『ホンダNSX(1999年編)』いまだタイトルには手が届かない“最速”ミッドシップ【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1999年の全日本GT選手権 GT500クラスを戦った『ホンダNSX』です。

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 1998年の全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスにおいて、全戦ポールポジション、シリーズ戦4連勝という圧倒的なスピードを披露した『ホンダNSX』(ポールポジションは1997年型での記録も含む)。

 これだけの速さを見せたからこそ、『NSX』ユーザーから初の王者が誕生するか……と思われたが、わずかに安定感が欠けてしまった結果、シリーズチャンピオンを逃してしまっていた。そしてホンダ陣営は1999年のタイトル奪取に向けて『NSX』に、さらなる改良を施した。

 1999年、GTの車両規定はボディ後端部の空力が規制され、最低地上高が45mmに制限されるなど、『NSX』にとっては不利な変更が行われた。そんななか、1999年型の『NSX』は基本的には1998年型をベースに新レギュレーションに対応するため、サスペンションやリヤセクションのエアロを改良する程度の変更に留めた車両に開幕時点では仕立てられていた。

 しかし、1999年型の『NSX』には開幕までよりもシーズン中に大規模なモディファイが加えられた。まず、シーズン終盤にパワーアップに起因して発生していたフロントのグリップ不足に対応するため、ワイドトレッド化を敢行した。

 フロントトレッドの拡大自体は、本格参戦初年度である1997年から議論されていたことだったが、その当時はドラッグの低減を優先し、リヤ荷重が大きいミッドシップの特性を活かすべくトレッドは広げていなかった。

 しかし、この1999年型では前述のフロントのグリップ不足がより強まり、ついにトレッドが拡大されるに至っていた。同じタイミングで市販車がオプション採用したことに対応して、ルーフ上へ飛び出る形状となったエアインテークを投入したほか、2000年からは禁止になるABSも同時に装備した。

 市販車の『NSX』のABSがマイナーチェンジによって、レースでも使えるほどのシステムとなったことで、GTマシンへも採用される運びとなっていた。これらのモディファイは、シーズンも残り2戦という第6戦TIサーキット英田で投入されたもので、ホンダ陣営のタイトル獲得に向けての気迫を感じさせた。

 このTIラウンドでNSX陣営としては、4戦ぶりの勝利をMobil 1 NSXが記録。3位にはTAKATA 童夢 NSXが入り、TAKATAが最終戦ツインリンクもてぎに向け、王座への希望を繋いだのだが、結果はニッサン・スカイラインGT-Rに2連覇を許すことになってしまった。

 開幕戦の鈴鹿サーキット、第2戦富士スピードウェイと開幕2戦でも勝利を飾り、最終的には7戦中3勝をマークした『NSX』だったが、前年に引き続き安定してポイントを獲得し続けられたチームがいなかった。また同士討ちなどで得点を逃す場面もあり、それらの要因が逸冠に繋がっていた。

 2年連続で速さはあれど、最強とはなれなかった『NSX』。だが2000年には、ついにその悔しさを晴らすときがやってくる。

1999年の全日本GT選手権第6戦TIサーキット英田を制したMobil 1 NSX。トム・コロネル、光貞秀俊がドライブした。
1999年の全日本GT選手権第6戦TIサーキット英田を中子修、道上龍のドライブで戦ったCastrol 無限 NSX。
1999年の全日本GT選手権開幕戦鈴鹿サーキットを制したTAKATA 童夢 NSX。脇阪寿一、金石勝智がステアリングを握った。

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