飯田線(JR東海)秘境駅を巡るノスタルジックな世界

日本の隠れた絶景を満喫できる路線・飯田線

日本全国津々浦々を繋ぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、様々な歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用する馴染みのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は、秘境駅ランキング(2023年版)のトップ10に4駅も入る秘境駅の宝庫・飯田線(JR東海)をご紹介します。

※「秘境駅ランキング」は鉄道愛好家・牛山氏のホームページによるもの

飯田線の歴史

4つの私鉄が合体した長大ローカル線

4つの私鉄が買収されて成立した長大ローカル線。それが、愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅とを結ぶ飯田線です。ルーツが地域密着の私鉄であるだけに、全長195.7kmの路線には起終点を含め94もの駅があります。平均駅間距離は約2.1km。全区間を直通する列車は1日3往復しかなく、乗り通すと実に6時間40分前後もかかります。

一度に全区間を乗り通すと大変ですが、天竜川沿いの峡谷や中央アルプスの山々など車窓風景の変化に富んだ路線でもあります。沿線には列車でなければたどりつけない秘境駅や温泉も多く、途中下車をしながらのんびりたどると楽しさが倍増するローカル線です。できれば、途中で一泊するとより楽しめるでしょう。


茶畑が広がる城西~向市場駅間を走る。現在もこの区間の車窓は必見(1977年8月撮影)

飯田線のルーツとなった4つの私鉄とは、豊川鉄道(豊橋〜大海)、鳳来寺鉄道(大海〜三河川合)、三信鉄道(三河川合〜天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡〜辰野)の4社。1897(明治30)年に豊川鉄道豊橋〜豊川間が開業したのを皮切りに、1937(昭和12)年の三信鉄道大嵐〜小和田間開業まで、40年かけて建設されました。しかし、太平洋戦争が激化した1943(昭和18)年、4つの路線は一斉に国有化されて、国鉄飯田線となったのです。


クモハ52形式が止まる水窪駅。佐久間ダムにより新線が作られたときに開業した(1977年8月撮影)

飯田線の車両

クロスシート車両が中心で車窓を楽しみやすい

現在は、全区間がJR東海の路線です。
国鉄時代には、東海道本線などから引退した旧型車両が多数走り、「旧型国電の宝庫」と呼ばれていましたが、現在普通列車には主として313系と213系が使用されています。


1999年に登場し、JR東海の在来線車両の主力として活躍する313系(2014年栗原景撮影/中井侍駅)

313系は、1999(平成11)年にデビューした、向かい合わせ4人掛けのボックスシート中心の3000番代と、背もたれの向きを変えられる転換クロスシートを備えた2007(平成19)年登場の1700番代が主力です。国鉄スタイルの外観が懐かしい213系は1989(平成元)年登場の5000番代で、やはり転換クロスシートを備えています。どの車両も、窓側に座れば車窓風景をたっぷり楽しめます。ただし、飯田〜辰野間の一部列車にはJR東日本の211系が使用されており、こちらはオールロングシートの3000番代が中心です。
豊橋〜飯田間には、特急〔伊那路〕も1日2往復運行されています。
使用される373系はリクライニングシートを備えた標準的な特急形車両で、一部車端部には4人掛けのセミコンパートメント席があります。


〔飯田線秘境駅号〕は春・秋に運行。毎年大人気の観光列車(2015年栗原景撮影)

さて、飯田線といえば見逃せないのが"秘境駅"。水窪〜天竜峡間は人口希薄地域を通り、小和田駅、中井侍駅、田本駅、金野駅など列車以外ではアクセス困難な駅にいくつも停車します。
毎年春や秋の行楽シーズンには、豊橋〜飯田間に373系による臨時急行〔飯田線秘境駅号〕が運行されています。
いくつかの秘境駅に10分程度ずつ停車し途中下車を楽しめる列車で、途中駅では地元の人々によるおもてなしもあります。
秘境駅を効率良く訪れるのに最適な列車ですが、毎回ほぼ満席のため、どの秘境駅も大賑わいとなってしまい、秘境感が薄れてしまうのが玉にきず。
〔飯田線秘境駅号〕でまずは一通り訪れ、できれば沿線に一泊して気に入った秘境駅を再訪するのがオススメです。


