“アントニオ猪木”になる前、ブラジル時代を知る男の貴重な証言『アントニオ猪木をさがして』冒頭映像

©2023「アントニオ猪木をさがして」製作委員会

新日本プロレス創立50周年を記念して製作されたドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が、10月6日(金)より全国公開される。

挑み続けた男の真実に迫る

2022年10月1日に79歳で惜しまれつつこの世を去ったアントニオ猪木。日本を代表するプロレスラーにして実業家、政治家としてリングの内外で伝説的なエピソードを数々残してきた。偉人、カリスマ、挑戦者、変人、異端児、最強、英雄……果たして巨星・アントニオ猪木とは一体どんな人物だったのか?そして我々にとって、アントニオ猪木とはいかなる“存在”だったのか?

「元気ですか!?」「馬鹿になれ!」誰もが一度は耳にしたことのあるアントニオ猪木の発した“言葉”の数々を切り口に、“挑み続けた男・アントニオ猪木”の真の姿に迫っていくドキュメンタリー映画。本作の豪華出演者も話題に。現在新日本プロレスのリングで壮絶な闘いを繰り広げている棚橋弘至や、オカダ・カズチカ、海野翔太。彼らにとって伝説のプロレスラー・アントニオ猪木とは一体どんな存在なのか?同じく、新日本プロレスの田口隆祐と後藤洋央紀は短編映画に俳優として出演、猪木から力を貰った市井のある男の人生ドラマに花を添える。さらに、猪木の弟子でもあり、共にプロレスの一時代を築き上げた藤波辰爾、藤原喜明は真の猪木像を証言する。プロレス界以外からも、くりぃむしちゅーの有田哲平、講談師・神田伯山、俳優・安田顕、写真家・原悦生など錚々たる面子が出演する。さらに、ナレーション・主題歌を福山雅治が務め、猪木の入場テーマ曲「炎のファイター」を「炎のファイター~Carry on the fighting spirit~」としてプロデュースし、映画に令和の“闘魂”を注入した。

“アントニオ猪木”になる前を知る男の貴重な証言

映画冒頭の映像で、猪木が“アントニオ猪木”になる前のブラジル時代を知る男の貴重な証言インタビュー映像。アントニオ猪木こと猪木寛至は、1943年2月20日に神奈川県横浜市鶴見区で産声を上げた。家庭の経済状況が悪化したことがきっかけとなり、14歳の時に家族と共にブラジルに渡航し、サンパウロ市近郊のコーヒー農場で少年時代を過ごす。

1年半の労働契約を終えた猪木家は、コーヒー農園で蓄えた資金を元手に近くの土地に家と畑を借り、別の農業で成功を収める。一方で、陸上競技選手として1958年、1959年の全伯(全ブラジル)陸上競技選手権少年の部に出場した猪木は、砲丸(投げ)、円盤(投げ)の二種目で優勝するなど活躍。その際、ブラジル遠征中だった日本プロレス界の父こと、力道山の目に留まり、直接のスカウトを受けて1960年に帰国し、プロレスラーデビュー。

以降、同期のジャイアント馬場らとしのぎを削り、リングネームを“アントニオ猪木”に改名。その圧倒的なカリスマ性で、リング内外で多くの伝説を残すことになる。

映像では、そんな猪木が16歳頃にサンパウロ中央市場や青果市場(kinjo yamato)でトラックから青果類を荷降ろす仕事をしていた様子を目撃していたという、日系2世の内間政次氏(89歳)の証言インタビュー。

同時期に青果市場(kinjo yamato)で卸業を営んでいた内間氏は、「まるで映画のストーリーのようだ。ブラジルの市場で働いていた担ぎ屋の男が世界チャンピオンになったんだから。ファンタステックとしか言いようがない」と興奮気味に笑顔で回顧。そんな内間氏から私たちの知らない“アントニオ猪木”になる前の猪木がどんな人物だったのか、そしてどんな証言が飛び出すのか、猪木ファンならずとも気になる内容となっている。

またナレーションを担当する福山雅治が、猪木の波乱万丈の人生を落ち着いたトーンで、時に優しく時に熱く、見る者の心のひだに触れてくるように語りかける本作をご覧になりながら、あなたも“アントニオ猪木をさがして”みてはいかがでろうか?

「新日本プロレス旗揚げ記念日ステッカー」3週連続で配布!

映画『アントニオ猪木をさがして』の公開を記念して、「新日本プロレス旗揚げ記念日ステッカー」を、10月6日(金)から3週連続の期間限定で、入場者プレゼントとして配布される。

『アントニオ猪木をさがして』は10月6日(金)より全国ロードショー

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