ・ニーロはマンハッタン島、ウォーケンはイースト川を挟んでクイーンズのアストリア生まれ。デ・ニーロは10代後半に高校を中退して演技の道を志し、ウォーケンは子役として活躍した後に、ともに20歳代で映画に進出。

デ・ニーロは『青春のマンハッタン』(1968年)や『ミーン・ストリート』(1973年)、ウォーケンは『ショーン・コネリー/盗聴作戦』(1971年)で注目された。ちなみに、『ミーン・ストリート』の主演はハーヴェイ・カイテルだった。

そして、二人は『ディア・ハンター』(1978年)で初共演、製鉄の町ピッツバーグに暮らす幼馴染で、ヴェトナム戦争で生死の境を共にする親友同士を演じた。この作品でウォーケンは見事アカデミー助演男優賞を受賞、デ・ニーロの方も既に4年前の『ゴッドファーザーPARTⅡ』で同賞を受賞していた。

同じニューヨーク出身の同い年の二人は、演技者としても同じように栄光の軌跡を辿ってきたわけだが、私生活では親友同士となったものの、その後一緒に仕事をする機会は一度もなく40年が経っていた。

その二人が、2017年撮影開始の新作で40年振り二度目の競演を果たすという驚きのニュースが前年に報じられた。作品は『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』というコメディ。しかし配給会社が変わったことで公開が何度も延期され、2020年10月にようやく全米公開となった(日本公開は2021年4月)。

オスカー7度ノミネート・2度受賞の名優、コメディ映画への出演歴

デ・ニーロというと、若い頃から徹底的な役作りで演じる人物に成りきってしまうカメレオン俳優として知られ、アカデミー賞ノミネートは『ゴッドファーザーPARTII』(1974年)、『タクシードライバー』(1976年)、『ディア・ハンター』、『レイジング・ブル』(1980年)、『レナードの朝』(1990年)、『ケーブ・フィアー』(1991年)、『世界に一つのプレイブック』(2012年)と7度を数え、うち『ゴッドファーザーPARTⅡ』で助演男優賞、『レイジング・ブル』で主演男優賞を受賞している現代の名優だ。

若い頃に端役出演した『御婚礼 ザ・ウェディング・パーティー』(1968年)は例外として、基本的には、同世代の俳優たちの中でもアメリカ映画界の至宝というべき立場の彼は、ドラマにおいて演技力を要する難しい役を見事にこなす名優というイメージが強く、コメディ映画にはあまり縁がなかった。

『キング・オブ・コメディ』(1983年)はタイトルに反して誇大妄想狂の男の話だし、『俺たちは天使じゃない』(1989年)、『恋に落ちたら…』(1993年)、『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(1997年)などは作品としてはコメディに分類されるものの、映画の中で彼がコミカルな演技をしているわけではない。強いて言えば、『未来世紀ブラジル』(1985年)はコミック・リリーフ的な役柄だったし、『ミッドナイト・ラン』(1988年)は賞金稼ぎのデ・ニーロと彼に捕われた男とがニューヨークからロサンゼルスまで共に旅をする中で友情を育んでいくアクション・コメディで、実はデ・ニーロにはコミカルな演技が似合うのではないか、と予感させる作品だった。

50歳代後半以降に増えたコメディ映画への出演

そんなデ・ニーロがほぼ初めて本格的なコメディ映画でコミカルな演技を披露したのが、56歳の時に出演したハロルド・ライミス(『ゴーストバスターズ』シリーズの生みの親)監督・脚本の『アナライズ・ミー』(1999年)で、パニック障害に陥って精神科医ビリー・クリスタルの治療を受けるニューヨークのマフィアのボスというセルフ・パロディ的な役柄で新境地を見せた。

