パキスタン大洪水から1年。農村の子どもたちと女性に忍び寄った飢え

パキスタンで国土の3分の1が水没する大規模な洪水が起きて1年。国境なき医師団(MSF)が支援活動を続けるシンド州ダードゥ県で、洪水のあとに深刻な問題として浮かび上がったのは、人びとに広がった栄養失調だ。なぜなのか。どう支援したのか。現場からの報告を伝える。

移動診療所で栄養失調の子どもたちをスクリーニングするMSFのスタッフ=2023年2月 © MSF

3月と4月に南アジア全域で50度を超える猛暑を記録した2022年。猛暑に続いた異常なモンスーンは洪水を引き起こし、パキスタンでは1700人以上が死亡し、地域社会は壊滅的な打撃を受けた。気候変動が原因とされる洪水のあと、MSFはダードゥ県の遠隔地に、地域ベースの栄養プログラムを立ち上げた。2歳未満の子ども1236人と、妊婦と授乳中の母親224人が対象となった。 「これまで、テレビや新聞で世界の飢餓について耳にすることはあっても、それを実感することはありませんでした」とMSFの心理士バルダ・アフマドは言う。バルダはダードゥ県から南に車で4時間の大都市カラチの出身。貧困が蔓延し、平均賃金がこの国で最も低いダードゥの農村とカラチの環境は、大きく異なる。 「飢餓は病気を伴い、家族関係の問題もついてきます。単に食べ物を食べればいいという問題ではない。もっと感情的で、魂の奥底にあるものなのです」

洪水で失われた収穫——人びとは飢えと病気に

モンスーンの雨、氷河の融解、インダス川の氾濫。こうした複合的な要因によって引き起こされた洪水で、ダードゥ県も大きな被害を受けた。昨年6月から10月にかけての5ヵ月間、この地域の大部分は完全に世界から遮断されたのだ。 2回分の収穫が失われた。農村部で収穫がないということは、栄養価の高い食料を買う収入が得られないということだ。インフレが続いていたことも、人びとをさらに苦しい立場に追い込んだ。 MSFは洪水以前から、顧みられない熱帯病の一つ皮膚リーシュマニア症の治療で、ダードゥの地元当局を支援してきた。しかし、洪水が発生すると、活動の中心は緊急対応に変わっていった。

ダードゥでの洪水の様子=2023年2月撮影 © MSF

バルダは語る。 「ある父親が栄養失調の赤ちゃんを連れてきたことがありました。その子はひどい貧血で深刻な容態だったので、入院させるべきだと父親を説得しました。しかし、その家族の長老たちは、子どもが入院している間に付き添う大人の食費や滞在費を払うお金がない、と言って断ったのです。だから、その子は入院せず、その後どうなったか分からなくなりました。つらい一日でした。私はその日、たくさん泣くことになりました」
MSFは昨年、世界各地の入院栄養治療センター(ITFC)で、12万7400人の重度の栄養失調の子どもたちを治療した。しかしパキスタンでは、ITFCは保健省が管理しているため、MSFは外来診療に専念した。

チームは毎朝、MSFの車両に乗り込み、しゃく熱の中を2、3時間運転し、10カ所あるMSFの外来治療センター(ATFC)に向かう。ATFCはおおむね地域の簡易診療所に併設するかたちで設けられているが、屋根と壁だけの簡素な建物だ。そこで、患者への健康推進面や心理的な支援とともに、栄養面でのサポートを行う。

日本人スタッフの思い

「私たちは地元の保健当局と連絡を取り合って緊密な協力体制をつくりました。誰も手を差し伸べることのできない地域に焦点を当て、最も遠く離れ、貧しさにあえぐ地区で重度の栄養失調患者を積極的に探すことにしました」

ダードゥ県でMSFのプロジェクト・コーディネーターとして活動を統括する上西里菜子は、こう説明する。

活動拠点はできる限り患者の近くに設置したが、広大なダードゥでは人口が非常に分散しているため、中には最も近いATFCから15から20キロも離れた場所に住んでいる人もいた。

