科学者たちの無責任が川勝知事を支える不思議なカラクリ|小林一哉 47年前、東京大学の石橋克彦助手(現・神戸大学名誉教授)が発表した「東海地震説」。しかし、その後、なにも起こらなかった。その石橋氏がまた南海トラフ地震を根拠に川勝知事同様、反リニアを掲げている……。

「静岡県に近づくな」

9月県議会で法人事業税の超過課税に触れた川勝知事(静岡県議会本会議場、筆者撮影)

いまから47年前、1976年8月の共同通信社の独自ネタ記事をNHKなど各メディアが後追いした後、10月の日本地震学会で、東京大学の石橋克彦助手(現・神戸大学名誉教授)が「東海地震説」を発表した。

ここで東海地震説という予言が、衝撃的な?事実”と認められ、社会全体を揺るがす大きな問題にまで発展した。当時、石橋氏は32歳。

「M8、震度6(烈震)以上―地球上で起こる最大級の地震が明日起きても不思議ではない」

石橋氏は、静岡県の駿河湾を震源とする東海地震の発生が明日にでも切迫していることを強く警告した。静岡県をはじめ日本全国が東海地震説に揺れた。

構造不況と呼ばれ、高度経済成長期から一転、戦後最悪と言われた経済状況が続いている中で、東大助手による巨大地震説は、1923年の関東大震災になぞらえ、東海地震発生の混乱を経て、大恐慌、世界戦争を招くかもしれないという社会不安を激しく煽った。

石橋説から2年後、1978年6月に世界初の「地震予知法」(大規模地震対策特別措置法)が施行された。大地震予知を前提に、深刻な被害が予想される東海地域への影響を軽減するという、世界でも例のない法律だった。

世間では「静岡県に近づくな」が合言葉になり、やむを得ず新幹線などで静岡県内を通過する際、誰もが息をひそめて大地震に遭遇しないよう祈る姿が見られた。

いまとなっては?笑い話”だが、当時は新幹線車内で真剣な面持ちで目をつむって早く通り過ぎるのを必死で祈る人を横目に、すべての人の胸の内は同じだった。

いまだに残っている対策のための超過課税

当時、何の根拠もないノストラダムスの大予言が信じられたのと違い、こちらは、東大助手による大地震説だから、“超危険地帯”となった静岡県の地価は下がり、伊豆などの観光客は激減した。そのマイナス効果はあまりにも大きなものだった。

明日起きてもおかしくない大地震の発生に備え、静岡県は地震対策事業に予算を重点的に配分し、他県のような大規模公共事業などを控え、被災した後の復興に備えて膨大な基金を積み立てていくことが行政の役割となった。

県内の公共イベントの計画は縮小、変更され、総合防災訓練、地域防災訓練、津波避難訓練など静岡県全体が「東海地震」を想定した事業一色に染まってしまった。いま考えると、あまりにも異常で滑稽な風景が続いたのだ。

その後、1995年阪神・淡路大震災が起き、新潟、熊本など他の地域でも大地震が発生したが、30年たっても静岡県を中心とする東海地域だけには大きな揺れを伴う巨大地震は襲ってこなかった。

2011年の東日本大震災を契機に、東海地震や南海地震などと領域を区別せず、「南海トラフ地震」と呼ぶことになり、いつの間にか、静岡県から「東海地震」の名称が消えてしまった。

これだけ時間がたてば、「割れ残り」があるとされた東海地震説が間違いだったことがわかる。

いまの若い世代には、あの強烈なインパクトを与えた東海地震の名称さえ知らない人たちが増えている。

そんな中、9月21日開会した静岡県議会で、川勝平太知事が法人事業税の超過課税に触れて、現在も各企業への協力、理解を求めたのには驚いてしまった。

東海地震説を機に、地震対策事業に当てるとして、1979年から法人事業税に10%の超過課税を課した。1994年からは交通基盤整備事業に充てる5%の超過課税となり、2014年からは南海トラフ地震プログラムに充てる財源となっている。

もともとは東海地震を想定してスタート、現在、東海地震説が雲散霧消したのに、超過課税だけは存続している。つまり、東海地震説がなかったら、超過課税そのものもなかったのだ。

川勝知事は「誰もが努力すれば人生の夢を実現でき、幸せを実感できる『富国有徳の「美しいふじのくに」づくり』に全力で取り組むので、引き続きの支援、協力をお願いする」などと述べている。