その後、同作品の続編『アナライズ・ユー』(2002年)、ベン・スティラーと共演した『ミート・ザ・ペアレンツ』シリーズ3作品(2000年、2004年、2010年)での元CIAのパパ役、『トラブル・イン・ハリウッド』(2008年)での周囲の人間に振り回される映画プロデューサー役、『マラヴィータ』(2013年)でのFBI証人保護プログラムによって一般人のふりをしている元マフィア役など、主として彼自身の代表作である『ゴッドファーザーPARTⅡ』、『グッドフェローズ』(1990年)、『カジノ』(1995年)、『ヒート』(1995年)などのセルフ・パロディをコミカルに演じる機会が格段に増えた。

アメリカの権威ある新聞や雑誌の映画批評家は、そうしたパロディ的な映画にせっせと出演するようになったデ・ニーロに対して“天から授かった演技の才能を浪費している”と批判しているが、『ミート・ザ・ペアレンツ』などは続編が2本も作られるほど大ヒットしており、つまりは観客からは支持されているわけだ。

英国の名優たちの哲学「名優だからこそ、どんな映画にも出る」

こうした、名優の誉れ高い俳優がコメディ映画やアクション映画など、一般に重厚なドラマ作品やシェイクスピア物より偏差値が低いとされる映画に平気で出演するのは、実は英国においては当たり前だった気がする。サー・アレック・ギネスは『スター・ウォーズ』シリーズ(1977~1983年)でオビ=ワン・ケノービを演じたし、サー・ジョン・ギールグッドは執事役を演じたコメディ『ミスター・アーサー』(1981年)でアカデミー助演男優賞を受賞し、その続編(1988年)では幽霊となって再び登場している。

アカデミー賞ノミネート10回(うち1948年の『ハムレット』で主演男優賞受賞)の記録を持つローレンス・オリヴィエ(一代貴族の男爵)も、『マラソンマン』(1976年)や『ワイルド・ギースⅡ』(1985年)のナチスの悪役や、ホラー映画『ドラキュラ』(1979年)のヴァン・ヘルシング教授役なども演じている。

つまり、名優だからこそ高尚な映画を選んで出演するというのでなく、俳優という職業である者は、自分が望まれて出演する以上、それがどんなレベルの映画であろうとも与えられた役柄に対して最大限の努力をして演じ切ることこそが務めなのだ、という哲学というか、どんな役柄であってもきちんとこなせる者こそが名優だという考え方だ。

コメディでも最善を尽くす!『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』

さて、話をデ・ニーロに戻そう。僕はデ・ニーロには30年近く前に一度インタビューしたことがあるだけだが、その時の印象は、演じることが好きでたまらない根っからの俳優、というものだった。ちなみに、大スターが持つオーラのようなものは彼には皆無で、こちらは一介の映画ジャーナリストに過ぎないものの、同じ映画という領域で仕事をする者同士対等で行こう、とばかりに「一緒にビール飲もうよ」と誘われてお付き合いした。

おそらく、彼にとっては英国の名優たちと同じく、そう呼ばれるからには高尚な映画だけを選んで出演するべきだというような考えは一切なく、くだらないと言われるコメディ映画だって巨匠の大作映画と同じように最善を尽くしたいのだろう。

『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』は、妻に先立たれて娘(ユマ・サーマン)一家に引き取られた老人(デ・ニーロ)が、自分の部屋を祖父に取られて屋根裏部屋に移らされた孫の少年から、部屋を取り戻すべく宣戦布告され、互いに相手を困らせようと度を越したいたずらを繰り広げる……というもの。

ウォーケンは、そのデ・ニーロとともに孫をやりこめるべく知恵を出す悪友の役で笑わせる。また、デ・ニーロが老いらくの恋に陥るスーパーのレジ係の年配女性役をジェーン・シーモアが演じているのも往年のファンには嬉しい限り。

80歳となった名優デ・ニーロが今後の10年間で、どんな映画でどんな役を演じるのか、どんな新しいチャレンジをするのか楽しみな限りだ。

文:谷川建司

『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2023年10月放送

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