月亭方正 ダウンタウンの影響が落語の根底「全てだと」 「笑ってはいけない」復活なら「全身全霊で」

40歳で落語家デビューして15年。月亭方正がこのほど、よろず~ニュースの取材に応じた。落語、テレビ、ダウンタウンに対する思いを語った。

お笑い芸人として人気テレビ番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」などで長く活躍していたが、「テレビだけ出て、芸がない」と将来について悩んでいた時に、東野幸治から勧められた古典落語の魅力に取りつかれた。

2008年に月亭八方の落語会で客演として落語家デビューすると、八方に正式に弟子入りし、月亭方正の名前をもらう。東京から関西に拠点を戻し、タレント活動を続けながらも、11月18日に大阪・天満天神繁昌亭で行われる林家菊丸、桂かい枝との三人会をはじめ、東西落語家との落語会、独演会などを積極的に開催している。

よろず~ニュースの取材に応じた月亭方正

当初は芸人=山崎邦正、落語家=月亭方正と芸名を使い分けていたが、2013年1月1日に月亭方正に統一した。「(なんばグランド)花月に出たときに、出番に『月亭方正(山崎邦正)』と書いてあって。花月の人は〝山崎邦正の方が分かるやろ〟と書いていたと思うんですけど、師匠から〝カッコ悪いやろ。山崎でも月亭でもどちらかにせいや〟と言われて」と理由を挙げた。

芸名を月亭方正ひとつにしたときはダウンタウンに報告した。「それまで名前を変えなかったのは、『ガキの使い』に本当に恩義があって。名前を変えることで、番組の空気が乱れるんじゃないか、和がおかしくなるんじゃないかなと。こっちは山崎邦正で行こうと思って」。テレビ番組での共演などで付き合いは30年以上となる2人の反応は思っていたのとは違った。

「〝うっとしいわ〟〝何で急に〟と言われるかと思ったら、全然でした。浜田さんには〝オモロイやん、頑張りやあ〟松本さんには〝おまえの人生やから、おまえで決めろや〟と言われました。よく考えたら2人とも、そんな小さい人間ではないので」。すんなりと受け入れてくれた。ただ、今でも2人からは「山崎」「山ちゃん」と呼ばれる。「月亭方正になろうが、俺たちは変わらへんしって、というか。だから、それがありがたいです」。変わらない空気感に感謝した。

ダウンタウンとの共演が自身の落語に与える影響は大きい。「それは全てだと思います。所作、顔のリアクション、間…。僕の落語の根底に流れているのは、テレビで培ったお笑い、センスだと思います」。芸人としてテレビで活躍した時の多くの経験が、大きな糧にもなっている。

大みそか恒例だった「笑ってはいけない」シリーズの復活を期待する声も多い。「もしやるってなったら、何も考えず全身全霊でやるのは決めています」と明かした。「あのパッケージを作った松本さんは天才やと思います」と今でも驚きを隠さない。普段、笑わせる立場の芸人が笑ってはいけない立場になる。松本が最初にこの企画を会議で上げた段階では「正直、何が面白いねん?」と内心思ったそうだ。

よろず~ニュースの取材に応じた月亭方正

テレビのレギュラーも抱えながら、落語会も頻繁に開催。多忙な日々を送っているが、苦にはならない。「八方師匠に言われて気づいたのが、芸事が好きだということ。落語に携わること、見るのも好きなんですわ。ラッキーなんですよ。めちゃくちゃ幸せだと思います」と胸を張った。「子どもたちには〝パパもいろいろとやってわかったけど、何が幸せの一歩を進めるかっていったら、とにかくやりたいことを見つけろ〟と言っています」と家族にも思いを伝えている。

ようやく自分の居場所を見つけた。「一番の目標は落語で早く自分を出したいです。まだ、どこかカッコつけて、精神的にスーツを着ているような感じで、舞台に出るときがあるんです。そんなん、パーッと脱いで裸の自分を見てもらうような。そこからが本物の噺家だと思っています」。理想の境地を目指して、大好きな世界で突き進む。

よろず~ニュースの取材に応じた月亭方正

月亭方正(つきてい・ほうせい)1968年2月15日生まれ、兵庫県出身。NSC6期生。1989年に「TEAM-0」というお笑いコンビで東京進出。1993年「TEAM-0」解散。ピン芸人として活動を開始。月亭八方に弟子入りし、2008年5月に八方の落語会に客演として落語家デビュー。打ち上げの席で八方から正式に「月亭方正」の名をもらう。2009年12月に上方落語協会加入。タレント活動では本名の山崎邦正だったが、2013年1月1日より芸名を「月亭方正」に統一した。落語家、タレントとして舞台、テレビで活躍している。

(よろず~ニュース・中江 寿)

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