過去にもいろいろあったアジア大会です/六川亨の日本サッカーの歩み

[写真:Getty Images]

現在、中国・杭州で開催中の第19回アジア競技大会。日本は10月1日の準々決勝、北朝鮮戦に2-1と勝ってベスト4に進出、4日に香港と決勝戦進出をかけて激突する。北朝鮮との試合に関しては、「選手にケガがなくてよかった」というのが正直な感想だ。

かつて北朝鮮は、82年の第9回インド・ニューデリー大会の準決勝後、審判への暴行から2年間の出場停止処分を受け、サウジアラビアとの3位決定戦も0-2の不戦敗になったことがある。今回も主審を取り囲んで主審の腕を振り払ったり、日本のスタッフから水を奪う際に殴るジェスチャーで警告を受けたりと、傍若無人な振る舞いは目に余るほどだった。果たしてFIFAが何らかの裁定を下すのか裁定を待ちたい。

さて今回は、そんなアジア大会の歴史を振り返ってみよう。大会がスタートしたのは1951年のこと。いまから72年も前の出来事で、日本は第1回大会から参加し、3位決定戦でアフガニスタンを2-0で下して3位入賞を果たした。とはいえ参加チームは地元インドや準優勝のイランなど6チームだった。

1958年には第3回大会を東京で開催している。ところが当時から「アジア最弱」と言われたフィリピンに初戦で0-1と敗れると、香港にも0-2で敗れて早々に姿を消した。初戦は今も文京区にある小石川サッカー場で開催され、第2戦は1964年の東京五輪のために建設された国立競技場で行われた。当時の東京でサッカーの試合会場になったのはこの2カ所に加え、後楽園(現東京ドーム)競輪場の3カ所しかなかった(東京五輪を契機に駒沢陸上競技場や三ツ沢球技場/現ニッパツ三ツ沢球技場、大宮公園サッカー場/現NACK5スタジアム大宮が誕生する)。

このアジア大会は、長らく日本にとって2番目に大きな目標だった。アマチュアだった時代、W杯は「参加する」のではなく「見る」大会だった。そこで一番大きな目標は五輪の出場と、そこで好成績を収めることだった。そしてアジアでは、アジアカップという大陸選手権があるものの、日本は75年の予選に初めて参加したが、香港と北朝鮮、中国に敗れて本大会への出場は果たせなかった。

その後、アジアカップは80年のクウェート、84年のシンガポール、88年のドーハの3大会の予選を日本は棄権する。なぜかというと、アジアカップと五輪本大会は同じ年度の開催となるため、日本は前述したように五輪の出場権獲得を最優先したからだった。一方、アジア大会は予選を免除されているためいつでも出場できる。日程的にこちらはW杯と同一年だが(今回はコロナ禍で1年延期しての開催となった)、Jリーグ以前の日本はW杯に出場することを最初から諦めていた。

転機となったのは、92年に広島で開催したアジアカップで優勝したことだった。しかし、このアジアカップも、本来は2年後の広島アジア大会のために広島ビッグアーチを建設するなど“プレ大会"として開催したところ想定外の初優勝を果たし、本来の目標だったアジア大会は準々決勝で宿敵・韓国に敗れてメダル獲得とはならなかった。

そんなアジア大会に変化が起きたのは98年の第13回バンコク大会あたりからだった。W杯と同一年に開催され、W杯の2~3ヶ月後の大会ということもあり、フル代表ではなく五輪世代のチームを送る国が増えてきた。そこで2002年の釜山大会から五輪と同じく23歳以下という年齢制限と、3人のオーバーエイジ枠を設けた(五輪の年齢制限は92年のバルセロナ大会から。代わりにプロの出場が容認された)。しかし五輪はアジア大会の2年後のため、21歳以下のチームで戦う国が日本をはじめ次第に増えていく。

2002年釜山大会は日韓W杯後、日本代表のコーチだった山本昌邦がアテネ五輪の代表監督に就任。その初仕事として釜山大会に臨んだ。前評判は高くなかったものの、快進撃を見せた日本は決勝戦に初めて進出。イランはOA枠にアリ・ダエイらフル代表のメンバーを擁していたが日本も健闘し、1-2の接戦を演じた。

そして2010年の南アW杯後の第16回広州大会では、関塚隆監督率いる日本が見事初優勝を遂げる。W杯後であり、Jリーグも佳境を迎えつつあったため、日本は山村和也(現川崎F)、永井謙佑(現名古屋)ら大学勢と、水沼宏太(現横浜FM)、山口蛍(現神戸)、東慶吾(現FC東京)らJの若手による混成軍だった。この第16回大会では、90年の北京大会からスタートした女子の部でも日本が初優勝を飾り、男女アベック優勝となった。

さらに18年の前回ジャカルタ大会でも日本は決勝で韓国に敗れたものの準優勝を果たしている。今大会も残すは準決勝と決勝戦の2試合となった。香港に勝てば、決勝戦の相手は韓国とサウジアラビアの勝者ということになる。果たして前回大会のリベンジとなるのか。まずは4日の香港戦に注目だ。


【文・六川亨】

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