セツナブルースター - 少年季のイノセンス、青春の蹉跌を赤裸々に唄う不世出の3ピースバンド、結成25周年記念ライブを新宿LOFTで開催! 実に17年振りとなる新録音源をキセキのリリース!

コロナ禍がバンド再始動の一因でもあった

写真:山﨑穂高

──倉島さんは現在、故郷である長野在住なんですよね。

倉島:はい。2013年に戻ってきたので、ちょうど10年になります。

──家業を継ぐために戻ったと、『キセキ』の15周年記念インタビューでお話しされていましたが。

倉島:そうですね。自分は長男ですし、両親が高齢なこともあり、いずれは手伝わなければと思っていたんです。それで31歳のときに節目と考えて、実家へ戻ることにしました。

──故郷で再び生活することが自身の表現活動や創作意欲にフィードバックすることはありますか。

倉島:バンドを休止して以降もソロで弾き語りを続けてきたんですけど、東京でアルバイトをしていた頃とは仕事をする上で物事の見方や他者との接し方が変わってきましたし、新たに勉強させてもらった部分もあるし、その中で出来てくる楽曲はやはり多少変化があったように感じます。

──以前暮らしていた東京は、今はどんなふうに見えますか。

倉島:僕が住んでいたのは杉並区で、わりと閑静な住宅街だったんです。その当時、遊んだりライブを観に行くのは下北沢や吉祥寺が多くて、歓楽街である新宿や渋谷はライブ以外であまり行くことがなくて。ただ、このあいだ渋谷で弾き語りのライブがあったんですけど、あまりの街の変貌ぶりにびっくりしました。下北沢も、駅を出たらどこがどこだか全然わからないほど変わりましたよね。東京はやっぱり変化のスピードが早いなと実感しました。でも、東京はいまだに好きですよ。凄くエネルギッシュだし、刺激をもらえるし。

──2017年12月に赤坂マイナビBLITZで行なわれたライブは別として、セツナブルースターは2018年、2021年、2022年といずれも地元・長野のロックフェス及びライブハウスでのイベントに出演してきましたが、これは一貫して地元愛の賜物と言うか、東京ではなく長野でライブをやることに重きを置いてきたわけですよね?

倉島:意図してそうしたわけでもないんです。今はメンバー全員の活動拠点が長野ではないので、バンドでライブを行なうにもいろいろと準備が必要となるんです。3人でリハーサルをするにも楽曲制作するにも時間や予算がそれなりにかかってしまうし、その折り合いをなかなかつけづらくて。コロナ禍以降に長野でセツナブルースターのライブをやったのは、25年来お世話になっている地元のオーガナイザーからの一声があったからですね。ライブハウス存続のチャリティという側面もあったし、僕らもオファーを断る理由がありませんでした。今にして思えば良いタイミングでケツを叩いていただいたと言うか、お陰様でライブもソールドアウトできて評判が良かったし、お客さんにも凄く喜んでもらえたので、ここまでお膳立てしてもらったのなら、今後は外部的に担いでもらってステージに上がるのではなく自主的にバンドをやっていくべきじゃないかと思うようになったんです。

▲2018年、『OTOSATA ROCK FESTIVAL』出演時

──ということは、セツナブルースターの本格的再始動はコロナ禍がその一因でもあったと言えますか。

倉島:結果的にそうなりますね。2017年12月に赤坂マイナビBLITZでやったときは厳密にはセツナブルースター名義のライブではなく、僕のソロ名義でのステージだったんですけど、最後に7曲、セツナブルースターとして演奏させてもらって……あのときの会場の空気感、来場してくれた人たちの期待感の圧が凄くて(笑)、でもそうした環境でステージに立てることがとても幸せだなと実感したんです。その時点でまたバンドをちゃんとやりたいとは考えていたんですけど。

