「残留日本兵」横井庄一さん帰国後にもグアム島に元日本兵が? 担当の「元記者」が現地に飛んだ

「残留日本兵」横井庄一さんの取材をともに担当した記者が、報道部から他部署に人事異動に…
会社としては人事異動はごく当たり前のことで、悲しむべきか、喜ぶべきか。
“おっさんデスク”としては、もう驚かない年齢になった。
彼らには明るい未来が訪れるはず。そう願っている。
しかし、取材の真っただ中で仕事を完遂することができずに異動ということも、ままある。
コロナ禍で現地取材が出来なかった横井庄一の足跡探し。
終戦後、グアムに潜伏していた横井が発見されたのは1972年のこと。
これまで、CBCテレビの先輩方が当時残してくれた素材を洗い出し、横井の帰国後のカルテの公開を妻の故・横井美保子さんの協力で私たちはともに進めることが出来た。しかし記者の竹田章悟はことし7月付けの異動後、もやもやしていたようだ。今は、全く畑が違う営業の仕事をしているが、報道部時代に完遂できていなかったことを解決すべく旅に出た。プライベート取材だ。
休暇を利用して横井の潜伏したグアムにことし9月に渡ったのだった。
横井の足跡を確かめたい…以下、竹田元記者から受けた報告文だ。

―記:竹田章悟―
報道部時代に消化できていなかった有給休暇と3連休を使い、9月15日からグアム島に行ってきました。
日本から約4時間、時差も1時間で気軽に行ける南の島です。
横井庄一さんの足跡をたどった取材時は、コロナ禍の真っ只中で海外渡航ができず、現地での撮影を担当していただいたグアムTVの小川昌司カメラマンに3年越しで「初めまして」のご挨拶とお礼に伺いました。そして、どうしても体感したかった「横井庄一さんのジャングル」へ今回連れて行ってもらいました。

9月16日、念願のジャングルへ。
横井さんが潜伏していたのは、島南部のタロフォフォ村のジャングル。
観光客でにぎわうタモン地域からタロフォフォの中心地までは、車で約40分かかります。
今回は、現地在住でツアーガイドなどをする今津祐輔さん、小川カメラマンとともにジャングルを目指しました。

午前10時、出発。さっそく目に飛び込んできた景色は、どこまでも続く緑です。
9月のグアムは雨期、背丈3メートルほどまでに伸びた草をかき分けながら、藪を突き進んでいきます。

現地で“ソードグラス”と呼ばれる細長い草。葉が固く、顔や手に当たると簡単に切れてしまいます。これをかき分けて進むのが大きなストレスでした。紫外線が日本の6倍ほどともいわれるグアム。そして、スコールでぬかるんだ地面が体力をどんどん奪っていきます。

そして時折、出くわしたのがこうした大きな足跡。今津さんによるとこれらは野生の豚や水牛が残したものだといいます。細心の注意を払い、進みます。

ジャングル地帯に入ると、道の険しさは増しました。気温は30度ほど、今回は蛇など危険を感じる生物ともほとんど出会わず、こうした環境も横井さんが生き延びられた一つの要因なのではと想像しました。

そして、【横井さんの潜伏した穴】まで複数回行ったことがあるという今津さんの案内で進むも、何度か迷いました。手つかずの自然の変化が著しく、数週間で景色が一変するそうです。雨期のグアムのジャングル地帯…至るところに川が出没します。行く手を阻まれてしまいました。安全面を考慮し、【横井さんの潜伏した穴】までは行かず、ジャングルの途中で引き返す決断を。

その後、タモン地域に戻った私は、現地在住の探検家・安部三博さんに話を伺いました。安部さんは【横井さんの潜伏した穴】までのジャングルツアーの案内を長年引き受けるなど、現地で横井さんの生涯を伝えてきた数少ない方です。そんな安部さんから数枚の写真を見せてもらいました。

これは、1972年横井さんの発見を伝える新聞、そして隣にあるのは、横井さん発見後に当時の厚生省が現地で撒いたチラシです。「日本国民や家族は諸士の無事帰国を一日千秋の思いで待っています」と締められ、横井さんのようにジャングルで潜伏している可能性がある日本兵に対して呼びかけたものでした。

安部さんによると、これらが1985年ごろにグアム島最北端のリティディアン岬の洞窟から発見されたというのです。

そして、同時に洞窟内からは、手作りとみられる草履も見つかったといいます。横井さん発見後もグアム島では潜伏を続けていた残留日本兵がいたのだろうか…

私は翌日、グアム島最北端のリティディアン岬に向かいました。グアム島の北部には、アンダーセン空軍基地などアメリカ軍の施設が並び、沖縄・普天間基地の移設先となる「キャンプ・ブラズ」の建設も進んでいました。
日本が移設費用を負担するためか、日本のゼネコンもこの建設に携わっているようでした。軍事施設が並ぶ地域を越え、最北端のリティディアン岬に到着。
しかし、5月に襲来したスーパー台風“Mawar”による甚大な被害で、岬の洞窟まではいくことができず…果たして横井さん発見後も、グアム島で潜伏していた日本兵は本当にいたのか…
その事実は確認されていませんが、北部では、日本兵のような人物の目撃情報などと合わせて「“第2の横井”の話ね…」と噂レベルで語り継がれていたそうです。
果たして真実は…戦後78年、まだ終わっていない戦争があるのかもしれません。 (CBCテレビ 営業部 竹田章悟)

元記者の竹田の見てきたグアム。日本兵は横井さん帰国後にもいたのだろうか?
横井さんがジャングルに潜伏したのは28年間。竹田元記者に取材してもらったのは彼が28歳の時。彼の人生の長さまるごとの潜伏生活。竹田が驚愕の顔を私に見せながら取材していたことが懐かしい。その後、妻の美保子さんも天国に召され、私たちの心にもぽっかり穴が開いたような気分に。コロナの時代のかなわなかった海外取材。遅ればせながら完遂であります。

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