捜査員が激怒「これが危険運転でなければ、何が危険運転に当たるんだ」 酒を飲み時速140キロ、被害者を60メートルもはね飛ばしたひき逃げ犯は「過失致死」に問われた

大破した被告の車=李玲さん提供

 2022年11月、神戸地裁の法廷。あるひき逃げ事件の裁判が開かれていた。上下白色のスエット姿で現れた男性被告は、終始うつむいたまま。裁判でこういう態度自体はよくある仕草だ。不自然なのは、体を右にひねって自分の右足のつま先ばかり眺め、視線を外そうとしないこと。理由はすぐに分かった。傍聴席の左側に、遺影があるからだ。被害に遭った若い男性の写真。視界に入らないようにしているようだ。
 裁判記録によると2022年6月3日未明、この被告は飲酒後、助手席に20代の女性を乗せて車を運転した。女性の制止を振り切って赤信号を2回無視し、時速140キロ以上で走行し、三輪バイクに後ろから衝突。乗っていた神戸市の飲食業李泉さん=当時(34)=は即死した。しかも救護せずにそのまま走り去り、さらに車も乗り捨てて逃げた。あまりにひどい事件だが、被告に適用されたのは危険運転致死罪ではなく、過失運転致死罪だった。一体なぜなのか?(共同通信=力丸将之) 

亡くなった李泉さん=李玲さん提供

 ▽進路変更から3秒、弟は両親の目の前ではね飛ばされた
 まず、被害に遭った李泉さんの姉玲さん(37)の話や裁判記録から、事故前後の経緯を再現する。
 李さんは神戸市兵庫区で飲食店を経営し、夜遅くまで営業していた。両親も手伝っていて、事故当日の2022年6月3日未明もいつものように閉店作業を終え、李さんが三輪バイクに乗り、両親は別のバイクで走っていた。
 李さんは現場となる片側5車線の直線道路の第4車線を走行。右折帯のある第5車線へ車線変更した。ところがその直前、第4車線の後ろを走っていた車も第5車線に変更。後ろを走っていたこの車は時速140キロ超だったため、李さんの三輪バイクを回避できず、そのまま後ろから衝突。李さんは吹き飛ばされ、60メートル先の歩道付近にたたきつけられた。乗っていた三輪バイクは100メートル以上先まで飛ばされていた。
 李さん一家は約30年前に中国から神戸市へ移り住んだ。苦しい時期も、家族で支え合い必死に生きてきた。かけがえのない弟の命は、両親の前で一瞬のうちに奪われた。 

飲酒運転した被告が赤信号を無視して対向車線へ方向転換するため侵入した交差点=10月2日、力丸将之撮影、神戸市兵庫区

 ▽ドラレコに写る事故までの8分の真実
 この車は、なぜこんな無謀な運転をしていたのか。ドライブレコーダーには事故前後の約8分30秒の映像記録が残されていた。再現すると、次のようになる。
 同じ日の午前0時50分すぎ、車は神戸市兵庫区の繁華街近くにあるコインパーキングの敷地内にあった。運転席の被告と、助手席の女性の会話が聞こえてくる。
 被告「姫路に行こう」
 女性「○○(女性の自宅のある地名)に送ってくれる?」
 被告「大丈夫だよ」
 裁判記録によると、被告はこの時、2軒の飲食店で酒を相当量飲んでいるが、車を運転して、兵庫県姫路市の自宅へ帰ろうとしていた。女性とは飲食店で知り合ったという。車は約3分後に発進。ところが、まず出口の精算機に車をぶつけた。物損事故だ。 その後、車は路地を抜け、大通りに面した交差点前に着いた。
 赤信号で停車した被告。「おれ酔ってる?しらふやから」。ここで右折すべきところ、被告は誤って左折した。ここから、運転が急変する。
 左折して片側4車線の道路を少し進んで交差点に差しかかると、再び赤信号に。ところが、停車せずにUターンして対向車線へ入った。女性は恐怖を感じたのだろうか、「怖いって!アカンって!」と叫ぶが、被告は次の交差点でも赤信号を無視。その次の交差点の赤信号で、ようやく停止した。
 青信号に変わった直後、車は急発進する。事故の約40秒前だ。「止まって!本当に怖い!やめてって!」と懇願する女性の声が響く。
 道路はほぼ直線。車は時速約140キロへと加速。被告は前を走る車を抜かそうと、車線変更して交差点に入り、さらに右へと車線変更したとき、左から車線変更してきた三輪バイクが見えた。後ろから衝突。吹き飛ばされる李さんの姿が一瞬だけ映し出され、あっという間に視界から消えた。
 鈍い衝突音の後で、ボンネットから立ち上がる白い霧のような煙に視界が覆われたが、車はそのまま走り続ける。「やばいことになったな」とつぶやく被告の声。助手席の女性は叫び続け、自動車保険の会社へ自動でつながるガイダンスの音声が流れた。およそ40秒後、衝突現場から約670メートル離れた路肩にようやく停車した。
 「最悪やないかい!このまま姫路行くわ!」と被告は叫び、女性には別の場所で落ち合うと告げ、車を放置して逃走した。
 裁判記録によると、ほどなくして被告はパトロール中の警察官に見つかり、逮捕された。その後に検出されたアルコールの血中濃度は基準値の4倍以上だった。