──その思いは、ベースの島田(賢司)さんもドラムスの宮下(裕報)さんも同じだったんですか。

倉島:同じでしたね。メンバーはみんな実家がこっちなので、毎年正月になると帰省して3人で会っていたんですよ。バンドが動いてなかったときもずっと交流は続いていて、会うたびに赤坂でのライブや地元でやったフェスの話が出つつ、「またバンドをやりたいよね」という話をしていました。レコーディングしてない楽曲もまだたくさんあるし、いつか必ず発表したいとも話していたし。その“いつか”がいつになるのかという話を続けていたところにコロナ禍になってしまって、その後、地元のライブハウスのチャリティ・ライブに出ることになって。話が本格的に動いたのはそれからですね。一度バンドとして動いたんだからやろうよ、落とし所をつけようよ、自分たちの中でちゃんと納得してやろうよ、って。その気持ちは3人とも一緒でした。

──3人が次の段階へ向かうために活動休止を決断したと、倉島さんが2008年当時のブログで書いていましたが、2017年にセツナブルースターとしてステージに立ったときは各人の成長や前向きな変化を実感できましたか。

倉島:感じましたね。20代半ばまでずっと一緒に音を鳴らし続けていたし、それまでも良いアンサンブルを奏でていたと思うんですけど、約10年ぶりに一緒にやってみてもまるで劣化していなかったと言うか。お互い年齢を重ねてもどっしり腹の据わった演奏ができたし、自分たちで演奏していても説得力を感じることができたし、それが楽しかったです。そこで劣化を感じていたら、「もう昔みたいに演奏できないんだな」とへこんでいただろうけど、やってみたらそうじゃなかったので。

写真:山﨑穂高

──宮下さんはTHE NAMPA BOYSのサポート・ドラマーとしても活躍されていましたが、島田さんもベースを弾き続けていたんですか。

倉島:島田はたまにこっちの飲食店でジャズ・バンドのセッションとかをやっていたそうです。宮下はドラマーとしてずっと走り続けているので、久しぶりに一緒にステージに立ったときもさすがの安定感でした。

──倉島さんがそれまでのソロ活動で培ったものが今のセツナブルースターに反映されている部分もあるのでは?

倉島:ありますね。ずっと唄い続けてきたし、唄うことを怠らなかったことは良かったと思っています。

──セツナブルースターを休止して、違うバンドをやってみようとは思いませんでしたか。

倉島:その選択肢はなかったです。名前を変えて違うバンドをやるだけの体力ももう残ってなかったですし、活動休止前夜はとにかく疲弊していましたから。

青は青でもまた違った深みのある青を見せたい

写真:山﨑穂高

──今回、東京では6年振りとなるセツナブルースターとしてのライブが新宿ロフトで行なわれますが、どんな経緯で開催を決めたんですか。

倉島:去年(2022年)の12月に渋谷のロフトヘヴンで弾き語りのライブをやった頃から、バンドとして東京でライブをやりたいと見据えていました。いまだにボランティア的に協力してくれている前事務所の代表から東京でライブをやらないかという提案もあり、僕らもその気でいたので、それもきっかけの一つではありました。気づけばとても盤石な協力体制が出来上がっていて、前事務所、イベンターのホットスタッフ・プロモーション、今回お世話になる新宿ロフトと、ライブをやるにあたって強力なバックアップをしていただけるようになったんです。それで計画的に布石を打つと言うか、バンドでのライブに向けて僕が弾き語りのライブをやり、そのライブ音源をリリースしたり…と、少しずつトピックを積み重ねていきました。

──並行して、島田さんと宮下さんとも定期的にスタジオ入りしていたわけですね。

倉島:はい。宮下が今、元PEALOUTの近藤(智洋)さんたちと一緒にmy funny hitchhikerというバンドをやっていて、そっちのスケジュールを優先しているので、その合間を縫ってリハーサルをしていました。島田はリンゴ農家で、時期によってはもの凄く忙しいのでなかなかスタジオに入れないんですけど、3人が集中して音合わせできそうな時期を見計らって新曲を書いたり、リハーサルをしたり、プリプロしたり…という作業をしていました。年間で4、5回できればいいかなというペースでしたけど。

──ライブのタイトルである『紺青』にはどんな思いを込めたのでしょう?

倉島:セツナブルースターというバンド名に“ブルー”=青という色がそもそも入っていたし、一貫して青春を唄い続けてきたバンド、若さゆえの青さを恥ずかしげもなく全力で唄ってきたバンドでもあるので、歩みを止めてしばらく時間が経ってからの深みのある青…ロイヤル・ブルーとでも言うのか、青は青でもまた違った青の色をお見せしたい、といったところです。

──今回はワンマンではなく、あえて対バン形式でやろうと?

