没後30年 リヴァー・フェニックス 存命なら53歳 いまだ賛否両論の初主演作『ジミー/さよならのキスもしてくれない』

『ジミー/さよならのキスもしてくれない』© 1988 Island Pictures, Inc. All Rights Reserved.

リヴァー・フェニックスが亡くなってから今年で30年。“ジェームズ・ディーンの再来”と称されたカリスマ的な魅力と確かな表現力で一世を風靡したリヴァーは14作の出演作を遺し、23歳の若さでこの世を去った。

レッチリのフリーなど音楽業界にも友人の多かったリヴァー。彼の死の翌年にはニルヴァーナのカート・コバーンが27歳で亡くなり、90年代半ばのエンタメ誌~MTVなどは文字通り“大騒ぎ”だった。同じく彼の友人であったR.E.M.のマイケル・スタイプは当時、しばらく作曲ができなくなるほど気持ちが沈んでしまったと振り返っている。

もしリヴァーが存命ならば53歳。白髪まじりの彼を想像するのは難しいが、今年9月に59歳を迎えた盟友キアヌ・リーブスが現役バリバリでアクション映画に主演する今こそ、俳優リヴァー・フェニックスを振り返りたい。

イーサン・ホークとの友情、ガス・ヴァン・サントとの出会い

いわゆるヒッピー的な暮らしをしていた家族のもと、幼少期から演技の道に入ったリヴァー。弟ホアキンは言わずもがな、妹のレインやサマーも俳優として活動していて、サマーはケイシー・アフレックとの間に2子をもうけた。

映画デビュー作『エクスプロラーズ』(1985年)で共演したイーサン・ホークは同い年で、その友情はリヴァーが亡くなるまで続いたそうだ。のちにイーサンは、彼の衝撃的な死が“ハリウッドに飲み込まれないように”という自身の活動指針に影響を与えたと明かしている。

ご存知『スタンド・バイ・ミー』(1986年)で世界的な評価を得たリヴァーはプロモーションで来日を果たし、日本のお茶の間でも絶大な人気を集めた。アラフォー~アラフィフ世代ならば、映画出演時よりもだいぶ成長した彼がバラエティ番組にゲスト出演したことを記憶しているだろう。

誰が喧伝するでもなく“今世紀最大のスター俳優”という期待を集めた若者の、著しい成長を作品毎に確認することができた当時の映画ファンは幸せだった。ぐっと大人びた姿を見せた『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)、キアヌとの初共演作で陽性のコメディ演技に開眼した『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年)、演技観が180度変わったというガス・ヴァン・サント監督作『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)など、それぞれ全く違うリヴァーがそこにいた。

そんなリヴァーが『スタンド・バイ・ミー』の翌年に出演したのが、青春喜劇『ジミー/さよならのキスもしてくれない』(1987年)。すでに世界的な評価を得ていたリヴァーだけに、とくに後追いファンの間では賛否が分かれた作品でもある。

思春期まっ只中の初主演作『ジミー/さよならのキスもしてくれない』

まだ幼さが残るリヴァーが演じるのは、高校卒業後の進路に悩む主人公ジミー。あるヘマをしたことで進学資金を失ったジミーは父親にブチ切れられ、地元で就職するか父の母校に進むかという究極の2択を突きつけられる。そこでジミーはハワイに進学する恋人リサにくっついていこうと画策するが、そんな状況でも煩悩(主に性欲)には抗えず……。

撮影時のリヴァーは14~15歳と思われるが、だいぶ幼く見える。ゆえに性に奔放な少年を演じていることに違和感を感じてしまうかも。青春ドラマならではの多感な主人公だとしても看過できないほどのチャラさは因果応報すぎて感情移入が難しいが、そんなリヴァーが見られるという点でレア度は高い。

リヴァー自身の評価がすこぶる低いことでも知られている本作だが、この数年後には『~アイダホ』などのインディーズ作品に傾倒していくことを考えれば納得だ。それでも、ハリソン・フォードやヘレン・ミレンと堂々競演した『モスキート・コースト』(1986年)や『スタンド・バイ・ミー』の衝撃から、シドニー・ルメット監督の名作『旅立ちの時』(1988年)に至る過渡期のリヴァーが見られる、わずか14本のうちの1本として、ファンでなくとも観ておきたい作品である。

ちなみに、人気ドラマ『フレンズ』(1994~2004年)のチャンドラーことマシュー・ペリーも出演しているのでお見逃しなく。

『ジミー/さよならのキスもしてくれない』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2023年10月放送

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