ラグビーW杯前回王者“史上初の黒人主将”シヤ・コリシが語った「ラグビーが終わったあとの人生」

前回大会王者としてラグビーワールドカップで激闘を繰り広げているスプリングボクスことラグビー南アフリカ代表。大きなプレッシャーにさらされているチームにおいて、長期間に及ぶ膝の負傷から復帰を果たしたシヤ・コリシにかかる期待は大きい。そこで本稿では、今月刊行された書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』の抜粋を通して、南アフリカを象徴する存在の波瀾万丈なラグビー人生を振り返る。今回は、理想的なラグビー人生の幕引き、そして引退後の将来設計について本人が語る。

(文=シヤ・コリシ、訳=岩崎晋也、写真=ロイター/アフロ)

自分の最善を尽くし、あとは神の手に委ねればいい

ラグビー選手として、わたしに残された時間がそれほど多くないことはわかっている。

2023年ワールドカップにはもちろん出場したい。ワールドカップを連覇したのは2011年、2015年のニュージーランドのみで、その両チームを率いたリッチー・マコウはふたつの優勝トロフィーを勝ち取った唯一のキャプテンだ。われわれ、そしてわたしが同じことを達成できれば、言葉にできないほどの栄誉だ。もちろんそれは想像を絶するほどむずかしい――一度優勝するだけでも十分に困難だ――ことだろうが、すべての選手がその実現のために全身全霊で打ちこむだろう。

そのとき、わたしは32歳になっている。そしてそのあとまで、自分が少なくとも代表レベルでのプレーを続けている姿は思い描けない。体への負担はあまりに大きい。そしていずれにせよ、ラグビーはわたしの人生のなかで短い、一時的な要素にすぎない。スポーツ選手は男女を問わず、多くの人々が選んだ道で自分の立場を確立していくような年齢で、新たなキャリアを探さなければならない。だがわたしは、すでにその転換へのスタートを切っている。コーチ・ロビーが結婚式でわたしに言ったように、「フィールドで何をするとしても、やるべきことはフィールド外のほうがはるかに多い」のだ。

ラグビーはわたしの職業だが、わたしの天職ではない。すべてのプロスポーツ選手と同じく、その仕事はまもなく終わるが、神の意志によりわたしにはまだ長い人生が残されている。何より、わたしは自分をキリスト教徒だと思っている。わたしにとって大切なのは、キリストがわたしをどう思うかだ。

わたしはほかの人々がわたしのことをどう思うかを気にしたり、そうした意見に価値があると考えたりすることをやめた。精神的な指導者と歩むことで、キリストの真理と救いの力を新たに発見した。この新しい生活が、わたしにかつてないほどの心の平和をもたらした。聖書のフィリピの信徒への手紙の4章13節に書かれているように、「わたしを強めてくださる方のおかげで、わたしにはすべてが可能」なのだ。 わたしはいま、すべてを神に委ねたので、ほかの何もわたしに影響を与えることはない。神の計画は実現すると知っているから自由に生き、プレーすることができるし、また結局、大切にするのは神の計画だけだ。わたしは人生のすべてを理解する必要はないし、理解できないことはたくさんあるが、すべてのことは神の御業だ。わたしは自分の最善を尽くし、あとは神の手に委ねればいい。

ピッチ上で自分をコントロールするのは問題ないが…

わたしは人間であり、思いどおりにならないときもある。発言は正しくないこともあれば、正しいこともある。正しくない行動もするだろう。人はみな間違いを犯すが、ありがたいことに神はそれを受けいれるだけの余地を残している。わたしはコリントの信徒への手紙一の13章の言葉が好きだ。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない」。

だがわたしはいまも毎日、神の道に従うと決断しなければならない。イエスはその決断を代わりに下してくれるわけではなく、選択肢を示すだけだ。そして毎日その道を歩くごとに、わたしの人生は少しずつ変わる。わたしは人生で多くの人々を失ってきた。たいていは急にではなく、また口げんかをしてとか、憎しみあってというわけではない。ただ、少しずつ離れてしまった。多くの人は、まったく悪い人々ではない。ただもうわたしとは合わなくなったか、あるいはわたしのほうが彼らに合わなくなっていた。パーティばかりしていたころは近くにいたが、表面的な友情しかなかった人々や、何かを得られるという思いだけでわたしと知りあおうとした人々だ。

