創業100年、尼崎の「第一敷島湯」 お湯が半分になった、ベビーパウダーが舞う脱衣所…1010(銭湯)の日、歴史振り返る

番台に座る大女将の黒木功子さん=尼崎市杭瀬本町1、第一敷島湯

 兵庫県尼崎市杭瀬本町1の「第一敷島湯」が今年、創業100年を迎えた。設備の老朽化や燃料費の高騰、常連客の高齢化などで銭湯の廃業が相次ぐ中、戦災、震災を乗り越え、地元住民を1世紀にわたり癒やしてきた。大女将の黒木功子さん(89)と次男で店主の達也さん(58)に来し方を振り返ってもらった。10月10日は「銭湯の日」。(池田大介)

■大人数が一斉に入り…

 第一敷島湯は1923(大正12)年に建てられ、終戦直後、先々代が買い取って経営を始めた。当時、一般家庭に風呂はほとんど普及しておらず、仕事帰りの労働者や家族連れで連日にぎわった。「大人数が一斉に湯船に入るので、よくお湯が半分ぐらいになった」と先々代は話していたという。

 功子さんは先々代の息子和彦さんと結婚。家事の傍ら、浴場の掃除などを手伝い始めた。65年、長男が生まれると和彦さんと功子さんは店を継いだ。

■ピーク時は164軒

 当時は高度経済成長期の真っただ中。市内産業の発展、宅地開発の広がりとともに、県外から市内に移り住む人も増えた。銭湯の需要も高まり、55年の87軒から、ピーク時の69年には164軒まで増えた。

 子連れも多く、あせもを防ぐ天花粉(ベビーパウダー)が扇風機の風に舞い、脱衣所の鏡が真っ白になったこともあった。「あの頃はよく子どもの面倒を見たねえ」と功子さんは懐かしむ。

■銭湯自体好きじゃない

 昭和の終わり、先々代の介護や先代の看病が重なった。高校を出て会社勤めしていた達也さんが脱サラし、店を継いだ。当時23歳。銭湯に関する知識はまだまだ浅く、同業の年長者から小馬鹿にされたこともあった。閉店後、掃除を終えた浴槽を背に、自身はシャワーだけで済ますことも多かった。ある日、ふと思った。「自分は銭湯自体好きじゃないんやな」

 95年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。幸い被害は少なく、翌日から店を開けることができた。すると、自宅が被災し、風呂に入れなくなった人たちが大勢訪れた。数日ぶりに湯船に漬かった友人が言った。「天国のよう」。その言葉は今でも忘れられない。

■オリジナルキャラ

 家庭への風呂普及が進むとともに客足が減り、厳しい経営状況が続いたが、2011年、ラジオ番組の収録で銭湯ライターや銭湯好きの漫画家が来店。根強いファンがいることを初めて知った。昨年、交流のあるイラストレーターがオリジナルキャラクター「敷島ゆゆら」を提案。銭湯グッズや資料を展示するイベント開催や、キャラクターをデザインしたキーホルダー、銭湯を描いた絵はがきの販売など活動の幅を広げ、ファンを増やしてきた。

■修理費はクラファンで

 100周年の今年は苦難の連続だった。昨年末、薬剤を入れて楽しむ薬湯が故障。1月には達也さんが脚の手術を受け、1カ月後には別の病気で緊急入院した。「今では笑って話せるけど、毎日泣いた」と達也さん。入院中は妻の久美子さん(52)が店を切り盛りし、薬湯の修理費はクラウドファンディングで募った。

 「銭湯はまだ好きじゃないけど、好きになれそうな気がする。だから、まだ気づいてない銭湯の魅力がきっと見つかるはず」と達也さん。番台に座る功子さんは「小さい時に来てた子が親になり、子どもと一緒に来てくれたり…。忘れずに来てくれるのはありがたいね」と語った。

 現在は時短営業中で午後5~10時。火曜休み。中学生以上440円、子ども180円、乳幼児80円。第一敷島湯TEL06.6481.7120

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