李泉さんが飲酒運転の被告の車両に後ろから追突された交差点。奥にある公園の歩道近くで李さんが倒れているのが見つかった=10月2日、力丸将之撮影、神戸市兵庫区

 ▽これが危険運転じゃないなら、何が危険運転なんですか!
 法廷で傍聴していた私は、あまりにひどい状況に絶句した。同時に、なぜ被告の罪が「過失運転致死」なのか疑問に思った。これは危険運転ではないのか。なぜ危険運転致死罪が適用されないのか。
 捜査関係者によると、兵庫県警は当初、危険運転致死容疑で送検しようと神戸地検と協議した。ところが地検は、立件は困難と判断。県警側は困惑した。ある捜査員は思わず「これが危険運転でなければ、何が危険運転に当たるんですか!」と、声を荒らげたという。
 逮捕から10日とたたないいうちに、姉の玲さんは検事から「過失運転致死罪で起訴する方針」と告げられ、ショックを受けた。「検事には現場を見てほしかった。一つ一つの事件を重く受け止めて捜査してほしかった」
 遺族側代理人の吉井正明弁護士によると、検察が危険運転致死罪での立件を断念したのは、被告が逮捕後の取り調べでふらつかずに立つことができたこと、事故までに蛇行運転をしていないことなどが理由だった。これに対し、吉井弁護士は「事故に至るまでの男性の行為やアルコールの影響を積み重ねれば危険運転致死罪で起訴できる」と反論。神戸地検に意見書を2回提出し、危険運転致死罪への変更を求めたが、判断は覆らなかった。
 神戸地検関係者は取材に「個別事案には答えられない」と答えた。一方で一般論としてこう説明した。「危険運転致死罪を適用するかどうかは、アルコールの影響と、車両が高速度で制御困難だったかを、分けて考えた上で判断する」
 分かるようで分からない説明だと思った。もう少し掘り下げてみたい。

 

李泉さんの三輪バイク=李玲さん提供

▽危険運転致死傷罪のはじまりと現在地点
 そもそも、危険運転致死傷罪はどのような経緯で設けられたのか。
 刑法では、車の運転による事故は「故意ではない」という前提で処罰されてきた。急速に自動車が普及し、飲酒運転が全面的に禁止されるようになったが、飲酒運転はなくならず、悲惨な事故も相次いだ。 やがて遺族たちが厳罰化を求めて立ち上がり、2001年に新設されたのが危険運転致死傷罪だ。その後の数度の法改正を経て、適用範囲の拡大や厳罰化が進んだ。
 具体的には、人を死傷させた事故で主に次のような点を満たす場合に危険運転致死傷罪が適用される。
(1)アルコールや薬物により正常な運転が困難な状態
(2)進行制御困難な高速度
(3)運転技能がない
(4)妨害目的
 ただ、「適用条件があいまい」「法律と一般感覚とが乖離している」といった批判は今も絶えない。
 2021年、大分市内の県道で、当時19歳の元少年が法定速度の時速60キロを大幅に超える時速194キロで走行、右折車に衝突し、乗っていた当時50歳の男性を死亡させた。この時も元少年は過失運転致死罪で立件されたが、納得のいかない遺族は署名活動を展開。警察と検察が再捜査し、大分地裁は危険運転致死罪への変更を認めている。

神戸地検=10月2日、柴田裕一撮影、神戸市中央区

 ▽専門家の判断は?
 なぜ、神戸の事件には危険運転致死罪が適用されないのか。専門家に聞いてみることにした。元最高検検事で、交通事故に詳しい昭和大学医学部の城祐一郎教授は事故の状況に着目する。ポイントは「追い越し」だ。
 「高速度で走行することで他人に迷惑が及んでもしかたないという考えで運転した場合の事故であれば、妨害行為での危険運転致死罪は成立するかもしれない。(今回の事故は被告が)車線変更をして追い越そうとしたら、被害者も同様に車線変更をしてしまった。被害者が車の進路に出てくることを予想していなかったので、妨害行為による危険運転致死傷罪の成立も難しい」
 被告が時速140キロも出していた点については「追い越しの際に速度を上げることは誰でもすることであり、速度を上げすぎてもそれほど非難されることではない」
 一方で、城教授は、過失運転致死罪でも重い刑罰を科すことはできると述べた上で、今回の司法判断について疑問を投げかけた。神戸地検は被告に懲役8年を求刑、神戸地裁は懲役7年の判決を言い渡し確定している。「とんでもない事件であり、法律上は15年まで求刑できる。神戸地検の求刑は軽いと言わざるを得ない」
 専門家にもう1人、話を聞いた。立命館大学法科大学院の松宮孝明教授は検察の判断は「妥当」と理解を示した。「検察が条文を厳格に解釈した結果だ」とみている。厳罰化そのものについてはこう指摘している。「受刑者の社会復帰を遅らせ、出所後の再犯にもつながる」

取材に応じる李泉さんの姉の玲さん(左)=2022年12月18日、力丸将之撮影、神戸市兵庫区

 【取材後記】
 飲酒運転による事故が招く結果の重大性や悲惨さをどれだけ報道しても、飲酒運転がなくならない。今回の事件の遺族は、事故から1年以上たってもなお苦しみ、司法判断に納得できていない。その不信感は検察、そして裁判所へも向けられている。姉の玲さんは量刑の決め方にも憤りを感じていた。裁判所は過去の量刑を参照した上で判決を言い渡すが、玲さんは私にこう語った。「判例が大事なら、AIが判決を下せばいいじゃない」。玲さんは控訴してもらうべく、判決後も神戸地検へ出向き、当時の公判担当の検事に訴えたが、結局、控訴はされずに確定した。

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