果敢にアニソンに挑んだロックバンド MAKE-UP【聖闘士星矢】主題歌「ペガサス幻想」  「聖闘士星矢」の主題歌はアニソン人気の定番楽曲として生き続ける「ペガサス幻想」

「聖闘士星矢」の初代主題歌を手掛けたMAKE-UP

80年代当時、昨今のようにロックバンドが「アニソン」を歌うことは稀で、子供が観るイメージが強かったアニメに関わること自体あり得ない風潮だった。TVアニメ『聖闘士星矢』の初代主題歌を手掛けたMAKE-UPは、そんな時代の中で果敢にアニソンに挑んだ先駆者だ。

彼らは日本のへヴィメタルシーンの中核といえる人脈から生まれたバンドだった。ラウドネスの高崎晃、樋口宗孝と同じ大阪の高校に通ったギタリストの松澤浩明が、その2人が当時結成していた “MAKE-UP” というバンド名を譲り受けたのが始まりという。

そんな経緯もあり、MAKE-UPは樋口がプロデュースを担当し、84年に鳴り物入りでメジャーデビューを果たす。ギタリスト中心のバンドが占めたジャパメタムーブメントの中で、キーボード奏者を擁し、確かな技量で紡ぐメロディアスなハードロックを追求した彼らは特異な存在だった。

独特な “熱さ” を感じさせる山田信夫の歌唱力

独特な “熱さ” を感じさせる山田信夫の歌唱力はデビュー時から折り紙つきで、『聖闘士星矢』が連載されていた『週刊少年ジャンプ』の三要素である “努力・友情・勝利” を体現するのに過不足のないキャラクターでもあった。それを活かす松澤らメンバーのソングライティング能力の高さも大きなセールスポイントだった。

彼らは外部に楽曲を提供する機会も多く、例えば、浜田麻里の代表曲のひとつ「ブルー・レボリューション」は松澤とキーボードの河野陽吾の共作である。

通好みのバンドとして多くのジャパニーズメタルファンから支持された彼らだが、わずか2年間に4枚の優れたアルバムを残した後、燃え尽きるように解散に向かってしまう。その寸前に発表したのが「ペガサス幻想(ファンタジー)」だった。

ロックバンドがアニソンを手掛ける前例が殆どない中で松澤と山田が創り上げた楽曲は、敢えて音楽性を変えることなく、典型的なMAKE-UPらしさを貫く快心の出来に仕上がった。それは結果的にギリシャ神話を題材にした『聖闘士星矢』の世界観に見事マッチし、大きな話題を呼ぶことになる。松澤らによるソングライティングの完成形といえるものだった。

しかし、皮肉にもそれは彼らが残した最後の楽曲となり、バンドは終焉した。その後、長い時を経て09年に再結成を果たすも、直後に松澤が50歳という若さでこの世を去ってしまう。残された山田は以前からのNoB名義で活動を続行、今ではアニソンシンガーとしても世界でその名を轟かせている。

アニソン人気の定番楽曲として生き続ける「ペガサス幻想」

MAKE-UPには個人的に忘れられない思い出がある。85年6月、サードアルバム『ボーン・トゥ・ビー・ハード』発売直後に僕の地元で彼らのライブがあり、当時僕がやっていた高校生バンドがオープニングアクトを務めることになった。しかしライヴ当日、バンドのメンバーが何と交通事故に遭ってしまいそのまま入院。落ち込む僕らをMAKE-UPの皆さんは励ましてくれ、入院したメンバーに捧げる曲まで演奏してくれた。

さらに松澤さんの計らいで、僕は1日ギターローディーを体験させて貰った。初めてステージ上の真裏から、間近で体感するプロの演奏。自分たちとは次元が違い、僕はプロを目指すことを初めて恥ずかしく思った。同時に裏方としてバンドを支える仕事に初めて魅力を感じたのだった。僕がのちにレコード会社に勤めたのも、この体験があったからだと思っている。

優しい人柄を昨日の事のように思い出す松澤さんは、寂しいことにもうこの世にいない。けれども、MAKE-UPが最後の力を絞って生み出した「ペガサス幻想」は、アニソンで人気の定番楽曲として生き続け、今もNoBさんが歌い続けていることは本当に嬉しい限りだ。

カタリベ: 中塚一晶

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