【年収の壁】に潜む“本当の壁”−−そもそも誰の問題なのか?

さまざまな意見が飛び交う中、どうやら「年収の壁問題」については、しばらく「特別待遇」を設けていくようです。今回は便宜上、パートで働く妻という設定で、年収の壁問題を解説します。「扶養内の場合、iDeCoやNISAをやらない方がいいの?」といった疑問にもお答えします。


年収の壁は誰の問題なのか

年収の壁が問題になるのは、いわゆる会社員・公務員の扶養の配偶者だけです。シングルマザーのように配偶者がいない方、あるいは自営業者にはそもそも「扶養」という概念がないので「年収の壁問題」は存在しません。

厚生年金に加入している事業所に働く場合は、厚生年金に加入します。ただ勤務時間が短い場合は、厚生年金に加入しないケースがあります。例えば、ご主人が自営業で妻がパートで働きに出た場合、勤務時間が短いために厚生年金に入れない際は、自らが国民年金に入り保険料を負担します。保険料は月約16,500円です。

この妻が、働き方の変更などにより厚生年金の加入条件を満たすと、厚生年金の被保険者となります。例えば給与10万円、年収120万円で厚生年金に加入すると、本人が負担する厚生年金保険料は、8,052円と国民年金被保険者の時よりも約半分で済みます。これは労使折半だからです。

本人からすると保険料の負担が減るだけではなく、厚生年金にも加入できるので、将来の年金も2階建てで受け取れるようになります。さらに国民健康保険ではなく、会社員の健康保険に入れるので、今まではなかった傷病手当金や出産手当金も受けられるようになります。このようなケースでは、「できるだけ厚生年金に加入して働きたい」という方が多いでしょうし、年収の壁問題は発生しません。

あるいは、なかなか正社員登用が難しいといわれるシングルマザーであっても、収入が上がり、厚生年金に加入して保障が手厚くなるのはとても喜ばしいことでしょう。

他方、自営業者の妻の場合は、働いていない時も国民年金保険料を負担します。保険料を支払わなければ、その分、将来の年金額が減額してしまいます。国民年金は20歳から60歳までの40年間、保険料の支払がすべて完了した人の年金額は約80万円ですから、仮に1年保険料の支払が滞ると、約2万円年金が減る計算になります。

事情があり保険料が払えない場合は、「免除申請」を行います。申請を行うと、保険料の支払は不要になりますが、年金額はやはり減額します。仮に1年免除を受けると、保険料を払った場合と比較すると半分、つまり増やせる年金額は2万円ではなく1万円のみとなります。

これは重い障害を負い、働くことができない方に対して対処される「法定免除」も同じで、この方々も保険料の支払が免除されている期間についての年金の増額は、1年あたり1万円にとどまります。

第3号被保険者はかなり特別な待遇

このように第1号被保険者と呼ばれる自営業者のパート勤務の配偶者や、配偶者がいない方にとって、厚生年金加入はプラスに働きます。政府はこの状況を後押しするために、これまで501人以上の大会社を中心に定められていた厚生年金加入要件である年収106万円を、2022年には従業員101人以上の会社まで広げ、2024年には従業員51人以上の会社にまで広げようとしています。このような、「働く人が等しく厚生年金に加入する」動きは「適用拡大」と呼ばれています。

そして、この適用拡大によって「困った」と言い出したのが、冒頭の会社員・公務員の扶養の配偶者です。

年金の被保険者区分では、第3号被保険者と呼ばれる方たちです。これまで年収130万円までであれば、夫の扶養でいられ、年金も健康保険も保険料を自ら負担せずにいられたのに、今回の適用拡大により、同じように働いていると年収106万円で厚生年金に加入することになり、今までと同じ収入だと保険料の負担が生じるため、「手取り」が減少してしまうのです。

