一昨年久しぶりのスクデットを獲得することに成功したミラン。ただそれまではかなり苦しい時間を長く過ごしていた。
今回は『footballtransfers』から「ACミランの近年最悪の補強10名」をご紹介する。
ミハエル・ライツィハー
獲得元:アヤックス
年度:1996年
獲得時の移籍金:フリー
マルコ・ファン・バステンやルート・フリット、フランク・ライカールトらオランダ人の獲得で成功を収めたミラン。1996年にはエドガー・ダーヴィッツとミハエル・ライツィハーを加入させた。どちらも失敗だったが、ライツィハーは10試合しかプレーしないまま1年でバルセロナへ移籍していった。
ニコラ・カリニッチ
獲得元:フィオレンティーナ
年度:2017年
獲得時の移籍金:2500万ユーロ(およそ39.2億円)
2億ユーロを費やして補強した2017年夏。狂気の沙汰のようなマーケットの中で2500万ユーロを投じたのがニコラ・カリニッチだった。サン・シーロにやってきた彼は6ゴールを決めた後アトレティコ・マドリーに貸し出され、それからローマとエラス・ヴェローナにローン移籍。そのまま退団していった。
リカルド・オリヴェイラ
獲得元:ベティス
年度:2006年
獲得時の移籍金:1750万ユーロ(およそ27.44億円)
2006年の夏、シェフチェンコを3000万ポンドでチェルシーに売ったミラン。代わりのエースストライカー候補としてベティスからブラジル人FWリカルド・オリヴェイラを獲得した。彼はわずか3ゴールと沈黙し、1年でレアル・サラゴサへと貸し出された。スペインの水が合った一方、イタリアには全く馴染めず。
フェルナンド・レドンド
獲得元:レアル・マドリー
年度:2000年
獲得時の移籍金:1400万ユーロ(およそ21.95億円)
レドンドほどに優秀な選手がこのリストに入った理由は、度重なる怪我での離脱にほかならない。ロレンソ・サンス派であった彼はフロレンティーノ・ペレス新会長に好かれず、2000年にミランへと移籍した。選手としてピークにあったが、ミランでの初日に膝を壊し、それから何年もの間ほとんどプレーできなかった。ただ、あまりにも誠実すぎる彼はその間給与を受け取ることがなかった。
パトリック・クライファート
獲得元:アヤックス
年度:1997年
獲得時の移籍金:フリー
ダーヴィッツやライツィハーと同じようにアヤックスからフリーで加入したクライファート。10代でチャンピオンズリーグを制覇した彼であるが、ミランでは27試合で5ゴールと苦戦し、1年でバルセロナへと移籍していった。
リヴァウド
獲得元:バルセロナ
年度:2002年
獲得時の移籍金:フリー
バルセロナとの契約が満了になったリヴァウド。日韓ワールドカップでブラジルの優勝に貢献したばかりの彼であったが、イタリア・セリエAでは期待外れだった。シェフチェンコやインザーギ、ルイ・コスタのポジションを奪うことができず、2003年を最後に退団している。
ホセ・マリ
獲得元:アトレティコ・マドリー
年度:2000年
獲得時の移籍金:1900万ユーロ(およそ29.79億円)
ミランが大量補強をしていた2000年。ジョージ・ウェアをチェルシーに放出したこともあり、アトレティコ・マドリーからスペイン人FWホセ・マリを獲得した。ただ彼はセリエAにほとんど適合できず、3年でスペインに戻っていった。
レオナルド・ボヌッチ
獲得元:ユヴェントス
年度:2017年
獲得時の移籍金:4200万ユーロ(およそ65.86億円)
2017年夏、中国人オーナーのリー・ヨンホンによる爆買い補強の一人。ユヴェントスから電撃的にボヌッチを4200万ユーロで引き抜き、キャプテンマークを手渡した。しかし彼は混乱するチームを掌握できず、わずか1年でユヴェントスへと戻っていった。
ロッキ・ジュニオール
獲得元:パウメイラス
年度:2000年
獲得時の移籍金:800万ユーロ(およそ12.54億円)
ブラジル代表で「未完の大器」だったセンターバック。2000年にパウメイラスから加入して3シーズンを過ごし、チャンピオンズリーグ優勝も経験したものの、マルディーニやコスタクルタらの名DFとうまくいかず、不安定なパフォーマンスに終始した。
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オグチ・オニェウ
獲得元:ニューカッスル
年度:2009年
獲得時の移籍金:フリー
ミランが行った最も奇妙な獲得の1つだ。2009年夏におそらくフリーで獲得したアメリカ代表センターバックは、一度もセリエAで戦うことはなく、練習場でイブラヒモヴィッチと戦って有名になった。