<レスリング>【2023年アジア大会・特集】伝統継承は、「Road to Paris」の壮絶なドラマの再スタート…男子グレコローマン67kg級・遠藤功章(東和エンジニアリング)

 

(文=布施鋼治)

 2023年アジア大会の初日(10月4日)、優勝した直後にミックスゾーンで行なわれたインタビューで、男子グレコローマン67㎏級の遠藤功章(東和エンジニアリング)は、話しながら涙を流した。

 「アジア大会に出ることが決まってから、ずっと勝つつもりだと言っていたけど、もしかしたら、世界選手権で(曽我部)京太郎が(パリ・オリンピックの枠を)取ってきてしまうかもしれない。それでメンタル的に結構きついときもあった。京太郎が負けてもう一度チャンスが回ってきた」

▲アジアの頂点に立ち、再度、パリ・オリンピックへの道に挑む遠藤功章=撮影・保高幸子

 約2週間前に開催された世界選手権で、曽我部は3回戦で2021年東京オリンピック金メダリストで同年の世界選手権でも優勝したモハマド・レザ・アブドルハム・ゲラエイ(イラン)と激突。第1ピリオドにローリングで点数を重ね、ゲラエイを7-0まで追い込んだ。

 しかし、第2ピリオドになるとゲラエイが反撃を開始するも、攻め疲れのせいか失速し始めるや、彼の兄が水の入ったペットボトルをマットに投げ込むという暴挙に出た。試合の流れは混乱し、結局ゲラエイが不可解とも受け取れる逆転勝利を収めた。

 曽我部は日々切磋琢磨している後輩。とはいえ、パリ・オリンピック出場を争うライバルでもある。遠藤の心中は複雑だったが、ライバルが出場権を逸したことで、代表争いは振り出しに戻った。

“日体大”の選手が取り続けたアジア大会の金メダル

 遠藤は「これでトントンかな」と本音を吐いた。「曽我部は世界王者を相手に勝ってもおかしくない試合をしていた。ここで自分がアジアを取ったので、五分五分になったという感覚です」

 大会の開催地となった中国・杭州に出発前、日体大での最後の練習を終えると、遠藤は60㎏級で銀メダルを獲得することになる鈴木絢大とともに、松本慎吾監督に呼ばれた。監督は2002年に韓国・釜山で行なわれたアジア大会で自身が獲得した金メダルを見せながら告げた。

 「日体大の伝統をしっかりとつないでこい」

 松本監督の戴冠後も、笹本睦、長谷川恒平(2大会連続)、太田忍と、日体大の選手や、日体大を拠点に練習していた選手がアジア大会で金メダルを獲得している。そのタスキは遠藤や鈴木に託された。

▲優勝を決め、セコンドの笹本睦コーチへ駆け寄る遠藤=撮影・保高幸子

 遠藤は「特別な気負いはなかった」と打ち明けるが、「偉大な先生や先輩方がつないできた伝統を、次につなげられたことはよかったと思います」と話した。

 決勝は、昨年のアジア選手権を制したメイルジャン・シェルマハンベト(カザフスタン)との一戦になった。第1ピリオド1分30分過ぎ、遠藤はそり投げでメイルジャンを投げ捨てた。日本だと、4~5点になる投げだと思われたが、2点しかもらえなかった。

 遠藤サイドはすぐチャレンジしたが、失敗に終わる。「腹ばいに落ちたという判断で2点になったんだと思う。日本と海外の(解釈の)違いが出た攻防だったと思います」(遠藤)

▲誇らしく上がった日の丸。国内の熱い闘いこそが、パリでの日の丸掲揚につながる=撮影・保高幸子

この大会に進退をかけていた遠藤

 とはいえ、この投げを受けたメイルジャンは腰を痛め、第2ピリオドになると息も上がっていたので追い上げにも限界があった。

 遠藤は4-3でアジアの頂点に立ち、日体大の伝統を守り抜いた。

 「組み合わせが決まったとき、強豪選手は反対ブロックに集まっていたので、行けると思っていました。決勝を争ったメイルジャンは強かったけど、ふだん日体大で(文田)健一郎先輩や京太郎ら強い人たちとずっとやってきているので、特別な強さは感じませんでした」

 遠藤はこの大会に進退をかけていたことを打ち明けた。

 「この大会で負けてしまったら、(競技生活が)終わるくらいの覚悟を持って臨みました。オリンピックの枠はかかっていないけど、その予選くらいの気持ちで取り組んできたので優勝できてよかったです」

▲随所で爆発した豪快な投げ技。パリへの道を決めるか=撮影・保高幸子

 この勢いで遠藤が12月の天皇杯全日本選手権も制して、来春のアジア予選に駒を進めるのか。それとも曽我部、あるいは他の選手が遠藤からパリ行きの切符を奪いとるのか。

 「Road to Paris」をめぐる壮絶なドラマはしばらく終わりそうにない。

© 公益財団法人日本レスリング協会