土光敏夫に学ぶ「利他の心」⑥ 「土光さんのためなら」井深も尊敬

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・臨調が国民運動になった、その手法を学ぶことは高岡市改革の手本になる。

・土光は「行革を推進し、見守っていくための国民運動が必要」と説いた。

・土光に「利他の心」があるからこそ、井深は行革の国民運動に参戦した。

私はなぜ、臨調が国民運動になったのか、関心を抱いています。その手法を学ぶことは今後の高岡での改革のお手本になるのではないかと、思っているからです。

さて、前回の続きです。土光敏夫は、本田技研の創業者、本田宗一郎に日本の財政状況を説明しました。「世間の常識では、借金というものは年々減らしていくべきものだけれど、政府の借金はこのままほっとくと、年々増えていきます。これまでのような行政のあり方を、早急に改革していかないと、そのツケはすべて増税となって国民一人一人の肩にかかってくる」。

本田はうなずきながら、話を切り出しました。「その責任は、これまで税金を湯水のようにつかってきた役人にあるんですから、あくまで役人が責任をもって借金を減らすよう、工夫すればいいじゃありませんか」。本田技研の創業者として、官僚に対する不満をぶつけたのです。

土光は畳み掛けました。「政府もいまのうちに手を打たなければいかんというので調査会(第二臨調)をつくりました。しかし、首相やそのまわりがどんなに”やる”といっても、国民全体の政治に対する考え方が変わらなければ行政改革は、実行できないと私は信じています。政府や役人に任せきりにしていてはいつになってもできないんじゃないかという危惧がある。行革を推進し、見守っていくための国民運動がぜひとも必要だということを本田さんにおわかり願いたい」。土光は本田宗一郎に、行革の”戦線”に参加するよう求めた。

本田は根っからの技術者として、財界活動や政治的な運動とは距離を置いていた。そのためこう返事するのがやっとだった。「ご承知のとおり、私は根っからの技術屋で、行政のことなど何も知りませんよ」。

それに対し、土光は間髪を入れず、反応した。「本田さん、知っているから出来るというものではないんです。それはあなたが一番よく体験されていることでしょう」。

心を揺さぶられた本田宗一郎。「私は土光さんより10歳若い。功なり名を挙げた土光さんが、あのお年で頑張っておられるのに、私が隠居しているわけにはいかん」。結局、土光の申し出を受けることになったのです。

さらに、私が感動するのは、ソニーの井深大の言葉です。井深もまた、本田宗一郎と並び、行政改革の国民運動の中核組織「行革推進全国フォーラム」の代表世話人です。土光は東芝です。ライバル企業なのに、なぜここまでほめたたえるのか。不思議に思います。

「今の日本で最も尊敬できる人は誰かと聞かれれば、無条件に『土光さん』と答えたい」。

さらに、井深は「あの人のためなら、という気持ちを持たせるのが人望ではなかろうか。行革でもあの土光さんがあれだけ真剣にやられるのだから、我々も何かしなくてはというところが極めて多い。もちろん、将来の日本のために、今本当の行政改革を断行しなければ、ということは当然の事柄だが、それが鈴木臨調とか、中曽根臨調ではないのである。人望のある土光臨調でなければならないのである」と説明しています。

さらに、井深は土光について、私心がないと指摘。すべて日本のため、世界のため、21世紀のために行動しており、尊敬すると語っています。まさに、土光に「利他の心」があるからこそ、井深は行革の国民運動に参戦したのです。私はやはり、リーダーには「利他の心」が大事だと思っています。

トップ写真:井深大 1980年当時

出典:Keystone/Hulton Archive/Getty Images

© 株式会社安倍宏行