夫婦間レイプで禁固11年! 不同意性交罪という悪夢|荻原岳彦(東京拘置所被収容者) 私は妻への夫婦間レイプを否認しましたが、2018年3月22日に英国で有罪判決、11年の実刑となってしまったのです。最終的には4年8か月を英国で服役したのち、昨年、2022年11月11日に釈放、日本への帰国となりました。しかし、11月12日に成田空港に到着すると、警視庁愛宕署の刑事がおり、その場で逮捕されました――。

被害者の証言のみで十分

私の名は、荻原岳彦。45歳男性で、現在、小菅の東京拘置所にいます。

私の氏名をインターネットで検索すると、おそらく複数の記事が出てくることでしょう。私がロンドンで「女性」をレイプし、禁固11年の判決が下されたとされる話で、これらは2018年春頃に複数の週刊誌(『週刊新潮』 『FLASH』など)に出た記事のネット版です。

記事掲載当時、私はすでに英国の刑務所におり、事情を説明することもできず、〝死人に口なし〟でした。

私は大学卒業後、日本銀行、リーマン・ブラザーズ証券、メリルリンチ証券を経て、野村證券に転職。駐在員としてロンドンに在住していた2013年9月24日、日本人女性と日本法にて結婚しました。ネット記事に出ているレイプ被害者のCAというのは、当時の妻のことなのです。

「監禁した」などと書かれていたようですが、我々は当時、ロンドンで婚約者、そして新婚夫婦として同居していたのであって、監禁も何も、ただの同居であり、当然ながら、通勤や買い物のための外出も普通に行われていました。

英国では夫婦間でもレイプが成立し、レイプの証明は「あれは同意ではなかった」などという被害者の証言のみで十分なのです。

いわゆる、不同意性交罪ということなのですが、そこに細かい構成要件があるわけではなく、たとえば、英国における私の弁護人は私に会うなり、こう言いました。

「イギリスの刑事裁判は、陪審員から見て被害者と被告人のどちらが好きか、それだけ。証拠ではなく、感情。明確な証拠の出ない不同意性交(レイプ)では、特にそうだ」

また、陪審員が有罪・無罪の判決を議論するにあたって裁判官が陪審員に示したインストラクションは、「あなた方がこれをレイプだと思ったなら、レイプなのです」ということのみでした。なお、英国では陪審員は一般市民のみにより構成されており、そこに職業裁判官は入りません。

そういうことなので、ある日の性交渉は不同意(つまりレイプ)、しかしその翌日の性交渉は同意、ということでも話として受け入れられてしまうことが、英国における私の公判結果からもわかります。

そもそも、レイプがあったという2013年9月14日の10日後である9月24日に、我々は結婚しているのです。とんでもない矛盾ではないでしょうか。

ちなみに、英国では性犯罪に時効がないため、刑務所で会った英国人受刑者で、たとえば70歳代の人は50年前の20歳代だったころに交際していた女性から50年の時を経て訴えられ、刑務所に入れられていました。このようなことは珍しいことではなく、むしろザラでした。

東京拘置所

「警察に駆け込んだ」は嘘

ここで、簡単に時系列を振り返ります。

・2013年7月10日 ロンドンでの合コンで彼女と出会う。彼女は日本人で、英国在住の客室乗務員
・同年8月6日 婚約、ロンドンにて同居開始
・同年9月14日 私が彼女をレイプしたとされる日
・同年9月24日 結婚(彼女が日本へ行って区役所に婚姻届提出)
・同年9月下旬から10月下旬 パリへ新婚旅行、ロンドンでのお披露目会等
・同年10月23日 芝公園プリンスタワーにてDV傷害事件があったとされる日(日本で現在、公判中の事案)。この週は夫婦それぞれの用件で日本に滞在しており、同じホテルに宿泊
・同年10月26日 妻、ロンドンの自宅に戻る(予定どおりのフライト)
・同年10月27日 私もロンドンの自宅へ戻る(予定どおりのフライト)。家はもぬけの殻
・同年11月末 妻の日本法の弁護士より離婚請求(理由はDVのみ)と、離婚慰謝料(600万円、のちに800万円に増額)請求がされる

私はロンドンでこの内容証明を受け取りましたが、書面には「さもなくば日英警察に暴行で被害届を出す」と書かれていました。同年12月上旬、私は妻サイドへこう伝えました。
「離婚には応じるが、そんな法外な慰謝料は払わない」

