レプソル・ホンダと共に歩んだマルク・マルケスの11年。その栄光の軌跡を辿る

 10月4日、ホンダ・レーシング・コーポレーション(HRC)とレプソル・ホンダ・チームからロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦するマルク・マルケスが、2023年シーズンをもってチームから離脱することが発表された。MotoGPクラスで、通算59勝、101回の表彰台、64回のポールポジション獲得を果たし、通算6度のチャンピオンを獲得をマルケス。ここまでホンダと歩んだ軌跡を振り返る。

 2008年に125ccクラスからロードレース世界選手権デビューを果たしたマルケス。チームはRepsol KTM 125ccだったため、オレンジのレプソルカラーはこの時からすでに纏っていた。

 軽量級クラスにはKTMで2年間参戦したが、シングルフィニッシュの常連で通算2度のポールポジションと表彰台、ランキングは13位と8位だった。そして2010年はデルビにマシンを変更すると、才能が開花。17戦中12度のポールポジションと10勝を含む12度の表彰台を獲得。史上2番目の若さ(17歳と263日)でチャンピオンに輝き、翌年からMoto2クラスに昇格する。

 2011・2012年はMoto2クラスにTeam CatalunyaCaixa Repsolから過ごした。第4戦フランスGPで18歳と87日で初優勝を飾り、史上最年少優勝記録を更新。怪我での欠場もあったが彼の勢いが止まることはなく初年度は7勝を含む11度の表彰台でランキング2位となった。

 2年目は9勝を含む14度の表彰台で、最終戦バレンシアGPでは最後尾から全車をパスして優勝を飾るなどのパフォーマンスを見せてチャンピオンに輝き、軽量級と中量級での未練なくMotoGPクラスへと進む。

 2013年、最高峰クラスで名門のレプソル・ホンダ・チームに加入したマルケス。シーズン途中で引退を発表したケーシー・ストーナーに代わって、ダニ・ペドロサとタッグを組むこととなる。

 このクラスでもマルケスの勢いを止めるものはおらず、開幕戦カタールGPでいきなり3位表彰台に上ると、第2戦アメリカズGPでは初優勝を飾り、最高峰クラスの最年少優勝記録を更新。その後も勢いはとどまらず、ルーキーながら18戦中6勝を挙げて、史上最年少チャンピオンに輝いた。

2013年MotoGP第2戦アメリカズGPでMotoGPクラス初優勝を遂げたマルク・マルケス
レプソル・ホンダに加入した2013年はデビューイヤーで18戦中6勝を達成する
2013年MotoGP第18戦バレンシアGPで3位に入り、デビューイヤーでチャンピオンを獲得

 翌2014年は開幕10連勝という記録を残し、計13勝でシーズン最多優勝記録を塗り替えて日本GPで2連覇を達成。

2014年の日本GPでは2位を獲得したマルク・マルケス
ホンダの母国レースでチャンピオン連覇を成し遂げた

 しかし、2015年にはタイトルを逃すことになる。前半戦のリタイアが響いたこともあるが、当時パドックでは絶大な人気を博したバレンティーノ・ロッシがマルケスをライバル視。第16戦オーストラリアGPで同胞のホルヘ・ロレンソを助けたとしてロッシがマルケスを非難。第17戦マレーシアGPではマルケスとロッシが接触してマルケスがリタイア。

 決勝中ではあるがマルケスが執拗にロッシに近づいたり、接触時にロッシがマルケスを蹴ったように見えたことなどで大きな話題を呼んだ。ロッシにペナルティが下り最終戦でバレンシアGPで最後尾スタートとなったが、タイトルはロレンソが獲得。マルケスは5勝を挙げるもランキング3位で終えた。

 2016年あたりからは、これまで優勝しか目標になかったマルケスが“大人の対応”を見せ、無理することなく着実にポイントを稼いでいく。ヤマハ勢との対決を制して5勝でチャンピオンを獲得した。

2016年、日本GP初優勝を遂げ、もてぎで3度目のチャンピオンを決定したマルク・マルケス
マルケスが5勝を含む12度の表彰台に立ちチャンピオンを奪還する

 2017年からはドゥカティのアンドレア・ドヴィツィオーゾと一騎打ちに。最終ラップの最終コーナーで仕掛けるなどのバトルも展開。6勝でチャンピオンに輝くと、2018年は9勝に伸ばしてまたもチャンピオンになった。

 2015年は本調子ではなかったが、2013年から常にチャンピオン候補だったマルケスは、2019年には速さ、そして勝負強さも見せた。この年は第3戦アメリカズGP以外はすべて表彰台を獲得。19戦中12勝を含む18度の表彰台で420ポイントを稼ぎ、誰もマルケスを止める未来が見えなかったはずだ。

圧倒的な強さを見せた2019年は、第15戦タイGPで6度目のチャンピオンを獲得
多くのファンが駆けつけた母国GPの最終戦バレンシアでは12勝目を挙げ、レプソル・ホンダがチームタイトルを獲得

■最強時代から一転。試練のシーズンが続く

 しかし、2020年に転機が訪れる。2月20日にはHRCとマルケスが4年間の契約を更新……。しかし、コロナ禍となり開幕が遅れ、ようやくスタートした第2戦スペインGP(MotoGPクラスの開幕戦)で右上腕を骨折。

 すぐに手術を受けて、第3戦アンダルシアGPのメディカルチェックではなんと腕立て伏せを披露。フリー走行に出走するも欠場となる。以降も無理がたたりプレートの破損で再手術するなど復帰が遠のき、その後のレースはすべて欠場となる苦しいシーズンを過ごした。

 レプソル・ホンダ・チームとしては、初年度からマルケスのチームメイトだったダニ・ペドロサが2018年で引退して、後任にホルヘ・ロレンソが2019年に加入したがこちらもこの年で引退。2020年はアレックス・マルケス、2021・2022年はポル・エスパルガロとマルケスなしの同チームはマシンの開発に悩むこととなる。また、テストライダーもステファン・ブラドルが継続しているものの、国内チームは高橋巧と水野涼が海外レースに専念したために、2021年から長島哲太が務めるなどの体制変更もあった。

 2021年の第3戦ポルトガルGPでマルケスはレースに復帰して得意の第8戦ドイツGPで優勝。第15戦アメリカズGP、第16戦エミリア・ロマーニャGPでも勝利したが、ここから表彰台の真ん中に立つことはなくなった。

2021年MotoGP第16戦エミリア・ロマーニャGPで勝利を挙げたマルク・マルケス

 この後の、オフロードトレーニングの転倒で脳震盪と複視を患ったこと、2022年のシーズン中には4度目の右腕の手術を決断するなどの犠牲を払う。また、ドゥカティ勢の空力パーツや車高調整デバイスの開発も一気に進み、エースのマルケスが不在なこと、ライバルメーカーの進化でレプソル・ホンダ・チームは下位に沈むことになる。

 2022年のマルケスは、空力を新調した第18戦オーストラリアGPで2位表彰台を獲得したのみ。2023年も不振は続き、ホンダ離脱の噂が出るなかで迎えた第14戦日本GP。雨のレースで3位表彰台を獲得した。

日本GPで3位表彰台を獲得したマルケス。ロマンチックなレースだったと語っていたが……

 しかし、その3日後にHRCと2023年限りで契約の早期終了を決断。11年間過ごしたレプソル・ホンダ・チームを去ることが発表された。2023年シーズンも残り6レース、レプソル・ホンダで戦うマルク・マルケスの活躍に注目したい。

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