5000億分の1グラムのDNAの直接検出に成功 火星の生命探査を念頭に実験

「現在の火星に生命が存在するのか?」という疑問は、長年の探査を通して検証されていますが、現時点では火星の表面に生命の痕跡は発見されていません。ただし、探査機に搭載される分析機器には性能上の限界があり、痕跡を検出できていないだけという可能性は否定できません。

アバディーン大学のJyothi Basapathi Raghavendra氏などの研究チームは、わずかな量のDNAを分析する装置「MinION」を使用して、火星の土壌を模倣した物質でその性能を検証しました。その結果、MinIONの精度であれば最小で2ピコグラム(5000億分の1グラム)のDNAも検出できることが確認されました。この結果は、地球上で最も生命が少ない環境でもDNAを確実に検出できることを意味しており、将来的な火星サンプルリターンミッションで求められる土壌分析の精度を満たしていると考えられます。

■「DNA」の検出は極めて難しい

【▲図1: 今から40億年前の火星の想像図。最大で水深1600mに達する海が数億年間存続していたと考えられており、過去の火星には生命がいたかもしれないと考えられています。生命が実際に誕生し、現在でも生き残っているのかは、多くの関心を集めています(Credit: ESO, M. Kornmesser)】

太古の「火星」には地球のように液体の水が存在していたと考えられており、火星独自の生命が誕生した可能性があります。一方、現在の火星は極度の低温かつ乾燥した不毛な環境の惑星であり、とても生命の存続に適しているとは思えません。ところが、生物学の発達によって現在の火星並みの劣悪な環境でも生き残る生物が続々と発見されています。このため、太古の火星で生命が誕生し、現在まで生き残っているかどうかは重大な関心事となっています。

火星独自の生命または生命の痕跡の発見は、1970年代に打ち上げられたNASA(アメリカ航空宇宙局)の火星探査機「バイキング1号」「同2号」で最初に試みられました。それ以来、様々な探査機が火星の土壌や大気に含まれる物質を分析・同定していますが、現在のところ火星の土壌から生命は発見されていません。また、生命に由来するとみられる分子である「バイオマーカー」はいくつか発見されているものの、その多くは生命活動以外の理由でも生成され得る低分子であるため、決定的とは言えません。

しかし、今も試みられていない方法の1つに「DNA」の検出があります。DNAは生命の痕跡となる議論の余地のないバイオマーカーです。ただし、過去の探査の結果や火星に類似した地球の環境での分析結果を考慮すると、DNAを直接検出するのは困難であり、効率的な抽出と増幅 (※1) が必須だとこれまで考えられてきました。

※1…特定の条件でDNAを分析可能な量まで増やすこと。

火星でDNAの直接検出が今まで試みられていない主な理由は2つあります。1つは、高度なDNA分析が行える条件を火星探査機で整えるのが難しいことです。この問題を解決するには、火星の土壌サンプルを地球に持ち帰る必要があります。

2021年に火星に着陸したNASAの火星探査車「Perseverance(パーシビアランス、パーサヴィアランス)」は、火星表面のサンプルを採集して地球へと輸送する「火星サンプルリターン(MSR)ミッション」の一翼を担っています。火星表面で採取されたサンプルは早ければ2033年に地球に帰還する予定であるため、火星で高度なDNA分析が行えない問題は将来的に解決することになります。

もう1つの理由は、高度なDNA分析では曖昧な結果が得られやすいことです。一般的なDNA増幅法である「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)」法は、わずかな汚染にも敏感に反応するため、器具や試薬などに含まれる無関係な生物組織由来のDNAも増やしてしまいます。また、PCRで増やしたDNAにはエラーが生じやすいという欠点もあります。

仮に、火星独自の生命に由来するDNAがあるとすれば、その存在はDNAの塩基配列 (※2) が地球の生命のDNAとは一致しないことで証明されるでしょう。しかし、PCRで増やしたDNAにエラーが生じやすいのであれば、見慣れない塩基配列のDNAが本当に未知の生命に由来するのか、それとも地球の生命に由来するDNAにエラーが生じただけなのかを特定することは困難であり、説得力のある証拠と見なされなくなる可能性もあります。

※2…DNAを構成する4つの塩基(アデニン・グアニン・シトシン・チミン)の配列順の情報。遺伝情報は塩基配列によって決定されるため、DNAがどの生命に由来するのかを調べる上で塩基配列は重要な情報となります。

