【読書亡羊】中国軍人の危険な書、なぜ「台湾統一」の項は削除されたのか 劉明福『中国「軍事強国」への夢』(文春新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

「禁断の書」の全貌が明らかに

平和を高らかに叫べば、平和を勝ち取れると勘違いしているようだ。覇権主義が世界を主導する今日、「利益」と「国力」こそが、国際関係の本質なのだ。国力を持たずして、誰が平和を与えてくれるだろうか? 国力なくして、誰が利益を保証してくれるだろうか? 平和とは「国力」の成果であって、「願望」の産物ではない。

この一文を読んで、我が意を得たり、と思う読者もいるかもしれない。「そうそう、平和主義のお花畑には困るよな」と。

実はこの一文、中国の軍人で現在は国防大学教授を務める劉明福『中国「軍事強国」への夢』(文春新書)に登場する。

本書は〈中国語版では削除された「台湾統一シナリオ」を世界初公開〉という触れ込みで、元朝日新聞記者・峯村健司氏が監訳を務めた「禁断の書」。

劉が2010年に出版した『中国の夢』は、タカ派すぎる内容だったせいか胡錦濤政権では〝発禁〟になったものの、習近平政権になるとタイトルがそのまま習近平政権のスローガンに使われることになり、2020年には新版が発刊されることになったという。

そして今回の「禁断の書」の日本での刊行。中国の軍人が自国内で出版できなかった内容を日本で出版して立場的に問題はないのか、とは思うが、さまざまな意味で見逃せない本である。

というのも、冒頭の引用のような箇所にはうっかり共感しかねないので気をつける必要があるが、よくよく読んでみると、単に「台湾有事を詳細に分析!」というだけでない、実に興味深い発見があるからだ。

「アメリカが日中海戦を計画している」

中国の軍人による書籍が日本で刊行され話題になることはこれまでにもあった。最も有名なのは2001年に刊行され、多くの論考に引用されながら絶版扱いでプレミア価格のついていた喬良・王湘穂著『超限戦』(共同通信社)だろう。2020年に角川新書から新書版が刊行されている。

また喬良は『帝国のカーブ 「超限戦」時代に見るアメリカの「金融戦」の本質』(KADOKAWA)も邦訳されたばかりだ。

あるいは2021年に邦訳版が出版された龐宏亮『知能化戦争』(五月書房新社)も中国軍のAI化、中国が考える「未来の戦争」予測として耳目を集めた。脅威の度合いを増している中国軍だからこそ、軍人たちが何を考え、軍のどんな将来を思い描いているかは日本の読者にとっても知りたい内容になっているということだ。

そして劉の『中国「軍事強国」の夢』を読んでいると、やはり我々が思っているのとはすべての因果関係が逆転した思考や世界観を持っていることに気づかされる。

日本から見れば「中国が海洋へ競り出してきて周辺に圧力をかけている」「中国こそが認知戦を展開し、自国に有利な状況を作り出そうとしている」としか思えないのだが、彼らにとってはそうではない。「中国は押し込められているのであり、中国こそが西側諸国の認知戦のターゲットにされている」という認識なのだ。

そうした認識に基づくと、日米の台湾有事や尖閣を巡る紛争シミュレーションなども中国にとっては「米国による日中東シナ海海戦の綿密な計画」となってしまうのである。

こうしたナラティブに引っ張られてしまいそうな人は日本国内にもまだまだ存在しそうではあるが、劉が否定的な「平和主義者」に重なるだろうし、「弱小で被害者としての中国」「強大で加害的なアメリカ」という構図から親中・反米的な態度を取るような人も劉からは敬遠されそうである。

「『平和統一』の幻想を捨てよ」とは言うものの……

中国では刊行できなかったという台湾有事についての記述も興味深い。一貫して「中国にとって台湾統一はあくまでも対外戦争ではなく内政なので口を出さないでほしい」という姿勢を取っており、第5章ではこう書いている。

米国はある「論理」を世界中にプロパガンダとしてまき散らしている。それは「中国と台湾は平和的に統一しなければならない。台湾問題は平和的に解決する以外に道はない。武力を行使してはならない」という論理だ。これは一見すると文明的で平和的だ。しかしこの理論は、中国の主権に対する最大の侵犯であり、台湾独立勢力への最大限の擁護に他ならない。