倉島:活動休止前、新宿ロフトでは『Bang! Bang!! Bang!!!』という自主企画を定期的に打たせていただいていたし、もともと対バン形式の企画をやることに前向きなバンドだったんです。自分たちの好きなアーティストを呼んで、一緒に最高のステージを見せていきたいという気持ちが凄くあったので。今回はワンマンでいいんじゃないか? という話も最初はあったんですけど、せっかくワンマンをやるならボリューム的にアルバム・サイズのリリースをしたときにやりたいという思いが自分の中にあり、今回は若手のバンドを呼んだ形式でやりたいと思いまして。昨今のバンド事情に疎くなったこともあるし、また勉強し直す意味も含めて。それで今一緒にやりたいアーティストを一から探して、あえて対バン形式でやることにしたんです。

──オルタナ・バンドの新星と名高いKhaki(カーキ)との共演がすでに発表されていますが、その慧眼がさすがと言うか、意外だけど納得の選択だと感じました。面識があったわけではないんですよね?

倉島:面識はもちろんなくて、音を聴いたら凄く格好いいバンドだなと感じてライブを観に行ったんです。ライブを観たら案の定良いバンドで、これは間違いないと思って。ロックやパンクといった特定のジャンルに傾倒しているわけじゃないし、ギター&ボーカルの中塩(博斗)くんの頭の中で鳴っている天性のチューニングみたいなもの…それをどのフォーマットにも当てはまらない状態でアウトプットしている凄さに惹かれますね。コードワークとそこに載せるメロディの自由度の高さも尋常じゃないし、それでいながらシティポップのニュアンスやネオフォークっぽく昇華した部分も感じるし、僕の好きな要素を全部兼ね備えたバンドなんです。ステージから圧倒的なカリスマ性も感じましたし。

──『Bang! Bang!! Bang!!!』の他にも、セツナブルースターは下北沢シェルターで『咆哮とサイケデリック』という自主企画を定期開催してくださっていました。歌舞伎町移転後の新宿ロフトでは常連バンドと言っても過言ではありませんでしたが、ロフトやシェルターではどんな思い出がありますか。

倉島:東京でのライブは、ほぼロフトとシェルターでの思い出しかないですね。本当によく出させてもらいました。それもあったし、前事務所の代表からも「今度のライブはロフトがいいんじゃないか?」という提案をいただいたこともあって、今回は新宿ロフトでやらせてもらうことになったんです。ロフトでの思い出はありすぎるほどなんですが、今パッと思い出すのは、人生で一番緊張したライブがロフトだったことですね。メジャーが決まるかどうかのプレゼン・ライブが新宿ロフトで、メーカーや事務所の偉い人たちがまだ19歳になったばかりの僕らを観に来たんです。それまでライブで緊張することなんて一度もなかったけど、あのときばかりは凄く緊張しました。フロアの後ろのほうで観てくれればいいのに、前から3列目くらいに大人たちが大勢いたので(笑)。

▲上海PIZZA 時代

▲2002年

▲2003年

▲2006年

──他のライブハウスにはないロフトの特性みたいなものを感じたりしますか。

倉島:メインのステージとフロア以外にもちゃんとしたバーがあるという、ライブハウス・クラスでは圧倒的なサイズ感ですね。僕らも20歳になってお酒を飲めるようになって、ライブの後の打ち上げで飲める環境が当時凄くイケてると感じていました(笑)。ロフトで飲めるのが最高に嬉しかったですね。フロアでの打ち上げでも飲めるけど、バーの深海のほうに移動して飲んだり、ライブの後ももれなく楽しく飲めたのがロフトでの一番の思い出かもしれません。シェルターはお客さんとの距離が近いので、その臨場感の中でライブをやるのが醍醐味でした。シェルターもライブのない日によく飲みに行かせてもらいましたね。

バンドの在り方そのものを楽曲に投影した新曲「エバーグリーン」

写真:山﨑穂高

──今回の新宿ロフトでのライブに合わせて、2006年4月リリースの『イツカ・トワ・セツナ』以来となるスタジオ新録音音源「エバーグリーン」が10月5日(木)に配信シングルとしてリリースされます。6年振りの東京でのライブと17年振りの新曲発表をセットで考えていたわけですね。