これで交渉決裂となり、2014年3月11日、妻側はロンドン市警に被害届を提出しました。「暴行」ではなく、「レイプ」にエスカレートさせて……。

『週刊新潮』には「監禁が解かれると、その証拠を持って警察に駆け込みました」とする記述があり、『FLASH』は「2013年、英国で発生した監禁レイプ事件は、被害者である客室乗務員(CA)の女性がロンドン中心部、パディントン・ポリスステーションに駆け込んだことで発覚した」と報じました。

私が彼女をレイプしたとされる日は2013年9月14日であり、彼女が警察に行ったのは2014年3月11日です。「駆け込んだ」のではないことは、これで一目瞭然ではないですか。捏造はこれだけではありませんが、そのレイプ被害者なるCAが当時の妻であることをなぜ両誌ともに隠したのか、いまだに憤りを禁じえません。

成田空港でまさかの逮捕

妻側がロンドン市警に被害届を提出後、すぐさま私は取り調べを受け、2017年4月に英国にて起訴、ここで勤務先をクビになりました。

もちろん、私は妻への夫婦間レイプを否認しましたが、2018年3月22日に有罪判決(陪審員12名中11名が白人)、11年の実刑となってしまったのです。

同日から英国の刑務所に投獄、服役。治安も悪ければ、人種差別もひどい刑務所でしたが、奇跡的に無傷で生き延びました。私はここで、英国の大学院通信課程を受講し、数学の修士号を取得しました。

また、所内で英国人受刑者らに小学校卒業資格を取らせるための算数や英文法(!)の指導係として、従事しました。このように歯を食いしばって模範囚中の模範囚で通し、刑務所長から表彰を受けるなどしました。黄色人種(英国の刑務所ではアジア人は最下層!)の外国人が、です。

英国のスタンダードな拘禁期間は量刑の半分で、さらに私は外国人であったため1年短くなります。つまり、私の拘禁期間は4年6か月です。事務上の誤差を含め、最終的には4年8か月を英国で服役したのち、昨年、2022年11月11日に釈放、出所、日本への帰国となりました。

しかし、11月12日に成田空港に到着すると、警視庁愛宕署の刑事がおり、その場で逮捕されました。容疑は以下です。

《10年前の2013年10月23日、芝公園プリンスタワーホテルにて当時の妻にDV行為をはたらいた傷害の容疑》

湾岸署留置を経て起訴、公判請求されて、現在、東京拘置所にいる次第です。なお、私は日本で前科はありません。

第2、第3の私が日本でも

するはずのない夫婦間レイプで英国で4年8か月も投獄され、文字どおり、地獄のような日々を余儀なくされた私は、言葉で反省を口にする人よりもはるかに法廷上の「反省」や「償い」を行ってきたと言えます。

その私を、東京地検はさらに日本においても当事者を同じくする「一連の事件」で二重処罰しようとしており、これはいかにも行為と処罰の間のバランスを欠いているのではないでしょうか。

日本での公判(当時の妻へのDV傷害事件)は、1月24日に初公判、3月1日に第2回公判が東京地裁で行われました。いずれの期日も罪状認否のみであり、私は否認の立場です。

そして、すでに社会的制裁や刑事的制裁を十分に受けてきた、それが私の認識です。

私は決して褒められた夫ではなく、民事的な文脈では「DVモラハラ夫」だったかもしれません。しかし、刑事責任や刑事処罰を科されるようなことはしていません。にもかかわらず、なぜ私は4年8か月もの間、投獄されなければならなかったのか。

到底承服できるものではありませんでしたが、陪審員の評決を尊重し、服役しました。それでも足りないという元妻や東京地検とは争います。これが私の立場です。

英国における夫婦間レイプの件は、いずれ控訴するつもりです。控訴はいつでもどこでもできますので。

夫婦間レイプで投獄された初の日本人は、おそらく私だと思います。ですが、これは英国という外国の法域での話です。日本でも3月14日、「強制性交罪」を「不同意性交罪」に変更するなどの刑法の改正案が閣議決定されました。

今国会で成立を目指すようですが、今後、日本においても法改正が積み重ねられていくと、私と似たような状況に陥る人が必ず出てくるでしょう。

【編集部追記】
荻原岳彦氏は小誌7月号(5月26日発売)に本記事が掲載された後、2023年7月、東京拘置所を保釈された。元妻により日本でもDV傷害で訴えられた刑事裁判は現在も続いている。

(初出:月刊『Hanada』2023年7月号)

著者略歴

荻原岳彦

© 株式会社飛鳥新社