台湾への統一戦線工作や国際的な宣伝工作において、「平和的統一」の方が、台湾返還の問題を解決していくうえで望ましいのかもしれない。しかし国家統一を実現する根本的な戦略的指向と軍事的戦略においては「平和的統一」への幻想は捨てるべきだ。武力による統一のための戦機を模索し、武力統一を断固として推し進めるべきだ。

こうした中国軍人の物言いは「台湾海峡、波高し」の言説に使われがちだが、よく読むと矛盾も見えてくる。「いやいや、習近平だって体面上とはいえ『なるべく平和統一がいいが、もしもの場合は武力統一も放棄しない』と言っているのだから平和統一の方が上位だとは思っているのでは?」と突っ込みたくなってしまうからだ。

劉「台湾侵攻いつやるの、今でしょ!」

その点でさらに興味深いのは「台湾統一戦争」をアメリカの南北戦争となぞらえているところだ。

南北戦争を血みどろの内戦を経てアメリカを統一した「米国統一戦争」の文脈から読み取り、内戦を戦い抜いたアメリカの先人たちを称え、学ぶべきだとしている。

最初は皮肉で、「アメリカだってかつて内戦をやったじゃないか」とあてつけるために持ち出しているのかと思ったのだが、よくよく読むとこれまたどうも様子が違う。

劉は〈リンカーンをはじめとする統一派はリスクを背負いながらも意思決定を勇敢に実行し、国家統一のために粉骨砕身するという戦略的気概を持ち合わせていた〉と評価したり、ウィルソン大統領の〈内戦は米国に前代未聞の産物をもたらした。それは『国家観だ』〉という発言を鼻息荒く引用したりしているので、どうやら皮肉やあてつけではないように読める。

では劉は何を言いたいのか。

劉はあくまでも「平和的統一が前提である」と体面を繕い、もたもたしている習近平に不満があるのではないか。

「習近平時代になり、中国は強大な能力を持った」「習近平主席は平和病を克服しろと常日頃、言っている」と引き合いに出してはいる。これは「党や指導者を批判できない思考回路に陥った中国軍人の悲しいサガ」なのかもしれないが、引き合いに出せば出すほど「武力統一を」という本人の意志とのズレが生じてしまう。

むしろ習近平に対し「それだけの力を蓄え意志もあるのに、なぜ台湾を武力統一しないのか」とけしかけているようにさえ読めてしまうのだ。

この第五章が中国語版で丸ごと削除になったのだとすれば、「習近平批判に読めてしまうから」かもしれない。

ルトワックの「予言」を知っているか

本書は劉による中国海軍増強への熱い思いも随所につづられているのだが、ぜひ本書と一緒に読みたい本がある。本誌連載でもおなじみ、エドワード・ルトワック著『「中国4・0」――暴発する中華帝国』(奥山真司訳、文春新書)だ。

劉の本でも「新中国海洋戦略3・0」と言われる習近平時代の海洋戦略を引用し、「中国の夢」の実現のためには海洋を攻略し、海上権益を守らなければならないと熱を込めて語っているが、ルトワックはすでに2016年の時点で「3・0の先にある4・0の段階で中国はうまく行かない事態に陥る」と予測している。

海軍に関して言えば、ルトワックは単独で海軍力を増強する「シーパワー」には限界があるため海洋国家はみな他国と連携する「マリタイムパワー(海洋力)」を重視しているのに対し、中国には後者の視点がないことを指摘している。

確かに劉の本にも後者にあたる「海洋での行動において他国と連携する」視点はまるで出てこない。

またルトワックは「習近平は軍の裏切りを恐れている」と指摘してもいるが、劉が『中国「軍事強国」の夢』で煮え切らない習近平の尻を叩かんばかりに「平和統一の幻想を捨てろ」と端々で本音を漏らしていることを考えると、ルトワックの指摘がぐっと臨場感を増してくる。

そういう意味でも、とても「危険な書」といえるのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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