日立鉱山 人々の記録 閉山前後捉えた写真展 茨城・日立市出身の中井川さん 働く姿や歩み追った130点

日立鉱山に生きた人々の閉山から現在までを撮影した中井川俊洋さん=日立市宮田町

工業都市・茨城県日立市の礎となった日立鉱山の閉山前後を記録した写真展「日立鉱山に生きた人々」が、同市宮田町の市郷土博物館で開かれている。撮影したのは地元出身のカメラマン、中井川俊洋さん(63)。約40年前の現場で働く人々の姿や家族の暮らしぶりを捉えた写真のほか、「ヤマ」を降りた鉱員たちの歩みと現在までを追った作品約130点が並ぶ。

■密着

日立鉱山は実業家の久原房之助が1905年に開業し、その後日本四大銅山に成長。現在のJX金属と日立製作所のルーツで、茨城県の近代鉱工業の発祥となった。鉱量の枯渇から81年9月に閉山した。

中井川さんは女性誌を中心に活躍する報道写真家で、日大芸術学部時代にドキュメンタリーを専攻。卒業制作として日立鉱山の閉山に密着取材した。ヤマの人々と触れ合いながら坑内や鉱山住宅で毎日のように撮影を行い、84年に写真集を刊行した。

閉山後も「自分のことより、ヤマを降りた彼らの将来が気になって仕方なかった」という中井川さん。自らの就職活動は後回しにし、約3年かけて元鉱員の再就職先を訪ね歩き、シャッターを切り続けた。

■再会

約40年後。実家に眠っていたネガをデジタル化したところ、細部が表現され「当時とは全く違うものが写っていることに気付いた」。作品を昨年公開すると反響があり、今夏、再び元鉱員を訪ねてポートレートを撮ることにした。「皆、再び家族として迎え入れてくれた」という。

会場には閉山前後の記録として、最後に運び出された鉱石を囲む鉱員の姿や、重機で取り壊されていく選鉱場の様子、最後の「山神祭」で笑顔を見せる人々、鉱山住宅から引っ越す仲間を見守る住民の写真などが並ぶ。

再就職先で「その後」を捉えた写真は今回初めて発表した。アフリカのザイールや全国の系列鉱山で再び削岩機を握る姿のほか、保育園やゴルフ場などで慣れない仕事をこなす元鉱員の様子を紹介。今夏、40年ぶりの再会を果たした元鉱員15人の姿もある。

■出発点

特別展初日の9月23日は当時の関係者も来場。日立鉱山本山労働組合の委員長だった大町義弘さん(79)は「終わりを迎える寂しさと、最後まで掘った達成感の両方があった」と当時の思いを回顧。展示作品の中から亡き夫の姿を探していた及川晶子さん(85)は、ヘルメットと作業着姿で仲間と談笑する写真を見つけ「良い顔しているね」と懐かしんだ。

写真展を主催した同館の大森潤也学芸員は「ヤマの人々の懐に飛び込み、独自の視点で節目を記録した作品には強く訴えるものがある」と話し、中井川さんも「工業化の出発点になった場所で生きた人々をつぶさに追った貴重な記録。フィルムとのトーンの違いも楽しんでほしい」と来場を呼びかける。11月5日まで。

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