『富国有徳のくに』が一体、どのようなくになのか誰もわからないが、企業への超過課税だけはいまでも当然なのだ。

本年度の超過課税収入は約80億円を見込んでいる。

無責任な科学者ばかり

実際には、本当に超過課税が必要ならば、川勝知事は「東海地震」を一度、総括をしなければならない。
筆者がそう考えるのは、石橋氏が著作『リニア新幹線と南海トラフ巨大地震』(集英社新書、2021年6月)を刊行して、今度は、南海トラフ地震を根拠に川勝知事同様に反リニアを主張しているからだ。また同じことの繰り返しだ。

ことし6月にも静岡市を訪れ、リニア建設に反対する団体が主催した講演会で、石橋氏は「リニアの土木構造物が確実に安全とは言えない。時代錯誤のリニアは再考すべき」などと発言した記事が静岡新聞に掲載された。

2021年9月号の雑誌ZAITENのインタビューで、石橋氏は「熱海の土石流災害は、土石流の起点の約5万立方メートルの盛り土が原因ではないか。リニア工事で排出される土砂の量はその1000倍以上、山間部ではそれを谷間に置く場合、土石流を招きかねない。

乗客の命が失われるかもしれないトンネルを掘り、その排出残土が土石流で住民の命を奪うかもしれない。こんな無謀なことをやっているのが『国策民営』のリニア事業だ」などと、こちらもまるで、川勝知事の発言を思わせた。

石橋氏がどのような科学者かは承知していないが、リニア問題を取材していると、無責任な科学者ばかりなのには驚かされる。

科学者はそれぞれの知見に基づいて、勝手な意見を述べているに過ぎないことを社会は承知しなければならない。「御用学者」と呼ばれる科学者を行政が都合よく使っている場合が多い。

科学的、工学的と言っても、個人の知見によるものであり、あくまでも主観的な見解である。東海地震説同様に間違っている場合があまりにも多いのだ。

当然、石橋氏は現在でも、東海地震説は正しいと主張するかもしれない。

科学を無視したやり口

国立科学博物館で開催している関東大震災100年企画展(筆者撮影)

先日、筆者は、国立科学博物館で開催している『関東大震災100年企画展』(11月26日まで)に足を運んだ。残念ながら、約50年前の東海地震説についてはどこにも記載はなかった。

1905年、当時35歳だった東大の今村明恒助教授が、東京は「50年以内」に大激震に襲われると予測した論文を、雑誌『太陽』9月号に寄稿した。

当時は、石橋氏と違い、学界では全く相手にされなかった。
今村氏の予測から18年後の1923年9月1日に関東大震災が発生した。死者9万9千余人、行方不明者4万3千余人など日本の災害史上最悪の災害となった。

今村氏の予測は見事に当たり、今村氏は「地震の神様」のように讃えられ、1923年東大教授、1929年日本地震学会を再設立して、会長に就いた。

1944年12月の東南海地震が発生した際、御前崎―掛川の水準測量で地震の前日から御前崎が隆起する動きが見られた。この隆起を見つけるのに尽力したのが、今村氏である。

静岡県の東海地震パンフレットには、プレートが沈み込んでいき、急に隆起することで、水準測量計の観測で地震が予知できることを説明していた。さて、それはどうなったのか?

多分、石橋氏は今村氏の影響を強く受けて、東海地震説を発表したのだろう。50年を経て、ようやく東海地震説は消え去った。

一方、現在でもリニア問題の専門家たちの意見はまるで科学的であるかのように議論され、一般に流布される。

熱海土石流災害の盛り土とリニア工事の盛り土を同じにしてしまい、残土の危険性を訴えるやり方は、科学的にはほど遠い。

熱海の盛り土は単純に土を盛っただけだが、本来の盛り土は安全基準を守り、擁壁や排水施設を設けて、十分な地震対策を施している。そんな説明をしなければ、石橋氏や川勝知事の発言をそのまま信じ込んでしまう人が多いのだ。すべてが万事である。

東海地震説はいつの間にか消えたが、静岡県が壊滅的な打撃を受けると信じ込んだまま亡くなった人が多い。さて、リニア問題に関わる無責任な科学者たちもいずれは消え去るが、それまで待てるのか。

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小林一哉(こばやし・かずや)

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