飯田線の見どころ

大河ドラマでも描かれた長篠の戦いの舞台

飯田線の起点は、東海道本線豊橋駅です。名古屋鉄道と施設を共用しており、1・2番線が飯田線、3番線が名鉄、4〜8番線が東海道本線という珍しい構造です。
これは、豊橋駅から3つめの小坂井駅の手前(平井信号場)まで、3.8kmにわたり線路を名鉄と共用しているから。
1927(昭和2)年、名鉄の前身である愛知電気鉄道が豊橋に延伸した時から、下りは愛電(名鉄)の線路を、上りは豊川鉄道(飯田線)の線路を共同で使用しているのです。


豊川駅から徒歩5分ほどの豊川稲荷。参拝をしてから飯田線の旅に出かけるのはいかが?

豊川稲荷の最寄り駅、豊川駅を過ぎ、伊那街道の市場街だった新城駅あたりから山岳地帯に入ります。
豊川鉄道の終着駅だった大海駅の前後は丘陵地帯をS字カーブで越える区間。鳥居駅からは、武田軍と織田・徳川軍が激突した「長篠の戦い」の舞台に入ります。
鳥居駅は、長篠の戦いの逸話で知られる鳥居強右衛門にちなんで名づけられた駅で、鳥居〜長篠城間で豊川を渡るとそこは長篠城址。織田・徳川勢の援軍到着を伝えに長篠城に戻る際、武田方に捕らえられた強右衛門が、対岸の城内に向かって援軍到着を叫び、織田・徳川軍の勝利への伏線になったと言われる場所です。
豊川を渡る直前、左手に鳥居強右衛門の案内板がちらりと見えます。

鉄道以外ではたどりつけない秘境駅区間をたどる

久々の大きなまちは中部天竜駅。
次の佐久間駅に向けて天竜川を渡ると、正面に巨大な電力施設が見えてきます。これが佐久間発電所で、山を一つ隔てた北側には、全国有数の規模を誇る佐久間ダムがあります。
飯田線は、かつてはここから天竜川に沿って北上していましたが、佐久間ダム建設のため1955(昭和30)年に佐久間〜大嵐間のルートが変更されました。佐久間〜相月間の峯トンネルと、水窪〜大嵐間の大原トンネルという2つの長大トンネルで、隣の谷にそっくり線路を移すという大工事が行われたのです。


大嵐駅付近に残る旧線の廃線跡。道路トンネルに転用された夏焼隧道を通ると夏焼集落へと繋がっている(2006年栗原景撮影)

この区間では、城西〜向市場間の第6水窪川橋梁に注目しましょう。
この橋梁は、水窪川の左岸(東側)から右岸へ渡りかけて、そのままUターンするように左岸に戻るという珍しい橋。本来は左岸にトンネルを作って通すはずでしたが、地すべりによって危険が生じたため、対岸を迂回するルートになったのです。元の左岸に戻ってしまうので「渡らずの橋」とも呼ばれます。


〔飯田線秘境駅号〕が停まる小和田駅。この駅は愛知県・静岡県・長野県の三県の県境が交わる駅としても有名(2015年栗原景撮影)

小和田駅は、全国で1・2位を争う秘境駅として人気の駅です。
昭和20年代までは集落がありましたが、佐久間ダムの建設によってほとんどの家がダムに沈み、駅だけが残っています。駅前には製茶工場の廃墟とオート三輪の残骸がありますが、今ではここに列車以外でアクセスするのは困難です。
この辺りは人口が特に少ない地域で、車窓からも人工建造物はほとんど見えません。秋にはみごとな紅葉も見られます。ようやく大きめの集落に入ると、平岡駅に到着。長野県天龍村の中心で、駅併設の「ふれあいステーション龍泉閣」では温泉に入浴したり、宿泊したりすることもできます。


駅の前後をトンネルに挟まれ、ホームはまさに絶壁!田本駅も秘境駅として人気の高い駅だ(2014年栗原景撮影)

