結成26年トータルテンボス「M-1」の悔しさがバネに 藤田のツッコミが最初、関西弁だった理由

お笑いコンビ「トータルテンボス」の藤田憲右(47)と大村朋宏(48)がこのほど、よろず~ニュースのインタビューに応じた。今年、コンビ結成26年目とベテランの域に達した2人が、漫才に対する思いや魅力などについて語った。

コロナ禍で2020、21年と中断していた全国漫才ツアーが昨年から復活。今年は「おじさんず」と題して、静岡・沼津ラクーンよしもと劇場(10月7日)を皮切りに大阪・なんばグランド花月(12月15日)、東京・ルミネtheよしもと(12月22、23日)まで12都道府県13都市14カ所を回る。既に完売しているところもある人気ぶり。大村は「例年と気持ちは変わらないです。まあ、去年から復活したという意味では、コロナの影響もまだ強くあった去年が試運転だとしたら、今年は本格的にいきましょうかという感じですね」と意気込みをのぞかせた。

トータルテンボスの藤田憲右(左)と大村朋宏

お笑いの世界に入るきっかけは、大村が大学時代にテレビで見た当時人気絶頂のロンドンブーツ1号2号の番組を見て「楽しそう、やりてえ」とあこがれを抱いたことだった。小中学校の同級生だった藤田を誘い、2人でNSC東京校に入学。最初はネタをつくることも知らず、千原兄弟やジャリズムなどのビデオで研究した。関西人のネタしか見ていなかったこともあり、最初、藤田のツッコミは関西弁。藤田は「吉本に入ったら、そうしないといけいないのかなと思って」と理由を挙げた。

授業でネタを披露したが、先生からのダメ出しはネタではなく、藤田のツッコミに対してだった。「どこだ出身?」と攻められた藤田は静岡県出身を隠し「名古屋です」と微妙に関西方面へ寄せたという。さらに「そんな話し方じゃねえだろう。やめろ」と指導された。

藤田は「〝なんでやねん〟のツッコミはいいなあ、という関西弁コンプレックスがあったんですけど、そこから自分で地のツッコミをするようになった時に、初めて漫才が楽しくなって」と自分の形を見つけた。5、6年がたち「ガンガン自分の言葉をより強調して言うようになってから、関西の方がハマってくれて」と予想外の反響に自信を持つことができた。藤田が使い出した「ハンパねぇ」も認知されるようになった。

「M-1グランプリ」には2001年の第1回から出場。〝渋谷系〟漫才コンビとして注目を集め、04年決勝7位、06年決勝5位、ラストイヤーの07年は惜しくも2位に終わったが、その実力は多くの人に知られるようになった。当時は出場資格がコンビ結成10年以内。現在は15年以内となっている。

藤田は「5年間で伸びる、伸びないってめちゃくちゃ違うので、そこはすごいでかいと思います。(出場資格が)15年だったら、多分、取れていたと思います」と当時の悔しさを口にする。大村は「そこが高校野球じゃないですが、ゲームに期限があるっていうのはいいですね。ドラマを生みますよね」と振り返った。

トータルテンボスの藤田憲右(左)と大村朋宏

最大の目標を失った2人。それでも大村は「喪失感はめちゃくちゃあって。でも、そこで止まっていたらいけないし、何か動いて、仕掛けていかないと」と、すぐにコントツアー、漫才ツアーを開始することを決めた。藤田は「喪失感の塊だったので。1、2年はちょっと置いて、じっくり考えてから行きたかった」と前向きではなかったが、大村に引っ張られる形で渋々同意した。

漫才の魅力に取りつかれ、「M-1」の悔しさをバネにしながら、着実にキャリアを重ねてきた。大村は「コントと違うのは、俺と藤田との掛け合いでしかないので。身軽な感じでサーッと笑いを取る、そのパッケージが格好良くて」と言えば、藤田も「何も武器がなくて、自分たちのしゃべりだけで勝負するというのがいいですね」と語る。

センターマイク1本の舞台から、客席に笑いを届けていく。

トータルテンボスの藤田憲右(左)と大村朋宏

◆トータルテンボス 静岡県出身で小・中学校の同級生だった藤田憲右(47)と大村朋宏(48)が1997年に結成。NSC東京校3期生。M-1グランプリ2007準優勝、爆笑オンエアバトルチャンピオン大会3連覇(2008~10年)。テレビ、舞台などで活躍中。2017年からはじめたYouTubeチャンネル「トータルテンボスのSUSHI★BOYS」はフォロワー58万人。

(よろず~ニュース・中江 寿)

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