カリコ氏との交流を小説に 夢持ち続けた姿、伝えたい

1994年、親交を深めた米国で写真に納まるカタリン・カリコさん(左)と村石昭彦さん(村石さん提供)

 福岡県柳川市の開業医村石昭彦さん(64)は約30年前の米国留学中、ノーベル生理学・医学賞に決まった米ペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授と交流を深めた。2人は別々の道を歩み、コロナ禍を経て再び連絡を取り合うことに。「日の目を浴びなかった時でも、夢を持ち続けた彼女の姿を伝えたい」と、旧友との日々を描いた小説を昨年、出版した。

 「いつも笑顔で飾らない、原石のような人」。古びた写真を懐かしそうに見つめる村石さん。自身の隣で笑う女性が「メッセンジャーRNA(mRNA)」を使った新型コロナウイルスワクチン開発の道を開いたカリコさんだ。

 出会いは1993年、村石さんは同大で遺伝子治療研究に励んでいた。分野は違うがハンガリーと日本という他国から来た者同士、故郷や家族について話し、悩みを分かち合った。

 無名の彼女を訪ねる人は少なかったが、遅くまで一人残る研究室に村石さんが足を運んでは互いの夢を語った。「周囲のエリートと違い、よれよれのセーター姿で愚直に取り組む研究者だった」

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