かつては庶民の味、今は…きょう、吉川で「全国なまずサミット」 イベント多数 老舗料亭「ぜひ味わって」

ナマズの天ぷら(右)とたたき揚げ

 かつて庶民の味として親しまれ、現在は高級魚となったナマズ。その魅力を発信するイベント「全国なまずサミット」が、6年ぶりに「なまずの里」埼玉県吉川市に帰ってくる。15日午前10時から、市民交流センターおあしすでナマズ料理の販売やアート体験などが行われる。市内の老舗料亭「福寿家」は料理教室で郷土料理「たたき揚げ」を提供。小林政夫会長(76)は「グロテスクなイメージがあるが、大きな口がかわいらしく味も上品で、私の人生を導いた『福ナマズ』」とぞっこんだ。

 なまずサミットは同市で2017年に初開催し、19年までに計4回、全国各地で行われたが、コロナ禍で中止やオンライン開催となった。4年ぶりの対面開催となる今回は、中国や台湾、タイなどの関係団体も参加し、ナマズを介した国際交流も促す。

 中川と江戸川に挟まれた同市には、昔から川魚の食文化が根付いている。福寿家も1837(天保8)年から続く老舗料亭だ。7代目の小林会長は「冷蔵庫がない時代に新鮮でおいしい食材だった」と説明。福寿家では骨ごとすりつぶして団子状にし、まろやかな舌触りとつぶつぶした骨の食感が楽しめるたたき揚げも、「当時は技術いらずで家庭の味だったようだ」と話す。

 しかし高度経済成長期に食糧増産のため農薬が使用されると、川や用水路のナマズが減少。同市でも、「1960年ごろから川の水質が悪化し、川魚の鮮度が劣化した」と伝えられる。さらに、「昔は家の外に水場があり、ナマズをさばいて汚れても問題なかった。住環境の変化でシステムキッチンが普及すると家庭では調理されなくなった」と小林会長。「切り身なら家庭でもフライやムニエルにできるが、日本のスーパーでは売られていない。昔は安かったが、今では特殊で高い食材」と嘆く。

 家庭で食べられなくなった結果、料亭に食べに来る人は増え、福寿家では仕入れに奔走。96年に吉川受託協会が休耕田を活用してナマズの養殖を開始し、天然に比べ品質が均一のナマズが安定入荷できるようになった。しかし今年は酷暑で機械が故障し、養殖していたナマズは全滅。出荷再開は来年になる見通しだ。

 現在は別の養殖場から仕入れた「アメリカナマズ」を使う。日本ナマズより力強く暴れるが、小林会長は心得た手つきでまな板にナマズを固定し、手際よくさばく。水で流すと黒々とした元の姿とは対照的な白身が現れた。衣を付けて揚げた天ぷらは口の中でほどけるような軽い食感で、大根おろし入りのたれがよく絡む。かば焼きや昆布締めなどナマズ尽くしのコース料理もあり、小林会長は「女性にも食べやすく『おいしい』と言ってもらえるようにこだわっている」とほほ笑む。

 福寿家は戦争を乗り越え受け継がれてきた。祖父は戦後、2度の出兵から戻った父と物資不足の中で工夫を重ね、料亭再興の礎を築いた。父は戦争経験を語らなかったが、姉に「食事係をした」と打ち明けており、「料理人としての経験で命拾いしたのでは」と小林会長は考える。また当時、至る所で捕れたナマズは「貴重な食糧として戦後日本を助けてくれた」。

 ナマズがきっかけで、幼少期の「テレビの料理番組の先生になる」という夢をかなえた小林会長は、市内の学校で講演する際に「強く願えば夢はかなう」と伝える。著名人や、人生を通じ支え合う仲間との出会いも「ナマズの縁」。サミットを訪れる人に「上質な白身を一度とならず味わってほしい」と、ナマズの「福」をお裾分けするつもりだ。

ナマズをさばく小林政夫会長=埼玉県吉川市

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