倉島:そうです。当初から計画していました。

──新曲として何曲か候補がある中で「エバーグリーン」に絞ったのですか。

倉島:セツナブルースターとしての新曲を復活後に書き溜めたことはなくて、「エバーグリーン」は今回のライブに向けての書き下ろしです。久々のライブということで、迸る感情を一曲に絞って「エバーグリーン」だけ書き上げました。

──疾走感に溢れた小気味好いサウンドの中に憂いを帯びた旋律が滲んでいて、これぞセツナブルースターの真骨頂と言うか、バンドの真髄をギュッと凝縮したような一曲に仕上がりましたね。

倉島:そう言ってもらえるととても嬉しいです。セツナブルースターというバンドや今のメンバーの在り方を意識して、大きな意味で今回の新曲を「エバーグリーン」というタイトルにしたんです。バンドや自分たちに対して「色褪せたくないよね? 俺たち色褪せてるかな? どうかな?」と問いかけるイメージもありました。いつまでも瑞々しくありたいという願いを込めつつ。若い頃ではなく、この歳になってあえて「エバーグリーン」というタイトルの曲を完成できたのが良かったなと自分では思っています。

──しかも、一瞬という名の永遠、永遠という名の一瞬をテーマにしているのがニーチェの永劫回帰を彷彿とさせるし、時を経ても色褪せないもの=“エバーグリーン”を追い求め続けるのは若さゆえの青さを恥ずかしげもなく全力で唄ってきたセツナブルースターらしい命題でもあるし、楽曲自体がセツナブルースターというバンドそのもののように感じますね。

倉島:まさにおっしゃる通りです。バンドの在り方そのものを楽曲に投影した部分はありますね。“エバーグリーン”と呼ばれるものをテーマに曲を書きたい思いがずっとあって、それを形にするには今しかないと思って制作に着手しました。

──歌詞はだいぶ難航しましたか。

倉島:そうですね。言いたいことはあらかじめ決まっていたんですけど、どういう言い回しにしようか、言葉の端々で悩んだところはあります。あまりストレートに書きすぎると青くささが残ってしまうし、僕らももう40代なので、等身大の自分たちを落とし込みたいとも考えていましたし。

──不惑の境地に達して、誰しもが通過する青い季節特有の迷いや憂いを唄い上げていたセツナブルースターの楽曲を率直なところどう感じますか。気恥ずかしさを感じることなく、過去の自分たちもあるがままに受け止めているという感じでしょうか。

倉島:過去の曲をいま唄ったりすると、「当時はこんなことを考えていたんだな」と客観的に感じることが多くなりました。ただ、言うほど自分たちも変わってないと言いますか。活動休止してからそれぞれいろんな活動や仕事を経験してきたし、いろんな出会いと別れを繰り返してきたし、外面は一応大人をやってますけれども、中身や感性的な部分はそんなに当時と変わってないんです。10代、20代の頃のフレッシュさはないかもしれないけど、音楽を通じた表現、アウトプットの部分では今も同じあの頃のまま、全く劣化してないと感じています。あの頃の延長線上のまま40代になって等身大がちゃんとあるというイメージで、俯瞰して「少年季」を唄っています。

──新曲の「エバーグリーン」も等身大のキラキラした輝きがあるように感じます。それでもなおバンドと対峙する純真さ、音楽に懸けるひたむきさが発する輝きみたいなものが。

倉島:「エバーグリーン」をレコーディングして、最初にあがってきたラフミックスがわりとヴィンテージ感のある、どっしりしたシブい感じの仕上がりだったんです。きっとエンジニアさんが気を遣ってくださったと思うんですけど。でも今回に関してはもっとキラキラさせたくて、何カ所か直させてもらいました。深みのある青を若干明るくさせてもらったと言うか。

──デモのやり取りはネットでやるにしても、録りはどうしたんですか。長野に集まってレコーディングとか?