実際には、年収が一定以上増えると手取りは増えていくのですが、現状と同額の収入では手取りが減ってしまうため、自らが厚生年金に入るより、働く時間を減らすなどして収入を控える「働き控え」が発生しているということを「年収の壁」と表現しています。

結果として人手不足に悩む企業が多くなることを懸念し、政府はいくつかの特別措置を設け、この壁を意識せずとも働いてもらえるようにと対策をとっており、それが日々の報道となっているわけです。

当事者にとっては、確かに大問題です。仮に給与10万円で厚生年金に加入したとしましょう。東京の協会けんぽで計算すると、厚生年金保険料が8,052円、健康保険料は介護保険料込みで5,791円、雇用保険料が350円、合計14,193円の負担が発生します。手取りの減少は生活に響きますから、それを嫌ってしまうのは理解できる気もします。

ただ、ここで短絡的に「働き控え」する前に、第3号被保険者の保険料免除の意味を確認しましょう。第3号被保険者は、年金保険料を一切支払う必要がありませんが、国民年金に加入したことになっています。前述したように、国民年金は1年間支払がないと、将来受け取る年金額が約2万円減る仕組みですが、第3号被保険者は保険料の支払が一切なくとも保険料を支払った人と同じ額だけ年金が受け取れます。

これは、申請免除あるいは障害者などの法定免除の方が2分の1しか受け取れないことに比べたら、破格の待遇と言えます。

時々、第3号被保険者の保険料は、配偶者が会社から天引きされて保険料を支払っているのだろう、と思っている方もいます。しかし、会社員の保険料は給与の額で決まるので、扶養の家族の有無、既婚・独身に関わらず保険料は同額です。これは健康保険、介護保険も同様です。あまり議論にもなりませんが、第3号被保険者が健康保険料、介護保険料の支払も免除されているという点も、かなり特異な立場であると考えます。

生活の環境はさまざまなのでなんとも言えませんが、要件を満たす働き方をするのであれば、厚生年金や健康保険、あるいは介護保険の保険料を負担するのは当たり前のことだと思うのですが、ここが「年収の壁」と問題視し、かつしばらくは特別待遇をすることでなんとか働いてもらおうという政府のやり方について、筆者は公平な判断であるとは言いがたいのではないかと思います。

よく「収入がないので専業主婦がiDeCoをすることは意味がないのか」というような質問をいただきますが、社会保険の扶養と異なり、税金の扶養は年間の収入の額で判断されます。妻の年収が150万円までであれば夫は配偶者特別控除が受けられますし、妻自身も年収103万円以上になると所得税が発生します。

従って、社会保険の扶養とは別に課税されるかどうかは決まるので、iDeCoの節税メリットの有無は年収の壁とは異なる視点から判断する必要があります。しかし長期の視点で見れば、「老後資金を準備する」目的なのであれば、掛金に対する節税メリット以外にも目を向けるポイントはあります。

確かに、事情があって今すぐには働けないという方もいるでしょう。でもその場合は「2年後は?」「5年後は?」「10年後は?」と、時間軸を持って考えてみるとよいでしょう。その上で、いま働きに出ることは難しいが、将来に備え資格取得の勉強をするなどといった行動は、自分の将来を変えるとても大きなきっかけになると思います。

なにより、人生には「まさか」がつきものです。配偶者が病気になるかもしれない、1人になるかもしれない、といった「まさか」に備える拠り所になるのは「稼げる力、経済的な自立」ではないかと考えます。

ぜひ、「年収の壁」と簡単に結論付けをするのではなく、ご自身の置かれた環境がどのようなものなのかも踏まえて、人生を見つめて欲しいと思います。ご自身の人生における経済的自立がメインとなれば、iDeCoだろうがNISAだろうが、やってみる価値はあるとの考えに至る方も多いのではないでしょうか?

年収の壁問題についても、目先の損得だけで判断するのではなく、ご自身が「人生をかけて手に入れたいものはなんなのか?」を優先して、今後のための行動を考えていただきたいと思います。

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