アザールのように「若くして引退を選んだ」世界的スーパースター選手、5名

先日32歳で現役を引退したエデン・アザール。今回は彼のように「若くしてスパイクを脱ぐことを選択した世界的スーパースター」をご紹介する。

エリック・カントナ

1997年にエリック・カントナが突然現役を引退したとき、まだ30歳だった。マンチェスター・ユナイテッドでまさに王様のように振る舞うことが出来ていた「キング」は、間違いなく当時のイングランド・プレミアリーグで最高の選手だった。

リーズから加入して以来90年代のクラブの成功において起爆剤となり、26年ぶりのリーグ優勝の立役者になった。その不遜な振る舞いはまさに「カリスマ」であり、周囲に自信を与えられる稀有な存在だった。

ただ、その引退すらも彼らしいものでもあった。サッカーで満たされた彼は俳優の世界に飛び込むことを決め、そこでもある程度の成功を収めた。

ギャレス・ベイル

今年1月に現役を引退したギャレス・ベイル。キャリアの後半はケガばかりであったことから、ついに…という状況でもあったが、まだ33歳という年齢であった。

シーズンで何度も再発してしまうほどの慢性的な状態、そしてそれによって受けた苛烈な批判とプレッシャー、さらにゴルフへの愛情。様々なことが彼をサッカーから離してしまったのだろう。

今はゴルフが盛んなアメリカに滞在し、存分に圧力から離れた生活を送ることができているようだ。

マルコ・ファン・バステン

ディエゴ・マラドーナはかつて「これまで見た中で最も優れた選手は誰?」と聞かれた。そのときに彼は「ロマーリオかファン・バステンだ」と答えていた。それだけ衝撃的な選手であった。

しかしそのファン・バステンにとって最大の敵はケガであった。28歳から足首に慢性的な負傷を抱え、実質的に引退したようなものになっていた。そして31歳でスパイクを脱ぐことになってしまった。

その圧倒的なシュートセンスとアクロバティックなプレーは誰にも真似できないもので、EURO1988の決勝で見せたダイレクトボレーはサッカーの歴史上最高ともいえるゴールだった。

ブライアン・ラウドルップ

選手としては弟のミカエル・ラウドルップのほうが有名であるが、ブライアン・ラウドルップの選手としてのキャリアは非常に成功したものだ。ACミランでチャンピオンズリーグを制覇し、デンマーク代表でも黄金期の主力だった。

デンマーク年間最優秀選手賞も4回獲得した彼は驚異的なドリブル能力を持ったエンターテイナーであったが、悲しいことにそのプレースタイルもあって31歳で現役引退を余儀なくされてしまった。

ジュスト・フォンテーヌ

今でもフランスサッカーの歴史上最高の点取り屋であったと評価されている伝説のストライカー。ジュスト・フォンテーヌは1958年のワールドカップで1大会13ゴールという前人未到の記録を作り、60年以上それを守り続けている。当時よりも試合数が増えているにもかかわらずだ。

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フランス代表でも21試合で30ゴールという驚異的な成績を残しているが、彼にもケガという魔の手が伸びた。スウェーデンでのワールドカップを終えてからわずか4年後、28歳という若さでスパイクを脱がなければならなくなった。

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