倉島:録りは東京へ行きました。宮下が別のバンドで使ったことのあるスタジオだったんですけど、そこの機材を下見したら面白い音が録れそうだなということで。実はKhakiもそのスタジオを使っているんです。

写真:山﨑穂高

──17年振りの新曲ということで、作曲とレコーディングにあたって気負いみたいなものはありませんでしたか。過去の自分たちのレパートリーに比肩するクオリティを保たなくてはならないというプレッシャーが絶えず付きまとっていたのではないかと思うのですが。

倉島:それは多少ありました。でも結局、作ってみないとわからないものなんですよね。何曲も書いて「これが一番いいかな」と判断するのも性に合わないし、自分が今アウトプットできる最大のものを形にすることしかできませんでした。タイトルは最初から「エバーグリーン」と決めていたので迷いはなかったんですけど。島田も宮下も負けず嫌いなので、きっと気持ちは同じだったと思います。過去の自分たちには絶対に負けたくないという気持ちは絶えずあったでしょうね。

──曲作りに関して、ソロとは違うスイッチが入ることがセツナブルースターの曲作りにはありますか。

倉島:ありますね。バンドじゃないと、この3人じゃないとできないことがあるし、3人でしか生み出せないサウンドを常に意識しながら曲を書いています。ソロの場合はアコースティック・ギター一本で完結するようなサウンドを心がけて作っていますけど、バンドだとアンサンブルを含めていろんなアレンジができますからね。

──赤坂マイナビBLITZでの実質的な復活ライブから6年、セツナブルースターとしての新曲を発表しなければという思いは絶えず頭の片隅にありましたか。

倉島:早く出したいと思っていました。セツナブルースターを改めて始動させるにあたって、やっと公式サイトやSNSを整備したんですけど、それまでの情報源は僕のブログ一本だけだったんです。そのブログにファンの方々からコメントをいただくんですけど、「新しい音源のリリースはないんですか?」としょっちゅう訊かれていたんです。それがずっと心苦しかったですし、「いつか必ず作りたいです」と返事をしながら何年も経ってしまったので、これでやっと約束を果たせたことになるので良かったと思っています。

思いの丈を全部ステージに載っけて血の通ったライブを届けたい

──「エバーグリーン」のジャケットには運動場の水飲み場の写真が象徴的に使われていますが、誰しもが幼少あるいは思春期の記憶の奥底にある風景のように感じますね。

倉島:セツナブルースターの楽曲に落とし込まれてきた景色の象徴のようにも感じるのではないかと。あれは僕が撮った某小学校の水飲み場の写真なんですけど、ああいう幼少期、思春期に培われたものや景色がセツナブルースターの楽曲の中に溶け込んでいるように思えるし、「エバーグリーン」のジャケットにはこれだろうと選んだのがあの写真でした。

──この「エバーグリーン」を足がかりとして、今後またセツナブルースターの新曲を期待しても良さそうですか。

倉島:(力強く)はい。もちろんこれからもバンドをやり続けますので。今度の新宿ロフトでのライブもそうですが、ここで終わりじゃ面白くないですから。今回は新旧大勢の方々のバックアップのおかげでライブ開催まで漕ぎ着けることができそうなんですが、これは変な意味じゃなく、各方面からお世話になりっぱなしで担がれてステージに上がるようなスタンスは、バンドとして本望ではないんです。やっぱり自分たちでしっかり企画して、ちゃんと計画を立てながら実行していかないといけない。どこまで自分たちだけの手でやっていけるかわかりませんけど、ひとまず次のステップ…それがシングルをもう1枚出すのか、EPサイズの音源になるのかはわかりませんけど、作品としてもうちょっとボリュームのあるものを出したいですし、それに伴ってワンマン・ライブもやりたいですし、われわれのスケジュール的にツアーはまだ難しいかもしれないけど、今の生活の中でできる範囲のことを精一杯やりたいと考えているところです。

──先ほど「レコーディングしてない楽曲もまだたくさんある」という話がありましたが、過去に書いた曲よりも今書き上げる新曲を優先して発表したい気持ちが強いですか。

倉島:強いです。昔書いた曲が楽曲的に悪いわけではないんですけど、そのレコーディングされていない曲というのはセツナブルースターの活動休止前夜に書かれたものが多いので、バンドとして一番迷いのあった時期だからなのか、いま唄ってみるとあまり味がしない、みたいなところがあるんです。その一方でとてもフレッシュに感じる曲もあるので、そうした曲は織り交ぜつつも、今後はまっさらな新曲を多めにして作品を発表していきたいです。

