体露金風

 風は季節を問わず吹くものなのに、古典で詠まれる風はおよそ春風、秋風に決まっていたらしい。万葉集にも古今和歌集にも、夏や冬の風は見当たらないという▲〈秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉。秋が来たと目にははっきり見えないけれど、風の音ではっと気づかされた-という藤原敏行の一首が古今和歌集にある。人は時として、視覚よりも触覚や聴覚で季節を感じ取る▲きのうは二十四節気の一つ、寒露だった。草木に冷たい露が降りる時期とされる。霜ではないが、きのうは路面を時折濡らす雨や少しひんやりした風に秋を感じ、〈おどろかれぬる〉人もいただろう▲作家の半藤一利さんはエッセーで、中国の宋時代に残された書物の一節を紹介している。秋が深まり樹木の葉が落ちたとき、人はどうあるべきか。僧から問われて、雲門という禅師はすかさず「体露金風(たいろきんぷう)」と答えたという▲秋風に吹かれて自分をあらわにする、という意味らしい。秋風を古くは金風と言った。古今、秋風は物寂しさや憂いをもたらすとされるが、すがすがしさを運ぶこともある▲きょうは「スポーツの日」。3連休の終わりに体を動かし、スポーツに親しむ人もいるに違いない。秋の好日を目いっぱい楽しむ「体露金風」の一日になるといい。(徹)

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