わたしのいま最も重要な役割は夫であり、父であることだ。

わたしは信仰や妻の愛、またザ・ワールド・ニーズ・ア・ファーザーのような団体の助けを借りて、父親としてのありかたを学んできた。この団体はその目的についてこう規定している。「さまざまな共同体の男性たちに父親としての訓練を行い、その役割の価値を理解してもらうこと。そして彼らに周囲の男性たちを訓練するツールを授けることで、よきものを男性たちの家庭に届け、コミュニティに広げていくこと」。

彼らがもたらそうとしている5つの重要な文化的変化は、個人的な目標から神の目標へ、世俗的な価値から道徳的な価値へ、個人主義から共同体的思考へ、自己愛から自己犠牲の愛へ、受動的な子育てから自信を持たせる子育てへ。

ステレンボッシュでのワークショップに出席したとき、ほかの参加者たちははじめ、有名なラグビー選手が来ているという目で見ていたが、すぐに自分たちと同じような人間だと認めてくれた。もう少しきちんと生活できるようになりたいと思い、過ちから学ぼうとし、プライドを捨てて助けを求めている人間だとわかってくれた。参加者たちはみな、学ぶことで子供時代の傷を癒やす必要がある人々だった。その傷のせいで彼らは、なかなか上手な子育てができずにいた。たとえば子供が悪いふるまいをすると怖くなってしまったり、自分が度を越して怒ってしまったり。ワークショップでは、しつけは子供と一緒に行うもので、子供に押しつけるものではない、という点が強調された。

ラグビーが終わったあとの人生は…

わたしが子供のころはそうではなかった。しつけは押しつけられるものだったし、いつも暴力がつきもので、毎日いつ手を出されるかわからなかった。長いあいだ、ひどい出来事を見つづけたせいで、心が完全に萎縮してしまっていた。それはいまもわたしにさまざまな影響を及ぼしている。たとえば、怒鳴りつけられるのが好きではない。怒鳴られると、言葉が聞こえなくなり、その相手が自分の意識から消えてしまう(ただ幸運なことに、ラグビーのピッチ上では関係ないようだ。それはたぶん、暴力と怒鳴り声をある程度予期しているからだろう。ピッチ上では自分をコントロールするのは問題ないし、これまでのキャリアでイエローカードは1枚しかもらっていない)。

ずっとわたしは、こうしたことを話せずにいた。わたしは怒鳴った相手に謝り、何事もなかったかのようにふるまっていた。だが最近になってやっと、セラピストの診察を受け、過去の出来事を整理するようになった。そして、自分の感情について話し、考えを伝えることができるようになってきた。真の男は、自分には問題がないというふりをするのではなく、それを認める。そしてそれは、父親として二重の意味で重要なことだ。

わたしが歩かなければならない道は長い。それがどこに続いているのかも、自分がそこに到達できるかもわからないが、その道を歩くことそのものが信仰と愛の行為だ。それは世界をよりよい場所にするためにわたしが達成しようと願うすべてのことを含んでいる。

ラグビーが終わったあとの人生は、ラグビー人生よりも、できればはるかに長く、より目標を持ち、より意義のあるものにしたい。わたしはこれまで、ズウィデを出発点として、横浜という目的地へと達する旅をしてきた。だがこれからの道はより大きな意味を持つものになるだろう。

(本記事は東洋館出版社刊の書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』より一部転載)

<了>

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[PROFILE]
シヤ・コリシ
1991年6月16日生まれ、南アフリカのポート・エリザベス出身。ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップのシャークスに所属するラグビー選手。現在ラグビー界で最もリスペクトされている選手のひとり。2018年にラグビー南アフリカ代表、スプリングボクスの主将に任命され、128年のチームの歴史ではじめての黒人主将になった。翌年には、チームをラグビーワールドカップ決勝でのイングランド戦の勝利に導く。2020年には妻のレイチェルとともにコリシ財団を立ちあげ、医療関係者に個人用防護具を提供し、南アフリカ国中で食料支援を行っている。

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