わずかなバイクタクシー以外に公共交通機関がないこの地域では、患者は治療食を手に入れるためだけに、往復でマラソンに匹敵する距離を歩く必要があった。

「弱い立場に置かれた人たちが、そんな距離を歩いて通い続けるのは困難ですし、新たな負担を増やしたくはありませんでした。そのため、最も遠隔地に住む患者には、2週間分の治療食を支給しました」と、上西は語る。

ダードゥ県の現場で活動する上西里菜子(中央) © MSF

治療食を渡すだけでは不十分

シンド州ハイデラバード出身でMSF健康推進チームのマネージャー、アニス・ビビは言う。

「肉や魚のような高価なものを食事に取り入れなさいと言うわけにはいきません。みんなそれがいいと分かっていても、買う余裕がないのです。栄養価の高い食品について私たちのアドバイスを辛抱強く聞いていたある女性は、最後に『でも、食べものが何もないんです』と言ったのです。本当に辛かった」

外来治療プログラムの対象となった子どもたちの4分の3は2歳未満だった。これは、妊娠期間中に母親が栄養不足だったことや、効果的な母乳育児が行われていない、さらに授乳中の母親に対する支援が足りないといった問題が、背後に潜んでいることを示している。

授乳中の女性を支援することは、母乳を通じて乳幼児が必要な栄養を取れるようにすることでもある。このプログラムには、授乳中の母親と妊娠中の女性計273人が参加した。

「畑で働く母親は、子どもに母乳を与えることができません。厳しい現実です。気温50度の畑に子供を連れて行く母親はいませんから。だから日中は、水と砂糖を少し入れた哺乳瓶を年長の子か義母に渡して、赤ちゃんに飲ませるのです」とアニスは説明する。

活動のかなめとなる治療食の提供は、単純な仕事ではない。MSFの医療的アプローチには、健康推進面と心理面でのサポートが不可欠だ。それなしに成功はおぼつかない、とアニスは振り返る。栄養プログラムを始めた当初、治癒に至った患者の割合が非常に少なかったという。

「非常に心配しました。間もなく、私たちが配った治療食を、誰が食べてもいいお菓子か何かのように思っている人がいることが分かりました。そこで、集落ごとに小規模の保健ボランティア委員会を組織し、これは重度の栄養失調児のための薬であることを何度も何度も説明しました。委員会の効果はとても大きく、プログラムの治癒率は向上しました」

ダードゥ県で農村の女性らに衛生管理やマラリア予防、栄養の取り方などについて説明するMSFのスタッフら=2023年2月 © MSF

心理士のバルダには、特に心を動かされた話がある。

「ある女性が、夫が栄養失調の子どもに治療食を食べさせようとせず、亡くなった先妻との間にできた健康な子どもたちに与えていると話していたのです。夫婦カウンセリングを通して、私たちはその男性に、妻の精神的な健康も重要だということを理解してもらいました。妻が幸せでなければ、妻が良い精神状態でなければ、家庭を守ることはできないからです。それから3週間後に女性と再会すると、女性の状態は良くなり体重も増え、子どもはよく歩いていました。これは、私にとって成功例の一つです」

深刻な急性栄養失調の症例が減るにつれて活動の量は減ったが、現場での日々の記憶はバルダの中に今も残っている。

「現場から戻ると、無感覚のような状態になってしまいした。今まではある意味で贅沢な暮らしをしていたのですが、現場で苦しむ人びとを見ると、彼らのために何もしてあげられないという罪悪感に駆られるんです。イライラもします。だから、自分でコントロールできることと、コントロールできないことをリストアップし、コントロールできないことについては、自分を平穏に保つようにしています。私には、彼らの境遇を変える力はありません。彼らの貧困をなんとかすることもできません。深呼吸をしたり、セルフケアをしたり、同僚と話したり、そうやって問題に対処しています」

栄養失調は、ダードゥ県では依然として公衆衛生上の問題であり、主に母親とその子どもに影響を及ぼしている。母子の栄養失調は相互に関連しており、適切な保健サービス(産前・産後ケア、予防接種、基本的な衛生管理、心のケアなど)を受けられない、あるいは不足しているといった、複数の要因がある。これらの問題は、異常気象の際、最も弱い立場に置かれた人びとにとって、より深刻になってくる。

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