名取裕子、中島貞夫監督を偲ぶ「いつ会っても太陽のような方」

『京都国際映画祭』(10月13日〜15日)のクロージングイベントが「よしもと祇園花月」(京都市東山区)で最終日に実施され、女優の名取裕子らが登壇。中島監督追悼企画の鼎談をおこなった。

中島監督追悼企画の鼎談に参加した女優・名取裕子(10月15日・京都市内)

東大文学部を卒業後、東映に入社。マキノ雅弘や今井正といった巨匠に師事し、2023年6月11日に逝去するまで、チャンバラ映画(時代劇)からヤクザ映画、さらにはポルノまで幅広く傑作を撮り続けた中島監督。『京都映画祭』を前身に、2014年に生まれ変わった同映画祭には実行委員長として立ち上げから深く関わり、長らく「京都映画界の顔」として活躍した。

今回の映画祭では、名誉実行委員長をつとめていた中島監督の追悼企画が催され、未婚の母として強く生き抜いた女流画家の波乱の生涯を描いた『序の舞』(1984年)、当時の資料をもとに原寸大に再現した大奥セットも話題となった『女帝 春日局』(1990年)など、中島作品に出演した名取のほか、奥山和由プロデューサー、「牧野省三賞」を獲得した阪本順治監督も参加。監督との懐かしい思い出を明かした。

映画初主演となった『序の舞』では、「初めてだったので、何もわからず。東京からぞろぞろスタッフを連れて行くと京都の職人さんに怒られるからと、ひとりで行かされて(苦笑)」と当時を振りかえりつつ、「中島監督というのは東大での美術に詳しい監督さんだなと思っていたら、『まむしの兄弟』とセックスシリーズとかもやられてて、あ、こっちの方もすごいんだと後からビックリして」と語った名取。

名取裕子が中島貞夫監督とともに招待された映画祭の写真(10月15日・京都市内)

また、1984年に名取が中島監督とともに旧ソビエト連邦の映画祭に招待された際の写真が公開されたほか、中島監督が生前、自身が手がけたベスト映画として、ロード・ムービーの傑作として名高いエロティックドラマ『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』(クリスチーナ・リンドバーグ主演・1973年)を挙げたことなどが披露され、会場は大いに盛り上がった。

名取は「いつ会っても、チャンバラ撮りたいんだと。その勢い、エネルギーが減らない。周りを巻き込みながら、太陽のように。あのエネルギーはお年を重ねても全然変わらないの。撮影所を歩いているだけ、そういう空気になる方だった」と懐かしみ、阪本監督は「中島監督の功績を改めて確認して、日本の映画界に対して自分ができることを考えたいと思います」と、偉大な先輩の足跡を讃えた。

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