秘境駅ではもう一つ、田本駅もご紹介しましょう。
平岡駅から3駅、天竜川の切り立った崖面に貼り付くような位置にある駅で、ここも鉄道と徒歩以外では近づくことができません。
標高差140mほどの山道を登ると、小中学校もある崖上の田本集落。逆に崖を降りていく道をたどると10分ほどで天竜川を渡る吊橋、竜田橋へ。南宮峡と呼ばれる天竜川の峡谷をたっぷりと楽しめます。
さらに3kmほど歩けば、泰阜村の中心である温田駅に着きます。ただし、秘境駅で下車する場合は、登山に準じたしっかりとした装備と食料を持参しましょう。

田園風景の中にあるJR最急勾配区間

列車の旅に戻りましょう。天竜川の峡谷を抜けると天竜峡駅に到着。
ここは伊那電気鉄道の終着駅で、昭和初期に伊那電鉄が建設したモダンな駅舎が現役です。駅近くには天龍ライン下りの船着き場があり、1年を通じて川下りを楽しめます。


ステンドグラスが印象的な天竜峡駅。駅を出て姑射橋を渡ってすぐに「天竜ライン下り」の乗り場とりんご足湯がある(2009年栗原景撮影)

特急〔伊那路〕の終着駅・飯田駅がある飯田市は、リニア中央新幹線の「長野県駅(仮称)」が設置される町。最寄りは飯田駅から3つ先の元善光寺駅で、国道153号沿いの駅予定地ではいよいよ工事が始まりました。
ここから飯田線は、天竜川に沿って伊那谷を北上します。東側を赤石山脈(南アルプス)、西側を木曽山脈(中央アルプス)に挟まれた谷で、天竜川が長い時間をかけてつくった階段状の地形、河岸段丘が発達しています。
一方、多数の天竜川が木曽山脈から土砂を運んで形成した扇状地も多く、盆地が開けているわりにとても複雑な地形をしています。伊那電気鉄道は、この地形に逆らわず、曲線につぐ曲線で鉄道を敷きました。深い谷や高い崖を徹底的に避け、川を渡る時は上流にしばらく遡って、橋梁がいちばん短く済む地点を渡るのです。あれほどたくさんあったトンネルは、元善光寺駅から先には1箇所もありません。
伊那大島付近からは特にカーブが多くなり、車窓の中央アルプスが右に左に移動します。


豊橋~飯田駅間を結ぶ373系を使用した特急〔伊那路〕での飯田線の旅もおすすめ

木曽駒ヶ岳観光の玄関である駒ケ根駅を過ぎ、赤木駅を発車すると、ちょっと地味なハイライトが待っています。
それは、赤木〜沢渡間にある40‰(パーミル)のJR最急勾配区間。ただし、藤沢川の土手から降りるためのごく短い下り勾配で、田畑と住宅に囲まれた場所なので、険しい区間という印象はありません。
伊那地方の中心地、伊那市駅を発車すると、長かった飯田線の旅も終盤。伊那松島駅には小さな車両基地(伊那松島運輸区)があり、数本の電車が滞泊しているのが見えます。
そのまま家並みが途切れず、終着・辰野駅に到着。
辰野駅を起終点とする列車は少なく、ほとんどの列車が中央本線上諏訪駅方面へ直通します。

戦国時代の古戦場に、一度は訪れてみたい秘境区間、川が作り上げた美しい地形など、さまざまな楽しみが待つ飯田線。のんびりとした各駅停車の旅を満喫したい人に断然オススメです。


飯田線(JR東海) データ

起点 : 豊橋駅
終点 : 辰野駅
駅数 : 94駅
路線距離 : 195.7km
開業 : 1897(明治30)年7月15日に豊橋~豊川駅間が開業(豊川鉄道)
全通 : 1937(昭和12)年8月20日
使用車両 : 373系、313系、213系、211系


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「国鉄時代の貨物列車を知ろう」(実業之日本社)ほか。

  • ※写真/栗原景、交通新聞クリエイト
  • ※掲載されているデータは2023年9月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。

© 株式会社交通新聞社