PCRよりもエラーが少ないDNA増幅の手段には「MDA(多重置換増幅)」法などもありますが、これらの方法にはDNAの特定の領域だけを増やしてしまうなどといった別の欠点があります。火星で採取されたサンプルから火星の生命由来のDNAを確実に見つけようとするなら、増幅に頼らないDNAの分析技術が必要となります。

極度の乾燥という点で火星と類似した環境であるアタカマ砂漠などの研究により、火星に類似した環境で期待される生物細胞数は土壌1グラムあたり1000~10万個と推定されています。これは、土壌1グラムあたり500フェムトグラム~2ナノグラム(2兆分の1グラム~5億分の1グラム)のDNAを直接分析できる技術があれば、DNA増幅によって起こる潜在的なエラーを除外できることを意味しています。

MSRミッションで持ち帰られるサンプルは容器1つあたり約15グラムで、計画では生命の存在の有無を決定するのに使われる量は数百ミリグラム~数グラムであるため、DNAの直接検出に必要な感度は1兆分の数グラムとなります。

■ピコグラムオーダーのDNA検出を確認

【▲図2: 汚染を避けるため、実験は清浄度のクラスが高いクリーンルームの中で実施されましたが、それでも検出可能な汚染があることが今回示されました(Credit: Raghavendra, et al.)】

Raghavendra氏などの研究チームは、極めてわずかな量のDNAを分析するOxford Nanopore Technologies社のナノポアシーケンサー「MinION」を使用し、火星の土壌を模倣した物質でMinIONの性能、特に分析の下限値を検証しました。

ナノポアとは、ナノスケールの小さな穴にタンパク質が配置されたポリマーシートのことです。穴をDNAが通過する時、穴に配置されたタンパク質とDNA分子の間で発生するわずかな電流を捉えることで、DNAの塩基配列を決定することができます。Oxford Nanopore Technologies社が開発したこのDNA分析法は「ナノポア配列決定法」と呼ばれています。

実験では、火星の土壌を模倣した「MMS-2」という人工土壌の中にDNA検出目標となる大腸菌と出芽酵母を様々な濃度で混ぜ、MinIONでDNAが分析可能かどうかを調べました。汚染を避けるために、実験はISO 5クラス (※3) のクリーンルーム内で行われました。

※3…国際規格「ISO 14644-1」に基づくクリーンルームの清浄度。半導体製造工場で求められる最低限度の清浄度に相当します。

その結果、最小で2ピコグラムのDNAを検出することに成功し、塩基配列をもとに大腸菌または出芽酵母であることを決定するだけの品質が得られることが判明しました。感度の高いナノポア配列決定法でも、これほどの感度を達成したのは前例がなく、MinIONは増幅なしにDNA配列を決定した最も高感度な装置であることになります。

興味深いことに、今回の実験では大腸菌と出芽酵母以外の生物である、ヒトやいくつかの細菌のDNAも発見されました。実験試料の条件を変えて実験を繰り返した結果、これは実験を行った研究員自身、クリーンルーム内の空気、DNA抽出に使われた試薬や水のどれかから実験試料に混入した汚染物質だと推定されます。実験が極めて清浄な環境で行われたことを考慮すると、これほど感度の高いDNA分析方法では今まで気づかれなかった汚染も検出できることを意味しています。これは将来的に実際の火星の土壌で分析を行う際に考慮されるべき事項であると考えられます。

■火星以外の応用も

今回の研究では、サンプルに含まれる極めてわずかな量のDNAでも分析が可能であることが示されました。ただし、研究チームの1人であるJavier Martin-Torres氏は、火星の表面に独自の生命が生き残っている可能性は低く、火星のサンプルからDNAが検出される可能性は低いと考えています。しかし、今回示されたDNA検出感度の高さは他の天体の地球外生命体をサンプル内から検出するためのベンチマークとなる可能性がありますまた、ナノポア配列決定法は分析装置が小型であるという特徴があります。砂漠や極地といった極限環境に生息する地球の生命の研究では、物資輸送の困難という問題があるため、今回の研究結果は極限環境での生命の発見にも生かされるかもしれません。

また、今回の研究では、極めて清浄な環境でも目的外の生物DNAによる汚染の存在が示されました。この結果は、医学、薬学、化学など、生物汚染が望ましくない環境での汚染検出に生かされる知見となるでしょう。

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文/彩恵りり

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