原発処理水めぐる“対立”を解く「リスクコミュニケーション」術  “妥協点”の落とし所は?

原発事故から12年、“リスク”コミュニケーションは最終段階まで進めたのか(yasu / PIXTA)

福島第一原子力発電所の処理水について2回目の海洋放出が5日に開始された。処理水をめぐっては、政府や国際原子力機関(IAEA)などが「健康や環境に影響を及ぼすリスクは十分に低い」と説明する一方で、国内外の各地では影響を不安視する声があがっている。

心理学や行動経済学の分野では、このような“リスク認知のギャップ”を埋めるための情報のやり取りを「リスクコミュニケーション」と呼ぶというが、処理水に関するリスクコミュニケーションはあまりうまくいっていないようだ。

なぜ、このような“リスク認知のギャップ”が生まれるのか。リスクを感じる私たちの心の中で何が起きているのか…、安全に関係する人間の行動と心理について研究する「安全心理学」の専門家・島崎敢氏が解説する(全2回後編 ※【前編】原発処理水に感じる“不安”の正体 「リスク」をめぐる対立はなぜ発生するのか?)。

「他人のせい」のリスクは1/1000でないと許せない?

直感的な判断を行う「システム1」によるアバウトなリスクの捉え方が、情報の発信者と受け手のリスク認知のギャップをもたらしていることを前回説明した。それでは、理論的で正確な「システム2」を駆使してリスクを正確に評価し、リスクが小さいことがわかれば、誰もがリスクを許容できるのかというと、話はそう単純ではない。

私たちのリスクの許容レベルは、リスクとの関わり方によって大きく異なることが知られている。

たとえば、運転や喫煙などの自発的行為は、リスクと利便性や快感などを天秤にかけた上で、自分からリスクを受け入れる選択をしている。一方、環境汚染や受動喫煙などは、自分で納得して選択したのではなく、他人が利益や快感を得るために増やしたリスクを、選択の余地なく引き受けさせられているのである。

このように、他人から引き受けさせられるリスクの許容レベルは、自発的行為によるリスクの許容レベルの1/1000程度であることが知られている。喫煙者のリスクを1とした時、まわりで副流煙を吸わされている人は、 1/1000以下のリスクでないと許せないのだ。そして、処理水の問題は、どちらかと言えば「引き受けさせられる」タイプのリスクと言えるだろう。

人々に敬意を払い、人々をパートナーとせよ

人々がリスクを正確に評価できても、リスクの許容レベルが立場によって異なっているとしたら、リスクコミュニケーションはどうすれば上手くいくのだろうか。

最初の段階は、人々の正確なリスク評価を手助けするために、正しい数値を示すことである。

リスク情報の発信者は、できるだけ客観的で科学的な方法でリスクを測り、科学の限界や不確かさも含めて、リスクをわかりやすく示す必要がある。加えて、他のリスクとの比較や、メリットやデメリット、考えられる他の選択肢なども幅広く示さなければならない。

次の段階は、科学から離れるので、意外に思われるかもしれないが、リスク情報の受け手である人々に「敬意を払う」ことである。

前回触れた原子力の平和利用に関するリスクコミュニケーションでは、科学者が一般の人々の考え方を不合理なものと決めつけ、教育すればリスクは受け入れられると思い込んでいた。しかし、このような「上から目線」では、リスクコミュニケーションはうまくいかない。

まずは相手と対等な立場に立ち、人々が何を懸念しているか、何を大切にして生きているのかに耳を傾け、その考え方や生き方に敬意を払って理解しようとする必要がある。そうすれば、人々が納得しないポイントが、客観的なリスクの大小だけではないこともわかるはずだ。この段階は、科学的な正確さよりも誠実さが物を言う、価値観や倫理の領域でもある。価値観を共有し、お互いに敬意を払えなければ、本当の意味でのコミュニケーションは始まらない。

リスクコミュニケーションの最終段階は、人々を「共に意思決定するパートナー」とすることだ。

リスクに関する意思決定では、主張が対立するのが常だが、よく話し合ってみれば共通の目的も見つけられる。たとえば「処理水を貯めておくタンクを際限なく増やすわけにいかない」と考えている人も、「地元の海産物を多くの人に食べてもらいたい」と考えている人も、大局的に見れば「原発事故で傷ついた地域を何とかして復興させたい」と願っている。ただ、この目的を実現するために選択するオプションが違うので、両者は対立しているように見えるのだ。

上から目線でやってきて、自分の主張と対立するオプションを強行しようとする相手は信頼できない。しかし、選択しようとするオプションは違っても、自分たちを尊重し、自分たちと同じ目的のために活動している相手が、「一緒により良い妥協点を考えましょう」と言ってくれば、ひとまず話を聞いてみようと思うし、話し合っていくうちに信頼関係も生まれてくる。

相手を信頼できると思えば、システム1が下す判断はポジティブなものに変わるし、「共に選択する」という形を取れば、同じ立場に立てるので、許容レベル1/1000の「受け入れさせられるリスク」から脱却できる。

身近なリスクコミュニケーションにも応用しよう

処理水問題の関係機関は、リスクコミュニケーションの「最初の段階」はしっかりやっているように見えるが、それ以降の段階にはあまり踏み込んでいないようだ。その結果、多くの人々が反発する中、処理水の海洋放出を始めることになってしまった。

もちろん、ここに書いたことは、言うほど簡単なことではないとは思うが、原発事故から12年もの時間があったのだから、その間に地域の人にもっと敬意を払い、共に議論して意思決定するパートナーになってもらっていれば、展開はもう少し円滑だったかもしれない。

なお、今回は処理水問題を例にリスクコミュニケーションについて解説したが、飲酒や喫煙、交通安全、受験や転職、治療の選択、保険の加入、防災や防犯、投資や事業計画など、リスクコミュニケーションが必要な出来事は身のまわりにいくらでも転がっている。そして内容が変わっても、上手くいく秘訣はだいたい同じである。ここに書いた内容が、いつかどこかで読者のリスクコミュニケーションの役に立てば幸いである。

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