国枝慎吾 かつて『車いすテニス』は、スポーツではなく“福祉”として観られていた…当時の厳しい優勝賞金も明かす

元車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾が29日放送の日本テレビ系『Google Pixel presents ANOTHER SKY (アナザースカイ)』に出演。テニスの聖地“ロンドン・ウィンブルドン”を訪れ、現役引退への想いを明かした。

2022年にウィンブルドン初優勝を果たした国枝は、今年1月に現役を引退。そのきっかけについて、「昨年ここ(ウィンブルドン)で優勝したことで、自分自身もテニスのキャリアに一区切りついたなってコート上で思えたので、引退を決意した大会にもなりましたね」と、思いを告白。さらに「東京パラリンピック終わってから、引退というものがすごく僕の中では迫っているなというのは思ったんですよ。ちょっと燃え尽きたところが、金メダル取って」と振り返り、「やっぱり思いとどまったのはこのウィンブルドンがあったからかな」と、持てる力を振り絞り挑んだことを明かした。

つかの間の再会を楽しんだ国枝慎吾(左)と、リオ2016パラリンピック金メダリストのゴードン・リード選手(右)

そんな国枝は競技人生を振り返り「テニスの試合って、当然自分とも戦わなきゃいけないし、相手とも戦わなきゃいけないし、僕の場合はそれにプラス“人の目との戦い”っていうものもすごく意識してやってた」と日々の努力を打ち明けた。「まだまだ車いすテニスの賞金はそれほど多くないので、特に僕が20歳くらいの時は1番でかい大会で優勝しても30万円くらい。遠征費とかも両親に頼っていた」と、順風満帆とは程遠かった時代を回顧。

その後、アテネ五輪での金メダルがテニス選手としての就職につながり、北京五輪での金メダルがプロとしての活動につながったという国枝は、「僕なりの責任の取り方っていうものが、やっぱり“勝つこと”だった」と、生活ができなければこの先プロの車いす選手を選ぶ人がいなくなると考え、“勝つこと”を使命として向き合ってきたと語った。

パラリンピックの扱いが“福祉”だった頃、「車いすテニスがスポーツとして観られることはないし、スポーツとして観てくれないとやっぱり面白さが伝わらないなって思ったので。その舞台に車いすテニスを上げていかないと、世の中に認知され広がっていくことはないかな」と考えていたという国枝は、とにかく勝ち続け認知度を上げることに尽力。「東京パラリンピックで、本当にたくさんの方々に車いすテニスを観てもらうきっかけがあって。ようやくその戦いが東京で終えられたかなって、僕の中では思ったんですね。それが引退の理由でもあります」と、車いすテニスをメジャーに押し上げた国枝は、使命を果たしたことを笑顔で明かし、締めくくった。

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