土光敏夫に学ぶ「利他の心」⑦民主党政権への不信感と土光敏夫

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・民主党初の予算で浮き彫りになったのは、バラマキ体質。

・土光敏夫の第二臨調について調べ、「清貧と復興、土光敏夫100の言葉」を上梓した。

・土光イズムをぜひとも、高岡市に広めたい。

私が土光敏夫に向き合おうと思ったのは、2010年12月です。当時「報道ステーション」のニュースデスクでした。経済ニュースの責任者をしていましたが、菅直人政権に失望していました。この年のオンエアが23日で終了し、年末、年始の休みに突入しましたが、ゆっくり休む気持ちにはなれず、霞が関や永田町、大手町を歩いたのです。

驚いたのはその翌24日に閣議決定された予算案です。民主党が最初から手掛けた初の予算でしたが、浮き彫りになったのは、バラマキ体質です。報道ステーションだけでなく、他のマスコミの視線も厳しくなっていました。民主党政権に好意的とみられていた朝日新聞までが批判していた。2010年12月25日付の天声人語は「税収が少しばかり増えても、それ以上の国債が新たに発行される。まっさらの民主党予算は初めてなのに、削りは甘く、出は緩く、自民党時代に輪をかけた借金体質」と酷評しています。政権交代の熱狂は冷め、政治不信が高まっていました。

このままで日本は大丈夫なのか。こうした中、私は、経団連副会長だった中村芳夫と文藝春秋の新谷学と3人で食事をしていました。

「日本にリーダーはいないのか」。そんな懸念を語り合いました。その時、中村はポツリと言葉を発しました。「私にとってのリーダーは土光さんです」。中村は土光敏夫の経団連会長時代に秘書として仕えていたのです。

そこで私は土光敏夫を改めて調べました。一冊の古ぼけた本。日本経済新聞の「私の履歴書」を手に取った。こんな文章が目に留まった。

財政改革問題は、わが国が国家として取り組まねばならない最大の問題で、しかも焦眉の急を要する。(中略)。破局を避けるために第二臨調が設置されたわけだが、この解決はなかなか難題である。たんに、財政の赤字解消というだけではなくて、これから日本が、いや世界が進むべき方向を探り当てなければ、本当の行革はあり得ない。実に厄介な問題に取り組むことになってしまった。

もともと、私は妻と二人でブラジルで畑を耕しながら余生を送る気でいた。石川島播磨重工業の社長のいすを田口連三氏に譲った時、本気でリオデジャネイロ周辺に土地を探したものだった。その楽しい余生がまた遠い夢となった。国家の問題で、だれかがやらねばならないとするなら、ぐずぐずしていても仕方ない。あくまでやり通すまでだ。当面、私はことあるごとに「行革」「行革」と叫ぶつもりでいる」。

84歳という年齢にもかかわらず、第二臨調の会長を引き受けた土光。関連図書などを読めば読むほど、引き込まれました。さらに、関係者を取材しました。土光敏夫の長男なども元気で、話を聞くことができました。そして上梓したのが、「清貧と復興、土光敏夫100の言葉」です。私にとっては初めての著作でした。出版は2011年8月。東日本大震災の直後です。

「震災からの復興の国民必読の書にしようぜ」。新谷は担当編集者として、音頭をとりました。さまざまなメディア関係者に働きかけたり、都内の大型書店で私のトークショーを開催したりしてくれました。

「どんないい本でも売れなきゃだめだ」。それが新谷の信念でした。結局、8万部のベストセラーになり、この年の文藝春秋のノンフィクションの売り上げトップでした。土光敏夫死後23年経っていましたが、その生き方や生き方を刻んだ言葉は、多くの共感を得たのです。高岡市議会議員になって2年。私は土光イズムをぜひとも、高岡に広めたいと考えています。

トップ写真:首相官邸で記者会見する民主党の菅直人代表

出典:Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images

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