──活動休止前夜に感じていたもやもやしたもの、消化不良的なものとは結局何だったと思いますか。

倉島:それが何だったのかはわかりませんが、生活が大変だったというのが一番の実感でした。どう足掻いてもライブでお客さんが増えない焦りもあったし、それまで自分たちがやり続けてきたことに自信を持てなくなっていたのかもしれません。それで無理して売れ線を意識したわけではないけれども、作る曲が作為的になった部分はあっただろうし、バンドに向かう意識が空回りするようになってしまいました。

──そうした迷いが吹っ切れたのはいつ頃でしたか。やはり故郷に戻られてから?

倉島:そうですね。セツナブルースターとして最後にリリースしたのが『イツカ・トワ・セツナ』というアルバムで、それ以降、活動休止まで2年のあいだに書いた曲が10曲くらいあるんです。それが今の自分としてはちょっと微妙なのかな……。曲によっては自分たちらしくないと感じる楽曲もあるので。

──身の丈に合っていない感じがするとか?

倉島:そんな感じです。今はもう完全に吹っ切れているので、自分たちがもともとやりたかった音楽って何なんだろう? と考えられるし、それ以前に僕自身が本来やりたかった音楽とは何だったんだろう? という自分自身への問いがわりと明確になっていますね。音の感触としてはたとえばグランジっぽいことをやりたかったのかなとも思うし、その一方でボーカリストとしてはもっとフォーキーな歌を唄いたいとも思うし、その辺をハイブリッドした感じの曲を作れたらいいのかなと思っています。

▲2023年(写真:山﨑穂高)

──話を伺っていると、故郷の地に足を着けた今の環境がやはり好作用を及ぼしている気がしますね。時流に惑わされず、生活と音楽を共存させたバランスが倉島さんの本来やりたかった表現の基軸を支えているようにも感じます。

倉島:長野へ戻ってきた頃は所帯じみた曲にならないか心配だったんですけど、そこは少し気に留めました(笑)。でもそれがセツナブルースターの楽曲となれば3人の見解と言うか、メンバーが考えるセツナブルースターらしさみたいなものに相違はないし、今回の「エバーグリーン」も島田と宮下が「いいじゃん!」と言ってくれたので、それが一番嬉しかったし、自信にもなりました。この先、どこまでやれるかはわかりませんけど、まずはアルバムを完成させて、長野と東京でワンマンをできるくらいまで頑張りたいです。

──今はバンドとソロの両輪が相互作用する楽しみがありますか。

倉島:自分では両輪あることを特に意識してないんです。弾き語りもそれほどハイペースでやっているわけではないんですけど、バンドが休止してから個人の演奏活動を止めたくなかったし、そこで自分なりにやれたのが弾き語りだったんです。バンドが忙しくなればソロ活動は若干トーンダウンするでしょうけど、今は双方の活動が作用を及ぼしているところはあるでしょうね。ステージでの佇まいや見せ方はソロとバンドでは違いますけど、その違いを理解できたことよって双方の佇まいや見せ方もより良くなるんでしょうし。

写真:山﨑穂高

──最後に、新宿ロフトでのライブへお越しくださる方々へ一言いただけますか。

倉島:テンション上げていきます(笑)。実を言うと、ライブを目前に控えて今かなり緊張しているんですよ。でもそれ以上にもの凄く楽しみで。久しぶりのセツナブルースターを都内でがっつり観ていただけるのは今までずっと願っていたことだったし、ずっとやりたいやりたいと言い続けてきたことでした。いろんな人たちのバックアップがあって、今回こうしてやり遂げることができそうなんですが、人の手を借りていてばかりじゃダメだし、自分たちの意志と気持ちでイベントの内容を組み立てることにして……ここまで来るのにいろんな段取りがけっこう大変だったんですけど、そうした思いも含めて全部ステージに載っけて、「エバーグリーン」という新曲と共に血の通ったライブを届けたいです。月並みですが、観に来てくれた人たちにしっかり楽しんでもらえるような1日にしたいですね。

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